赤羽台にある法善寺は、交番の名前や交差点名、バス停名にもなっている寺ですが
その開基は大正十二年と比較的新しい寺です。
前身は慶長十四年、江戸に野村了賢によって建立された寛慶山常福寺という寺院で
寛永時代に本願寺から現在の寺号である法善寺の名を授かり、神田の地に定まりました。
その後、大火によって類焼した際、幕府より寺地が寄進された本願寺別院とともに
浅草の地に移転し、同じ敷地内にありましたが、文化九年に浅草清島町に再移転しました。
時代が下って大正時代に、東京市の市区改正によって移転を余儀なくされ
赤羽の地に土地を求めましたが、関東大震災によって都市計画は白紙となり
法善寺は浅草に残ることになりました。
昭和三年に、陸軍弾薬庫の拡張に伴って、すでに取得していた赤羽の寺地は
陸軍被服廠跡の現在地に移転し仮本堂を創建しました。
戦後、真宗大谷派に属しましたが、その後独立し、え東京本願寺を本寺とする
浄土真宗東本願寺派赤羽山法善寺となりました。