亀井院

2020年11月30日 | 千葉のお散歩
手児奈霊神堂に隣接する亀井堂は、弘法寺十一世日立が貫主の隠居寺として
弘法寺の子院のひとつとして江戸時代に建立されたと言われていて
古くから清水が湧いていたことから瓶井院と呼ばれていました。

後に弘法寺大檀那鈴木長常を葬り鈴木院と呼ばれるようになりましたが
後に井戸から霊亀が出現する言い伝えから、亀井院と再び改称されました。

北原白秋は、この寺の庫裏に1ヶ月ほど暮らしていました。






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手児奈霊神堂

2020年11月29日 | 千葉のお散歩
市川市真間には古くから一人の美しい女性の伝説があります。

万葉集にも歌われたその女性の名は手児奈。
その美しさ故に、真間の海(当時真間は海だった)に入水することになり
これを悲しんだ人たちによって、求法寺(伝行基開)に祀られました。

求法寺はのちに空海によって伽藍が整備されて弘法寺と改称し
事もあろうか天台宗に改宗の後に日蓮宗に再改宗しました。

手児奈霊神堂は、弘法寺の堂宇の一つとして現在も手児奈を祀っています。









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市川の松のある風景(京成線国府台から菅野まで)

2020年11月28日 | 千葉のお散歩
京成線の市川真間から菅野にかけては、古くは国府台付近まで入江が入り込み
その砂州の上に松林が広がる風光明媚な土地だったと伝えられています。

万葉集にも登場する真間は、上代の言葉で崖線を意味する「ママ」の事と思われ
これは国府台の崖線を意味していると考えられます。
国府台は、その名の通り下総国庁が置かれた場所で、和洋女子大あたりには
国衙の遺跡と思われる遺構も出土しています。
また、国分寺も残っています(現在は真言宗豊山派寺院)。

近代以降は、日本橋あたりの大店の旦那の別荘や隠居先として好まれ
後には隣接する菅野に永井荷風や幸田露伴・文親子などが住み
真間(のちに須和田)には郭沫若が住んでいました。
また昭和末期から平成初期にはさだまさしも住んでいました。

現在でも、街の至る所に松の木が植えられ、閑静な趣が残されています。



国府台の崖線(真間山弘法寺)



松並木のある住宅街


車一台ギリギリの道が閑静さを保っている

未舗装の道も残っている



永井荷風が晩年を過ごした菅野

市川真間の駅前

東京都から川一本隔てた最初の駅、国府台



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坂戸の聖天宮の写真

2020年11月27日 | 写真



















先日参拝してきた聖天宮の写真です


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長元寺

2020年11月26日 | 東京のお散歩
銀杏並木の本郷通りで、一際黄葉が美しい長元寺は、日蓮宗の寺院で
山号を高耀山と号する寛永四年(1627)創建の寺院です。

開基は加賀の前田吉徳が母、預玄院(三田村定長女、前田綱紀側室 町)。
開山は谷中の感応寺中興の日長上人で、当初は千駄木に創建されましたが
寛文二年(1662)寺領が掛川太田侯下屋敷となったため(現在の日医大付近)、
150mほど西側の向丘の現在地に移転しました。

江戸時代を通じて、加賀前田家の江戸における菩提寺でした。



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憂国忌

2020年11月25日 | 季節
50年前の今日、三島由紀夫と楯の会メンバーが自衛隊市ヶ谷駐屯地において
益田陸自東部方面総監を人質に、バルコニーで憲法改正の演説ののち
三島由紀夫と楯の会メンバーのうち森田必勝が割腹自殺を遂げました。

三島由紀夫の命日であり、三島事件(楯の会事件)のあった今日11月25日を
多くの文化人らが発起人となって豊島公会堂において追悼会が開かれ
これを起源として翌年の命日(一周忌)に九段会館で憂国忌が行われました。

三島由紀夫(彰武院文鑑公威居士 俗名平岡公威 昭和40年11月25日沒 45歳)

川端康成を葬儀委員長として
告別式が行われた築地本願寺

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浄心寺

2020年11月24日 | 東京のお散歩
本郷・向丘の浄心寺は浄土宗の寺院で、山号を湯嶋山、院号常光院と号します。

開基は徳川家康の中間頭だった畔柳助九郎武重、開山は還蓮社到誉文喬和尚で
最初は駿府に創建されました。

家康の没後、駿府詰だった畔柳武重は江戸・湯島天神前三組町に移り
浄心寺も元和二年(1612)、畔柳邸近くの妻恋坂に移りました。

明暦の大火によって焼失したため、現在地に移されました。

本郷通りに面して、大きな布袋尊像が奉安されています。







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だんしがしんだ

2020年11月23日 | 東京のお散歩
5代目立川談志(本当は7代目)立川流家元が亡くなってから
一昨日で数え10年が経ちました(2011年11月21日没)。

師匠の墓は、生地に近い浄心寺本郷さくら霊園にあり
戒名「立川雲黒斎家元勝手居士」と俗名が右側(参拝者から見て左)に
正面には「立川談志」と、立川流の定紋丸に左三蓋松が刻されています。




