アプト式鉄道

2012年02月29日 | 鉄道
大井川鉄道は、蒸気機関車の運転で有名ですが
その蒸気機関車が走る本線の終点、千頭から先にも
一まわり小さいトロッコのような列車が
寸又峡まで走っているのです。

もともとは木材の運搬やダム建設のために作られた線路なので
乗り心地がいいとはいえませんが
それがこの井川線の醍醐味でもあって
尻に直接伝わってくる車輪の振動に
機関車の力強さを感じることができるような気がします。



長島ダムの完成で、一部の線路が水没することになって
90パーミルという急勾配につけかえられた新線は
当然既存のディーゼル機関車では牽引することができず
かつて信越本線の碓氷峠で使用されていた
アプト式という、線路の間にラックを置いて
電気機関車の歯車を噛み合わせて登攀するという
現在、日本で唯一の方式を復活させました。



この区間に連結される補機は、必ず勾配の下側に連結されます。
登る列車は後押しをして、下る列車はブレーキで踏ん張る役目です。
もし連結器が壊れても、パワーのあるこの遺憾者が下側にいれば安心ですからね。

レールの間にラックレールが敷かれているということは
機関車の車輪の間に歯車があるというわけで
分岐レールの構造も、レールが歯車にあたらないようにしなければならないので
それだけ複雑になります。



その分、乗り心地も余計に悪くなりますが
それはがんばって急な坂を安全に上り下りさせてくれる機関車のため。
文句なんて言えません。
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江ノ電

2012年02月28日 | 鉄道
藤沢から江ノ島、稲村ガ崎などを通って鎌倉まで走る江ノ電。
全線開業は1910年とのこと。
ちまり、辛亥革命よりも前に、開業していたんですね。

そう考えるとすごい歴史のある鉄道。

いまでは生活の足として以上に
観光路線としての性格が強いこの電車。
古い車両と新しい車両が併結されて走っている光景は
制服の高校生と観光客が同じ車両に乗り合わせている光景と
おなじような違和感があって、でもそれが江ノ電の魅力だったりします。
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最南端の鉄道

2012年02月27日 | 
沖縄本島、那覇空港と世界遺産・首里城の首里を結ぶモノレールが
現在沖縄で唯一の鉄道、ゆいレール。

モノレールは電気で走る鉄道なので
その結果、「電車」の走らない都道府県は、徳島県だけとなっています。

そんな話はさておき…

ゆいレールが開業した頃は
沖縄県民「鉄道」の乗り方に慣れていなくて
改札で駅員が「きっぷを買ってから乗ってください」とか
大声で案内しながらの営業だったのが
最近はみんななれてきたとみえて
過去の光景となってしまいました。

周囲の建物よりも数段高いところを走るゆいレール。
沖縄の景色として定着してきましたね。
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柿田川湧水群 その2

2012年02月26日 | 
柿田川湧水群へは三島駅からバスが便利。



1時間に2本の路線バス(沼津登山東海バス)と
湧水群の崖上にあるショッピングモールへの無料送迎バスが
1時間に1本あるほか、徒歩でも三島駅から20分強ほどと
なかなか便利な立地ではある。

じつは戦後は工場などが立ち並び
日本有数の「汚い川」になっていたのだが
ナショナルトラスト運動などで工場の移転や環境保全を行って
現在のような「日本一の湧水」を復活させたという歴史がある。


ミシマバイカモなどの水中植物も生息しているため
魚やカワセミも棲んでいる。



たった1キロちょっとの川だけれども
その豊富な湧水量のため、川幅があって
また、市街地なので原生林の中を流れているわけではなく
溶岩崖地の上には住宅が普通に建っている。

それでいてこの水の透明感。



水温は1年を通して摂氏15度ほど。
まろやかな口当たりの水である。

なお、3.11の震災後は茶色い泥水が吹き出たり
今まで水の出ていなかったパイプから
水が吹き出たりという異変も起きているようです。
そのパイプからは、この日も勢いよく水が出ていた。
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富士山の湧水 柿田川

2012年02月25日 | 
富士山にはいくつもの伏流水があり
いちばん低位にあるものは駿河湾海底、
いちばん高所は富士山頂の金明水、銀明水とされている。(公式には標高1600m付近の湧水が最高地点)

