滝野川一丁目から見る、飛鳥山公園のサクラを背景に走る都電
甲州街道の北側、四谷荒木町のスリバチ地形の中心的存在である策の池。
その昔、徳川家康がこの地の井戸水で鷹狩の際に馬の策(ムチ)を洗ったことから、
その井戸水が滝として落ちて溜まった池であることから策の池と呼ばれるようになったと言われています。
この場所は美濃高須松平摂津守の下屋敷があった場所で、津の守という名はそこからつけられました。
今は失われた滝と、現存する池はこの屋敷の庭園として整備されました。
その際に下流側の谷に土手が築かれたために、スリバチ地形になったとのことです。
豊川稲荷東京別院に佇む「いなりん」。
愛知県豊川市の観光マスコットキャラ兼豊川市宣伝部長だそうで
こうして東京へ出張して頑張っています。
豊川市……。
豊川稲荷と日本車輌製造豊川製作所しか思いつきません。
鎌倉鶴岡八幡宮横に建つ、「只管打座」と刻された道元禅師顕彰碑。
鎌倉時代5代執権北条時頼らによって鎌倉に招かれ教化を行った道元の
750回大遠忌を記念して平成十四年(2002)に建立されました。
JR東日本の上野・池袋エリア11駅に、駅キャラスタンプが設置され
4/15までスタンプラリーが開催されています。
やっぱり、にゃっぽり推しだな。
各エリア2駅ずつ以上でシール
全駅達成でクリアファイルがもらえます。
臨済宗建長寺派の宝亀山長寿寺は、建長寺の塔頭で、建武三年(1336)に古先印元禅師が足利尊氏邸跡に開山・創建し
その後、鎌倉公方足利基氏が、父尊氏の菩提を弔うために伽藍を建立したと伝えられています。
境内には、開基である足利尊氏の遺髪を納めた墓があります。
息子の制服を最後のお洗濯。
3年前ブカブカだった制服。
昨日もまだ少しブカブカだった。
それでも成長遅滞の息子は、なんとか年少さんくらいの大きさにまで育ってくれた。
年明けからの汚れを洗い流したけど、彼の3年間の楽しい思い出は染み付いたまま。
幼稚園に寄贈して誰かの思い出を足してもらおう。
今日は息子の卒園式。
仕事柄、卒業式・卒園式というものは、社会人になって一年目からずーっと参列してきました。
でもやはり、おめでとうと言ってあげる立場と、言われる立場では全然違いますね。
入園した頃はまだ赤ちゃんの延長のようだった我が子も、小生意気になって、いよいよ来月からは小学生です。
産まれた頃は
こんな日が
来るとは思わずにいた
(オリビアを聴きながら)
そんな替歌が頭に流れる、そんな日です。
鎌倉・建長寺を出て右に進むと閉ざされた石段に向かて左に安倍清明大神と刻された石碑が建てられています。
ここは第六天社という建長寺の四方鎮守で、かつては建長寺の南方を護っていた神社で
四方鎮守の中では唯一沿革と位置が確認できる神社です(とはいえ創建年代は不詳)。
安倍晴明(ここでは清明と揮毫)大神の石碑の由来は不明です。