良くも悪くも話題に挙がること事の多い靖國神社。
元々は招魂社と呼ばれ、幕末のペリー来航以降の明治維新で功績のある武士や
国事に殉じた軍人・軍属および国内外の事変や戦争による戦没軍人
246万6千余柱の英霊を祀る神社です。
今回は、この靖國神社を歩いてみます。
靖國神社の源流となっているのは、本殿南側にある本宮と呼ばれる
幕末に京都で作られた小祠で、靖国神社本殿と靖国通りに挟まれた場所とは思えない程
厳粛な雰囲気の中に鎮座しています。
(本宮の鳥居)
(本宮の東側にある、神道無念流練兵館跡の碑)
靖國神社は東を向いているため、九段下方向から境内に入る事になります。
(大鳥居)
巨大な大鳥居を潜ると、招魂社建立に尽力し、着工を待たずして暗殺された
大村益次郎の銅像が立っています。これは日本初の西洋式銅像と言われています。
(大村益次郎像)
二の鳥居を潜ると伊東忠太設計の神門です。
(二の鳥居と神門)
神門を入って右側には能楽堂があり、その前には桜の標本木があります。
これは都内の桜の開花宣言に使われる基準の桜です。
神門と中門鳥居の間には多くの桜が植わっていて、
春になると、戦場で散っていった多くの命たちが同期会を開くが如く、
一斉に美しく咲き並びます。
(開花したての桜)
中門鳥居の先が、一般の参拝に使われる拝殿です。
(拝殿)
今回は、誰もが目指すこの拝殿ではなく、参道を右に曲がり
遊就館方面へ行ってみましょう。
遊就館は零式艦上戦闘機や艦上爆撃機彗星(ともに復原)や
櫻花、回天といった特別攻撃に使われた人間兵器(ともにレプリカ)、
鐵道省制式C56型蒸気機関車などの大型展示物から
皇室ゆかりの品々や戊辰の役の際に官軍によって使われた錦の御旗など
祭神にまつわる資料を集めた宝物館です。
南向きに建てられた本館は
関東大震災によって大破した、初代の建物に代わる伊東忠太による建築で
その扁額は閑院宮載仁親王の揮毫によるものです。
(遊就館)
遊就館の前を左に曲がり奥へ進むと、春季例大祭などの際に奉納相撲の行われる土俵と
その支度部屋として使われる啓照館があります。
(啓照館)
啓照館を右に見て更に奥が、神池庭園です。
(神池庭園)
この庭園は明治時代に造営されたもので、荒廃していたものを
平成十一(1999)年に復元したものです。
茶室や四阿を周囲に配した池泉式回遊庭園で、日本一の長さを誇る花崗岩の石橋や
豪壮な滝組などが造られた、有数の日本庭園です。
(滝組から常に綺麗な水が流れ落ちているので、池は澄んでいる)
靖國神社は、日本の髄が詰まっている空間でもあるのです。