その中でも、日本三大清流に数えられる柿田川の水源
「柿田川湧水群」として知られていて
1日あたり530万立方メートルほどあるといわれている
富士山の総湧水量のうち70~100万立方メートルも
湧き出しているのである。

湧水群は静岡県駿東郡清水町の国道1号線沿いにあって
三島溶岩流の先端から湧き出しているのだが
実際に水が出ている溶岩流の先端は軽石層の地下にあるので
白糸の滝のように流れ出ているわけではない。

しかしながら、前述のように大量に湧き出ているので
画像のように砂を吹き上げながら勢いよく噴出する様子を
展望台から眺めることが出来る。




湧水「群」というだけあって
何箇所からも湧き出ていて、勢いよく噴出するものだけでなく
木の根元や草叢からいつのまにか染み出ているものまで
数えたらきりが無いほどの水源が存在している。

この湧水群、これだけ綺麗な水だけれども
市街地のわきにあります。

(明日につづく)
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富士をめぐる旅

2012年02月24日 | 
富士山は、いわずと知れた日本一の山。
その容姿の美しさは、日本どころか世界有数の山だと思う。

その富士山は、活火山であり
最近では江戸時代に大きな爆裂噴火を起こしている。
それ以前にも有史以来何度も噴火をしているし
平成に入ってからも、山頂直下を震源とする
火山性微動が確認されている。

さて、そんな富士山。
元々の美しさもあるけれども
もし、次の噴火が起こればこの美しいコニーデの姿が
失われてしまう可能性もあるわけで
そんな事も富士山をより美しく魅せる要因になっているんだと思う。

富士山は、単独峰でもあるから
その外周を回ることは可能だし、道路も整備されている。
山頂火口の「お鉢めぐり」もいいけれど
これだと富士山「からの」景色しかみえないわけで
やっぱり富士山好きであるならば
外周をぐるりと1周するのが一番だと思う。
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東海道 小田原

2012年02月23日 | 
小田原は後北條氏の城下町として有名だけれども
先史時代から栄えた場所と考えられている。

江戸時代に、五街道のひとつとして東海道が整備された際に
古来の東海道であった足柄路ではなく、箱根を通過するルートで整備され、
小田原に宿場が設けられたことで発展した交通の要所であったものの、
明治に入って官営鉄道の東海道本線が現在の御殿場線のルートで開通し
昭和9年に丹那トンネルが開通し東海道本線が現在のルートになるまでは
東京からは鉄道の便が無く、この一時期だけが「不便な場所」であったようです。


小田原城は、東海道線、箱根登山線の下り電車で
一番最初に潜るトンネルの上に位置していて
天守閣は駅のコンコースからも望めます。

この天守閣は昭和35年に再建されたコンクリート造のもので
展望台も、このときに観光目的で作られたものなので
「再現」天守でなないけれども
特徴的なその城の姿はなんとも無骨で「戦国時代」らしい
質実剛健さが滲み出ていてかっこいい。

大山、箱根、第3新東京市と、老若男女に親しまれる観光地も近くて
海産物も美味しいんだけれども
ついつい通過してしまうそんな小田原。

たまには途中下車じゃなくて、小田原を目当てで行ってみようかな。
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ロッテ

2012年02月22日 | バス
新宿区にはロッテの工場があって
そのためか、都営バス早稲田営業所の車両には
ロッテの広告ラッピング車が在籍している。

特に、運用路線は限定されていないので
いつでも目にできるワケではないのだが
池袋駅東口で、たまたまガム広告2台が並ぶという
とってもレアな光景に出会えたのでアップしてみました。

クールミントガムとグリーンガム。
ロッテのガムを代表する2商品ですが
個人的には
 ジューシー&フレッシュ
 ブルーベリー
 クイッククエンチ
 梅
が好きです。

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県庁所在地バスの旅 関東編 宇都宮

2012年02月21日 | 
宇都宮は餃子とカクテルの町で売ろうとしていますが
実は、歴史的にも古い町であって、古くは延喜式にも記載の或る
由緒ある二荒山神社の門前町なのです。

