大塚先儒墓所

2017年10月31日 | 東京のお散歩
大塚先儒墓所は、文京区大塚にある江戸時代の儒学者の墓所で儒教式で祀られています。

現在、管理などは隣接する吹上稲荷が行っていますが、祭祀については斯文会が行っています。
(公益財団法人斯文会:湯島聖堂を保存管理している団体)


元々この地は、二代将軍秀忠やその弟(家康の十一男)で初代水戸藩主の頼房の儒師、
人見卜幽軒(卜幽、字は道生)の邸宅があった場所で、卜幽の没後、この地に埋葬されたことが
儒学者の墓地となった始まりとされています。


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吹上稲荷神社

2017年10月30日 | 東京のお散歩
大塚の吹上稲荷は、元和八年(1622)、二代将軍秀忠が日光山から御神体を賜り、
江戸城吹上御殿(現在の皇居御所)に「東稲荷宮」として祀ったのが最初とされています。

綱吉の代に、一橋に遷座し、その後も小石川の水戸分家松平大学屋敷(現在の教育の森)、
善仁寺(小石川)、護国寺などに遷座し、明治四十五年(1912)に、現在地に鎮座しました。

現在の社地の裏手は、皇族の墓地である豊島岡御陵の森となっています。

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目白台 富士見坂

2017年10月29日 | 東京のお散歩
日本女子大近くの目白台から、南蔵院に向かって下って行く急坂が富士見坂です。

途中、左に分岐する日無坂は勾配が異なり、階段状になっています。

その名からわかるように、富士山を望むことができた坂ですが
現在はほぼ見えない状態で、変わりに新宿の高層ビルの夜景が美しく望めます。

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雑司ヶ谷

2017年10月28日 | 東京のお散歩
雑司ヶ谷という地名の由来は、南北朝時代に朝廷で雑司をつとめた
柳下、長島、戸張の各氏らが官を辞して、弦巻川の谷のこの地に移り住み
そのまま土着したことと謂れています。

弦巻川は池袋駅南西側の、現在の東京芸術劇場付近を水源とする川で
源頼家が奥州遠征の帰路、この川で弓の弦を巻いた事に由来していますが
「ツル」や「ツルマキ」という言葉は、元々急流の川を指す言葉でもあり
実際、水源からそれほど距離もない雑司ヶ谷の谷が深いことを考えると
源頼家の説には、疑問が残る部分もあります。


(弦巻川の暗渠)



(古い商店も多く残る雑司ヶ谷)
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雑司ヶ谷 大鳥神社

2017年10月27日 | 東京のお散歩
雑司ヶ谷大鳥神社は、もともと鬼子母神の境内に鎮座していたもので
正徳二年(1712)に、鷲神社として祀られていたものでした。

明治に入り、神仏分離令により鬼子母神境内から現在地に遷座し、
昭和初期に社地北側を流れる弦巻川の暗渠化によって、社殿配置を変更しました。

長らく、鳥居前を走る都電は弦巻川の谷を越える急勾配の専用軌道でしたが
明治通りのバイパス路の工事によって、都電の勾配緩和と併用軌道化が行われ
門前の風景も変わりつつあります。




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雑司ヶ谷 清立院

2017年10月26日 | 東京のお散歩
雑司ヶ谷の御嶽山清立院(清龍院)は、始め真言宗清龍寺として創建されたもので
のちにこの付近の村を疫病から救った雲水(修行僧)が、日蓮像を寺に遺した事から
法明寺とともに日蓮宗に改宗したといわれています。

この寺院に安置されており、山号の由来にもなっている御嶽蔵王権現像は
古くから雑司ヶ谷の鎮守とされていて、本立寺とともに兼帯していたとされています。

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南池袋 本立寺

2017年10月25日 | 東京のお散歩
南池袋の清慶山本立寺は日蓮宗の寺院で、江戸時代元和四年(1618)の創建です。
文政十一年(1828)に法明寺の末寺となり、山主の隠居所となりました。
(のちに久遠寺末となりました)

播磨姫路侯榊原政邦の生母である延寿院が埋葬された事から、榊原家の帰依を受け
榊原政岑が身請けした吉原の名妓、高尾のものとされる墓もあります。

なお、これがもとで政岑は蟄居、嫡男政純は家督相続の上、越後高田へ転封させられました。

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本納寺

2017年10月24日 | 東京のお散歩
威光山法明寺の近く、妙永山本納寺は、法明寺二十二世實蔵院日相が
慶安三年(1650)に創建した寺院で、蜀山人揮毫による月花塚や
舞台芸術学院初代学長の秋田雨雀の墓などがあります。

