2022年撮影
三途の川で亡者の衣服を剥ぎ取る「葬頭河の婆(そうづかのば)」(奪衣婆)が訛って「しょうづかの婆さん」と呼ぶようになったと言われ、歯の痛みを治し容貌を美しくする霊験があるとされる川崎大師の女性に人気のパワースポット。その昔は、品川のお台場にあったといわれています。
川崎大師(金剛山金乗院平間寺)では、御本尊の厄除弘法大師の大開帳奉修が行われています。
これは10年毎に行われる御開帳で、あわせて赤文字で南無阿弥陀仏と書かれた赤札の授与も行われています。
京急線金沢八景駅脇の金沢八景権現山公園。
万治年間(1660年前後)に、当地の代官・八木次郎右衛門が東照宮を勧請し(権現山の由来)、その別当として建立された円通寺(慶応4年の神仏分離令によって廃寺)の、客殿が復元されています。
平成三十一年から3年近くかけて復元工事が行われ、令和四年の公園開園と同時に一般公開されました。
鶴見の工場街を走る鶴見線。
今までは他所のお古の電車がやってくることでおなじみだったこの路線にも
ついに完全な新車が走り始めました。
沿線住民や通勤利用者も写真を撮ったりしていたようです。
知る人ぞ知る、改札から出られない海(正確には京浜運河)沿いの駅、鶴見線海芝浦支線の終点、海芝浦駅。
昭和十五年11月に鶴見臨港鐵道の駅として開業して以来、東芝(芝浦製作所)の京浜事業所(大型タービンなど発電設備を製造している)のための駅として
1日のべ3000人ほどの乗客が利用しているようです。
京急線逗子•葉山駅からすぐの場所に鎮座する亀岡八幡宮。
創建年代は不明ですが、江戸時代寛文十一年(1671)建立の庚申塔などが遺されています。
現在の社殿は大正八年(1919)に創建されたもので、令和元年には改築百年祭が行われました。
古くから逗子の鎮守として祀られていましたが、神仏分離令(神仏判然令)やその後の廃仏毀釈によって
明治六年(1873)に延命寺の下を離れ、村社に列格されました。
亀岡の社名は、この地が亀の甲のようになだらかな丘(土地柄、当然ウミガメの甲羅と思われる)だった事と
鎌倉の鶴岡八幡宮と、鶴亀で対にするべく縁起をかついだ事から名付けられたと言われています。
江の島大師は、高野山真言宗の単立寺院、烏帽子山最福寺(鹿児島市)の関東別院として、
平成五年(1993)に池口恵観が開山した仏教寺院です。
かつて神仏習合によって金亀山与願寺となっていた江島神社が、廃仏毀釈によって神道のみとなり
仏教寺院としての与願寺が廃された明治六年(1873)以来の仏教寺院建立となりました。
江島神社龍宮(わだつみのみや)は、奥津宮より更に奥にあって
江ノ島における信仰の発祥地と謂われる岩屋の真上に位置しています。
平成六年(1994)に創建されました。
宗像三女神のうち一番の姉である多紀理比賣命を祀る江島神社の奥津宮は、かつては本宮御旅所と呼ばれ、岩屋本宮に海水が入り込む夏の間の「神様の避暑地」でした。
八方睨みの亀
荘厳を極めた社殿を有していたと伝えられていますが、天保十二年(1841)に焼失し、翌年再建された入母屋造りの社殿が現在も遺されています。
昭和五十四年(1979)に屋根を、平成二十三年(2011)には本殿が改修されました。
拝殿の天井には、酒井抱一によるどこから見てもこちらを睨んでいるように見える「八方睨みの亀」が描かれています。
ただし現在拝殿に描かれているものはレプリカで、実物は社務所にて保存されています。
こちらの絵は平成六年(1994)に、日本画家片岡華陽氏の手で復元され、藤沢市の有形文化財に指定されています。
拝殿
拝殿から本殿を望む
拝殿から本殿を望む
八方睨みの亀
江島神社の中津宮は、元の上之宮で市寸島比賣命を祀っています。
仁壽三年(853)、慈覚大師円仁が創建し後に元禄二年(1689)、将軍綱吉によって現在の社殿が再建されました。
平成八年(1996)に大改修、平成二十三年に一部改修が行われ、元禄当時の鮮やかな朱色が復元されています。
江島神社辺津宮は、古くは下之宮と呼ばれた社殿で、田寸津比賣命を祀っています。
建永元年(1206)に源実朝(3代将軍)によって創建されました。
現在の社殿は延宝三年(1675)に再建され、昭和五十一年(1976)に改修された権現造となっています。
日本三大弁天の一つ、江島神社(江嶋神社)は、一説に欽明天皇十三年(552年?)に、勅命により島の南側の海蝕洞内に創建したと伝えられ
また一説には寿永元年(1182)源頼朝の命によって文覺上人が岩屋に弁財天を勧請し、これを以て創建とするとも伝えられています。(吾妻鏡)