時代が思いっきり下って江戸時代には日光街道と奥州街道の追分として栄え
幕末には戊辰の役で土方らがこの地で激しい戦いを行っています。

近代以降は、日本の鉄道の駅弁発祥の地としても有名で
現在、JR東北新幹線、東北本線、日光線と宝積寺からの烏山線が
乗り入れているほか、田川を挟んで西側にある東武百貨店に
東武宇都宮線が乗り入れています。

駅がJRと東武で離れているため
ターミナル機能が分散してしまっているため
どうしても水戸のような賑やかさをJR駅から感じ取ることは出来ませんが
バスターミナルからのバスの本数の多さや
ちょっと郊外に出たところにあるショッピングモールへの
無料バスの行列の長さに、町の賑やかさを感じることが出来ます。


写真の車両は元京急バスの、中扉が両引き戸のタイプの車両。
ラッシュ時の混雑対策の車両が、ここで第2の人生を歩んでいるということは
それだけ乗車率がいいということでしょうか。

外国人観光客はジャパンレールパスを使えば
乗り放題で日光線で日光へ行くことができるので
意外と駅の中では外国人を見かけますが
駅の外では全然です。

このあたり、何とかするといいのかもしれないですね。
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県庁所在地バスの旅 関東編 群馬の巻

2012年02月20日 | 徒然
群馬には中心都市が2つある。
ひとつは県庁所在地の前橋。
もうひとつは、経済の中心、高崎だ。

県外の人間にとっては
どちらがどうのなんて話は
そんなに気になる話題ではないけれど
お互いのプライドがぶつかりあう
それはそれは大きな問題らしい。

高崎は、新幹線も止まるし
高崎線、上越線、信越線、両毛線、八高線の各線列車の始発駅だし
それに加えて上信電鉄も高崎駅から出ている。
鉄道イベントも、大きな機関区があるために
いろいろと行われている、いわば「交通の中心」でもある。

中仙道も高崎市内を通り、碓氷峠へと向かう。

それに対し、JR前橋駅は、乗換駅ではない。
両毛線の列車が走るだけで、なおかつ県庁は
そこから少し歩かなければならない。

県庁の近くには中央前橋という上毛電鉄の駅があるのだが
JRの前橋駅に直結しているわけではないので
鉄オタ受けする路線ではあるが、地元の人を除けば
知名度の高い路線ではない。

バスターミナルは、高崎駅にも前橋駅にもあって
数社が乗り入れてはいるのだが
本数はどちらも多いわけではなく
群馬が車社会の町であることを実感させてくれる。

関東平野のどん詰まり、坂道が多くなる地域だからこその現象なのだろうか。
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県庁所在地バスの旅 関東編

2012年02月20日 | 
水戸は、いわずと知れた川御三家の1つ、
頼房公を初代とする水戸川家のお膝元。

水戸藩には参勤交代の義務の無い、定府大名だったので
藩主は江戸住まいでいたから、たとえば水戸黄門でおなじみの
2代藩主、光圀公は7歳で世子となってから63歳で隠居するまで
ずっと江戸住まいでした。
光圀公は家臣の家で生まれており、世子に決定する直前に
はじめて水戸城に入っており、隠居後もすぐに西山荘に移ったため
実際に水戸城に住んでいた期間は
数ヶ月に満たないようです。


さて、そんな水戸ですが、おそらく北関東では1番栄えている街じゃないかと
それだけ賑やかな街です。

家電量販店や大手ショッピングテナントビル、デパートが立ち並び
各方面へのバスがひっきりなしに出入しています。

鉄道はJR常磐線と水郡線、鹿島臨海鉄道が走っています。
東京までは4扉最大15両編成の中距離電車と
特急電車が走っていますので、交通の便もよく
また高速バスも多く走っています。

路線バスは茨城交通と関東鉄道、JRバス関東の3社が乗り入れています。
ノンステップ車なども増えてきましたが
いまだに写真のような、古い車体のバスも現役なところに
「いい味」を感じさせてくれます。

お土産やを覗くと、「納豆味」モノが多いのは
なんとかならないのでしょうか。
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バニラアイス?