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信号機滅灯時対応訓練

2020年11月22日 | ご近所
今日は警視庁の防災訓練が随所で行われました。

国道17号線白山通りと、明治通りの交差点である西巣鴨交差点でも
訓練による通行止め解除のあと、停電などで信号が消えた場合などの
警察官の手信号の訓練が行われました。




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植村冒険館

2020年11月21日 | 東京のお散歩
1984年2月13日、前日に43歳の誕生日を迎えた世界的冒険家植村直己は
アラスカの北米最高峰デナリ(6190m 旧称マッキンリー)冬季単独登頂の後
大量の装備を雪洞に遺したまま、消息を絶ちました。

植村直己は結婚前から板橋区に住み(夫人のご実家も仲宿にあった)
この縁から板橋区は彼の精神を後世に伝えるため植村記念財団を立上げ
1992年に都営三田線蓮根駅近くに植村冒険館を開館させました。

彼の遺品や写真などが常設・企画併せて展示されています。

なお今年は植村が日本人として初めてエベレストに登頂して50周年で
12/6までは「植村直己と遠征隊とエベレスト」の企画展が行われています。

10:00〜18:00(入館は17:30まで)
入場無料
月曜休館(月曜祝日の場合は開館し翌日休館)


冒険館の外観(板橋区蓮根2-21-5)

筆者秘蔵の植村本人揮毫の色紙

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北野神社の合格鳥居

2020年11月20日 | 東京のお散歩
阿佐ヶ谷の神明宮の境内社である北野神社。

菅原道真公を祀る天満宮で、つまりは言わずと知れた学問の神様です。

この天神さんの鳥居は一般的な「开」形ではなく、五角形も形をしています。
名付けて「合格鳥居」。

受験生に効果ありそうなパワースポットです。





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阿佐ヶ谷 神明宮

2020年11月19日 | 東京のお散歩
阿佐ヶ谷駅の北側に鎮座する神明宮は、鎌倉幕府成立頃の創建で
其の頃の土豪横井(横川?)兵部が伊勢の神宮参拝の折、霊示を受け
神宮式年遷宮お白石持行事に使用される宮川の霊石を持ち帰り
神明宮奉安し御神体としたと言われています。
(考古学的には御神体の石は縄文時代後期の磨製石器とも推定されています)

江戸名所図会によればヤマトタケル東征の帰途、阿佐谷で休息し
その事から後に村人が一社を設けたとも伝えられており
この場所は現在の社地より北にあって「お伊勢の森」と呼ばれています。

















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聖天宮

2020年11月18日 | 埼玉のお散歩
東武東上線若葉駅から2.5kmほど北東に進んだ、坂戸市塚越の戸宮交差点近く。
荘厳にして絢爛な台湾の道教廟、聖天宮(せいてんきゅう)が鎮座しています。

台湾人の康國典大法師が四十半ばで不治の大病を患い、三清同祖に祈ったところ
7年の時を経て快癒し、その深謝と多くの人が三清同祖のご利益に肖れるようにと
廟の建立地を探していたところ、台湾から遠く離れた日本の
しかも埼玉の坂戸の、まだ周辺に駅もない現在地に建てよとお告げがあり
昭和五十六年(1981)に着工、台湾の一流宮大工達が15年の歳月をかけ
平成七年(1995)に開廟した台湾道教の宮です。

龍の彫刻や絵が五千頭いる事から「五千頭の龍が昇る聖天宮」と呼ばれています。

本殿には三清道祖(元始天尊・道徳天尊・霊寶天尊)を御本尊として
北斗星君、南斗星君、四聖大元帥など多くの道教の神様が祀られています。












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東京都立大学の紅葉

2020年11月17日 | 東京のお散歩
今年春に首都大学東京から改称した東京都立大学。
その荒川キャンパス前の紅葉は、今が見頃です。





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正覚寺世尊院

2020年11月16日 | 東京のお散歩
阿佐ヶ谷駅北側の駅前にある真言宗豊山派寺院の阿谷山正覺寺世尊院。

中野の宝仙寺が阿佐ヶ谷にあった頃に子寺として創建されたとされています。
室町時代に中野へ宝仙寺が移転したあとも世尊院はこの地に残りました。

昭和時代に、都道427号瀬田貫井線の中杉通り(新道)開通に伴って
境内が東西に分断されてしまいました。

山門、本堂は神明宮側(中杉通り東側)に移築されています。





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