埼京線30周年

2015年09月30日 | 徒然
30年前の今日、「東北本線通勤別線」として建設されていた新線が、埼京線として開業しました。

(開業時の埼京線)

開業したのは、赤羽から武蔵浦和を通り大宮までの区間で、
前後の池袋から赤羽は既存の赤羽線をそのまま走行して、
大宮から川越までは川越線を電化して直通させるという新線でした。

(開業時の池袋駅1・2番線[現3・4番線]ホーム)

あれから30年の間に、赤羽線の貨物は無くなり、直通区間も、新宿、恵比寿、大崎と南下して
りんかい線の新木場まで直通するようになりました。

(池袋・赤羽間は現在でも赤羽線が正式名称)

現在は、明治18年に開業した区間である板橋駅の改良工事が始まり
十条駅周辺も高架化の検討が行われています。

(板橋駅にて)

30年後、私はこの世に残っているかどうかわかりませんが、
我が子が見る60周年の埼京線(赤羽線としては160周年)は、どんな路線になっているんでしょうか。





(埼京線30周年ヘッドマークを付けた車両)
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眼鏡だらけ

2015年09月29日 | 東京のお散歩
南池袋・あずま通りに、サングラスがこれでもかというほど壁に掛けられた店があります。
老眼めがね博物館という名のこの店、サングラスや老眼鏡、
つまり検眼の必要のない眼鏡を格安で売る店です。



外観のエキセントリックさやPOPの面白さに反して、品揃えや品質は真面目なお店です。
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スーパームーンと教師節

2015年09月28日 | 徒然
昨日は中秋節でしたが、今日は十六夜、そしてスーパームーンです。(月齢は14.8)
スーパームーンは満月の中でも、月の公転軌道の関係で一際大きく月が見える日でもあります。



ちなみに今日は台湾では教師節です。
教師節は、孔子(孔丘 字は仲尼)の誕生日とされる祝日で、学校も休みです。
残念ながら、かなり勢力の強い台風が接近してしまい、祝日どころではなかったようですが…。



そこで『論語』から「月」にまつわる部分を。

叔孫武叔、毀仲尼、子貢曰、無以爲也、仲尼不可毀也、他人之賢者、丘陵也、猶可踰也、仲尼日月也、無得而踰焉、人雖欲自絶、其何傷於日月乎、多見其不知量也.

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中秋節

2015年09月27日 | 徒然
今日は中秋節。
古来、旧暦の8月15日に月を愛でる日とされています。
日本では、仲秋の名月とも呼ばれる、美しい月を眺めながら、
管弦や料理を楽しむ日です。

満月の下、木犀の香りと秋の虫の声に包まれながら
団子と枝豆を堪能しています。

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あおもり

2015年09月26日 | 
彼岸を過ぎると、北東北は短い秋の本番。
澄んだ青空と、濃紺の穏やかな海が美しい季節です。



八甲田も、もうじき雪化粧をまとい、冬がおりてきます。

厳しい冬の前の穏やかなひと時は
凛とした風に包まれながら、過ぎてゆきます。


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東京の地形

2015年09月25日 | 東京のお散歩
東京は、大きく5つに分けて下町、山手、多摩、奥多摩、島嶼部に分類できます。

そのどれもが地学的に面白いのが東京で、例えば平坦なような下町にもちょっとした微高地があったり
人口開削の河川や埋立地が広がっていたりします。

山手や多摩は、ローム層台地に拡がる枝状の谷や、海蝕や河川による崖が、多様な景色を作り上げています。

奥多摩には多摩川が作った渓谷や石灰岩による山地が聳えます。

島嶼部は火山が作り上げた陸地です。

さらに言えば、東京湾の海底には縄文時代に刻まれた深い谷が地形として残っています。

東京は世界的大都市ですが、その都市が建つ東京都という大地は、
太古からの地学的記憶を残しているのです。
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新宿追分

2015年09月24日 | 東京のお散歩
追分は、街道が分岐する場所の事を言います。
都内では、中山道と岩槻街道(日光御成道)の分岐点である本郷追分、
中山道と川越街道との分岐点である板橋宿平尾追分、
そして甲州街道と青梅街道の分岐点である内藤新宿追分などがあります。

中山道の2つの追分は、知る人ぞ知るような交差点になっていますが
新宿追分では、その歴史をアピールするような表示が施されています。

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新宿御苑と渋谷川

2015年09月23日 | 東京のお散歩
新宿御苑は、高遠内藤家の屋敷跡を明治三十九年に皇室の庭園としたもので
戦後に国民のための公園として開放されました。



いくつかの池があり、そのうち内藤屋敷の庭園として使われた池は
玉藻池として現在も残されています。
この池は玉川上水の余水を利用したものでした。



このほかに、上の池・中の池・下の池と連続した3つの池があり
これらは渋谷川支流隠田川の源流とされていて
玉川上水の余水と、新宿御苑の池およびさらに上流にあたる
天龍寺にあった池(現在は墓地となっている)が水源となっていました。