2012年02月19日 | 徒然
豆腐アイスの「バニラ味」を食べてみたら
おもいっきり豆腐味のアイスでした。

柿田川にて。
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大山

2012年02月18日 | 徒然
ウチの近所にはいくつも商店街がある。
中でも、近隣(板橋、北、豊島)住民以外の人までが来ちゃうような商店街が
十条と仲宿そして大山である。


川越街道や雑司が谷道、中仙道といった旧道に挟まれ
道路交通の便がいいので
多種多様な店が揃ってます。
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地名の話

2012年02月17日 | 徒然
地名には、その土地のいろいろな由縁が込められていて
しかしながら合併や統廃合、新住居表示などで
失われて至った地名なども少なくないようです。

よく「水」や「砂」に関わる地名は地盤が良くない
とは言われるものの、住居表示では昔の地名もわからず
判断が難しいのが現状。

ウチの周りは住居表示では
「池袋本町」「西巣鴨」(豊島区)
「滝野川」「西ヶ原」「王子」(北区)
「板橋」「加賀」(板橋区)
という地名が現在のもの。

池袋本町は、もともとの「池袋」といわれる場所があったと推測される場所で
谷端川の谷底に広がる湿地だったようです。
池袋の中心が、現在の池袋に移ったため「本町」をつけたと考えても
おかしくはないでしょう。
豊島は、このあたりを治めた秩父平氏の豊嶋氏に由来しています。


王子は王子権現が和歌山から勧進されたためにつけられた名前。
滝野川は、石神井川の旧称で源平盛衰記などにも記述が見られます。
このあたりは流れが急で滝がいくつもあったことから
この名前が付きました。このため、別名として音無川とも呼ばれます。

なお、現在の地名の滝野川は三軒家(戸部・越部・榎本という3件の地主がいた)と
谷端(谷の端を流れる谷端川が流れていた)、狐塚(狐が棲む穴のある古墳があった)
御代の台(小碓尊=ヤマトタケルが、東征の際にここから武蔵野を眺めた説と
明治天皇がここから川越方面を眺めた説の2説あり)
という地域が含まれ、その字のとおり、狐塚、三軒家、御代の台は
板橋平尾(これも谷端川と石神井川に挟まれた平たい尾根)から続く高台にあります。
台地上は西から山上、平尾、鴻ノ臺、御代ノ台、三軒家、西ヶ原
南の谷は雲雀谷、谷端、堀ノ内
北の谷は金澤、浮田、本久保、宮ノ下、谷津と言う地名でした。

平尾を「下宿」「下板橋」と呼ぶのは、土地の高低ではなく
京側から江戸に向けて上宿・仲宿・下宿と名づけたことに由来します。
ちなみに板橋は古来より滝野河(石神井川)に架かっていた橋の名前で
加賀は加賀藩の下屋敷があったことに由来し、旧地名は金澤と言います。。

写真の沈殿池は、バス停の名前になっている「掘割」の名前の由来になっているもので
淑徳巣鴨高校の横にある公園に今でも給水のバルブが保存されています。
住所で言えば豊島区西巣鴨にあたり、旧地名では新田と言います。
この千川は、上水として取水している地、千川(現在の仙川)に由来しています。

水に関係する地名ではあるものの、江戸時代に掘られた上水道なので
吸水性の少ない地盤で、なおかつ尾根のサミットを通しているため
このあたりの岩盤はかなり安定しているようです。

現在の地名だけでは、なかなか地盤の安定性のことまでは想像できないようですね。
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現代の「古道」

2012年02月16日 | 徒然
昨日の記事の写真は
都電の西ヶ原4丁目から少し東へ行った
道音坂という。古道の細い坂道でしたが
今日の写真は、都電の線路の西側の、同じ道です。


昨日の写真と見比べると
まったくもって道幅が違うことにお気づきになるかと思います。

その理由。

それは、この写真の道が、かつてバス通りだったことに由来します。
ただのバス通りではなく、バスの車庫があったために
行き違いだけでなく右左折の余裕を考えてのこの道幅です。

王子電気鉄道(現在の都電荒川線)のバス部門の車庫としてスタートして
後に東京都交通局、つまり都バスの「滝野川営業所」になった車庫です。

写真でいうと左側に車庫があって、昭和54年頃まで
王40系統の一部などを最後まで受け持っていました。


道に歴史あり。
ですね。
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