静か…
安倍さんの国葬へ参列された、カタールのシェイク・タミーム・ビン・ハマド・アール・サーニ首長殿下の搭乗する
カタールアミリフライト(カタール王室及び政府高官専用国営航空会社)のB747-8。
謎というほどの施設ではないのですが、VIP用の建物で、
天皇陛下や皇族の方々のご公務、首相の外遊や国賓に使用する
待合室兼搭乗口となっています。
この建物の前はV1・V2という、VIP搭乗機の駐機スポットで
政府専用機はここに駐機するようになっています。
首都高5号線東池袋出口への最後のカーブ手前の分岐の右側。
関係車両以外進入禁止のスロープは、実はサンシャインシティへの搬入出荷捌き場への道路なのです。
1階にはバスターミナルがあるため、例えば文化会館での展示会、展覧会の設営撤収などでこの荷捌き場を使用します。
私も過去に荷捌きに立ち合ったことがありますが、この為だけにわざわざ10t車を明治通り経由で中環滝野川出口まで持っていき
そこから板橋、熊野町経由で改めてサンシャインへつけるという、首都高を儲けさせるだけのような事をしました。
套堂は、幕末の福井藩士で主君松平春嶽を助け、一橋慶喜擁立運動や幕政改革を主導した橋本左内の墓所で
もとは小塚原回向院の境内入口にあったものを、境内整理のために套堂が荒川区に寄贈された建物です。
昭和八年(1933)、左内の墓を保護するため建築家原田正の設計、歴史学者黒板勝美の助言、伊東忠太の監修で造られました。
現在は荒川区荒川ふるさと文化館に復元移設されています。
三遊亭圓窓師匠が亡くなられました。
これで圓生師匠の直弟子はみなさん鬼籍に入られたわけで
それでもご自身が「寿命」と考えた歳を20歳近く超えて
最期まで精力的に活動されていました。
合掌
隅田公園(墨田区側)に鎮座する本所の総鎮守、牛嶋神社。
貞観年間に慈覚大師円仁によって創建されたと謂れ、当初は牛御前社と称していました。
鎌倉時代には源頼朝の隅田川渡河の際に千葉常胤が祈願し無事を得た事から、以降千葉氏の崇敬を集めました。
関東大震災での罹災からの復興と、堤防拡張工事によって、昭和七年(1932)、現在桜橋の東詰
弘福寺隣接地から、旧水戸徳川家藩邸跡で、震災復興公園として整備された隅田公園の現在地に遷座しました。
向島の三囲神社。
お稲荷さんを祀る神社で、元は牛嶋神社の隣に鎮座していて、田中稲荷と呼ばれていました。
創建年代は不明ですが、言い伝えでは近江の三井寺の僧源慶がこの地で小さな祠の謂れを耳にして、
社の改築しようと土を掘ったところ、右手に宝珠、左手に稲を持って白狐に跨った老爺の神像の入った壺が出土し
このときどこからともなく白狐が現れて、その神像の周りを3回廻ってから死んだことから、
三囲(みめぐり)と呼ばれるようになったと言われています。
松阪の豪商、三井家が江戸へ進出した際には、越後屋の本拠である江戸本町からみて鬼門の方角にあることと
「三井」の文字の井の字が口で囲まれ、三井を守ると解釈したことから、江戸における守護神となり
後に三越デパート各店にも分社が置かれ、現在も三井グループ各社総務部が分社の祭礼を行っています。
この縁で、閉店した池袋店のライオン像が、狛犬と並んで安置されています。