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恵比寿麦酒祭り

2015年09月22日 | 東京のお散歩
ヱビスビール発祥の地・恵比寿の、旧ビール工事跡である恵比寿ガーデンプレイスで
恵比寿麦酒祭りが行われています。

三田上水を使用したヱビスビールの工場があったことから、恵比寿と名付けられたこの地。
サッポロビールのブランドとなった現在でも、この工場跡地では様々なビールが楽しめます。

麦酒祭りは明日まで。

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消えてゆく街の風景

2015年09月21日 | 徒然
生まれてこの方、ずっと同じ街に住み続けている。
学校は地元ではないから、仲のいい同級生というのは、近所にいないけれど
馴染みの店というのは多い。



そんな店の多くも、旦那衆がみんな歳をとって店を閉めたり、マンション経営に変えたり
街がどんどん変わっていっている。

豆腐屋、製麺屋、バナナ屋、経師屋、手芸屋、どじょう屋、クレープ屋、
酒屋、赤提灯、卵売り、貝売り、水飴売り、菓子屋、家具屋、プレス工場…。

毎日見ている風景は、毎日のように少しずつ変わっている。
それはわかってはいるけれど、ふと10年前とか20年前、30年前と記憶を辿ってゆくと
この街もすっかり変わってしまった。

そんな私の家も、亡き母が体調を崩した頃に、祖母が開いた店を閉じて
震災を機にリフォームして、店舗は庭と駐車場になった。
大きな杉の木も切ってしまった。

街が変わってゆくのは、その街が生きている証拠でもある。
まだまだこれからも、良くも悪くも変わってゆくんだろう。

手遅れとは思わない。
これから、もっとこの街の風景を撮っていこうと思う。
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神輿渡御

2015年09月20日 | 徒然
今日は瀧野川八幡神社の祭禮です。
氏子十三町会の神輿が一斉に八幡神社に集まりました。

(八幡神社)

三軒家地域では、午後に四町会の神輿が幹線道路である明治通りや
旧中山道の滝野川銀座通りを渡御しました。

(明治通りを渡御)

(旧中山道)

今年の祭りもこれで終わり。
祭りのあとの寂しさが、間も無くやってきます。

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宵祭り

2015年09月19日 | 徒然
北区滝野川の三軒家地区(旧中山道沿いの尾根筋)は、明日の瀧野川八幡神社の祭禮の
前夜祭とも言える宵祭りです。

昔から、この地区の4町会が連合して神輿渡御を行います。



その町会の一つ、上町が中心となる滝野川銀座通りでは、宵祭りが祭りの前日に行われます。



毎年恒例のどじょうすくいが、今年も開催されましたが、
捕まえたどじょうは、果たして飼われるのか喰われるのか…



なおこの地域、どじょうは名産でも祭りのときに食べる風習もありません。
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神宮外苑イチョウ並木

2015年09月18日 | 東京のお散歩
神宮外苑のランドマークでもあるイチョウ並木は
明治四十一(1908)年に新宿御苑で採取した種子を南豊島御料地の苗園に植え
南豊島御料地が明治神宮境内となった直後の大正十二(1923)年に、
樹高6m程度になった1600本ほどの中から選ばれ
9m間隔146本が、青山通りから絵画館前の円周道路まで
樹高順に青山通り側から植えられています。





地盤も青山通りと絵画館前では1mの比高があり
これによって、300mの並木道は、それ以上の長さがあるように見える
視覚効果を生み出しています。






晩秋には散ったイチョウの葉が、並木道を金色に彩ります。
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日本青年館

2015年09月17日 | 東京のお散歩
明治神宮造営に関して、勤労奉仕にあたった青年団に対して
ときの皇太子(のちの昭和天皇)から功績を讃えられたことから
全国の青年団から建設の声があがり大正十四(1925)年に造られたのが日本青年館です。

(在りし日の日本青年館)

その後昭和五十四(1979)年に改築された二代目の日本青年館は
今年の春を以って閉館し、現在は三代目を建設すべく、
二代目の建物を解体中です。

(解体中の日本青年館と国立競技場)
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秩父宮ラグビー場

2015年09月16日 | 東京のお散歩
皇室との縁の深い神宮外苑のスポーツ競技場で唯一、宮号が冠された競技場が
秩父宮ラグビー場です。



この競技場の所有者は独立行政法人日本スポーツ振興センターで
国立霞ヶ丘競技場の施設の一部という位置づけになっています。

元々この場所には女子学習院がありました。
戦後は米軍に接収され駐車場として使われていましたが、
関東ラグビー協会や関係者が苦心し専用競技場の建設に漕ぎ着け、
昭和二十二(1947)年に東京ラグビー場として竣工しました。

昭和二十八(1953)年に日本ラグビー協会総裁であった秩父宮雍仁親王が薨去されると
競技場建設に尽力された殿下の名を冠し、秩父宮ラグビー場と改称されました。

この競技場も、オリンピック開催までに解体する計画となっています。
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