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鬼子母神出現所

2017年10月23日 | 東京のお散歩
威光山法明寺鬼子母神堂(雑司ヶ谷鬼子母神)に祀られている鬼子母神像は、
現在の護国寺近くにある鬼子母神出現所と呼ばれる清土鬼子母神(お穴鬼子母神)から
室町時代の永禄四年(1561)1月16日に、雑司役柳下若狭守家臣山村丹右衛門が掘り出し、
その像の存在を池水の光で示した星の井(星跡の清水)と呼ばれる三角井戸で清めた後
東陽坊(後に大行院改称し、法明寺に合併)に納めたものです。

清土鬼子母神は、雑司ヶ谷鬼子母神ほど知られてはいないものの、
御会式の際には万燈行列の出発地にもなり、今でも講や地元の進行を集めています。



(清土鬼子母神入口)



(清土鬼子母神本堂)



(鬼子母神像を清めた井戸)
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雑司ヶ谷鬼子母神

2017年10月22日 | 東京のお散歩
雑司ヶ谷鬼子母神は、威光山法明寺の飛地境内で、室町時代に掘り出された鬼子母神像を
稲荷の森呼ばれていたこの地に草堂を建立し、祀ったのが始まりとされています。

本殿は寛文四年(1664)、拝殿は元禄十三年(1700)の建立で、国の重要文化財に指定されています。



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法明寺

2017年10月21日 | 東京のお散歩
南池袋の威光山法明寺は、日蓮宗の寺院ですが、元は真言宗とも天台宗とも言われ
鎌倉時代に、日蓮の弟子である日源によって、日蓮宗に改宗しました。

有名な雑司ヶ谷鬼子母神は、この寺院の飛地境内です。

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威光稲荷尊天

2017年10月20日 | 東京のお散歩
池袋の路地裏、南池袋の東通りから墓地脇の細い道を進むと
威光稲荷尊天がひっそりと佇んでいます。

お稲荷さんながら、神社ではなく日蓮宗法明寺の境内にある堂宇の一つで
平安時代に慈覚大師円仁が武蔵野を行脚している際に、雑司ヶ谷の森で
一条の光を見つけ、その場所へ辿り着いてみると素晴らしい光明の稲荷尊神が現れ
威光稲荷と銘とともに堂宇を建立して、安置したことが由縁とされています。

鬱蒼とした森に向けて、いくつもの鳥居が並び、幾度も矩形の道を曲がる境内は
池袋の片隅とは思えないほど、静寂と荘厳さに満ちて、神秘的な雰囲気を醸し出しています。






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御会式万燈練供養

2017年10月19日 | 東京のお散歩
御会式は、日蓮の命日である10月13日の前後に行われる法要ですが
雑司ヶ谷の法明寺では、毎年10月16日から3日間の日程で
法要とそれに伴うお祭りが行われます。

古来、提灯に火を灯し、団扇太鼓を叩きながら参詣する風習だったものが
次第に提灯の装飾などが華やかになっていきました。
また近代以降、町火消しが御会式に参詣するようになった事から、
団扇太鼓や提灯の行列に纏が加わるようになりました。

雑司ヶ谷鬼子母神で知られる法明寺では、万燈行列が2日間に亘って行われます。
1日目の17日には、鬼子母神出現所から法明寺までを練り歩き
2日目の18日には、池袋駅東口のロータリーから千登世橋を経由して法明寺まで
夕刻から深夜にかけて、団扇太鼓の音が雑司ヶ谷の街に響き渡ります。

御会式が終わると、池袋界隈は冬支度が始まります。

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常盤の清水

2017年10月18日 | 東京のお散歩
谷保天満宮の本殿裏手、厳島神社の更に奥に、常盤の清水と呼ばれる湧水があります。

江戸時代の延宝年間に、筑紫のある僧侶が谷保天満宮に詣でた折に

常(とことは)に 湧ける泉の弥多(いやさや)に
神の宮居の 瑞垣となせり

と詠った事に由来し、常盤の清水と呼ばれるようになったとされています。

この場所は、立川崖線と青柳崖線が合流する場所にあって、それ故に湧水量も多く
今まで枯れたことがなく、また、今でも高い透明度の水が湧き出ています。



(常盤の清水)



(湧水が厳島神社の池を潤す)



(豊富な湧水量の常盤の清水)



(湧水が斜面を下ってゆく)
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谷保天満宮

2017年10月17日 | 東京のお散歩
谷保天満宮は、東日本最古の天満宮で、交通安全祈願発祥の地として知られています。

昌泰四年(901)に、菅原道眞公が太宰府に左遷させられた際に、第三子である菅原道武が
分倍庄(現在の谷保)に配流させられ、延喜三年(903)に菅公が亡くなると
道武公が父を思い、天満宮を創建したのが由緒の神社です。

元々は、中央高速道路国立府中インター付近に社地がありましたが
養和元年(1181)に現在地に遷座しました。

明治四十一年(1908)、有栖川宮威仁親王殿下のご先導で「遠乗會」と称された
いわゆるドライブツアーが日本で初めて催され、その目的地が谷保天満宮であり
到着後、昇殿参拝し無事帰京されたことから、交通安全祈願発祥の地とされるようになりました。





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