鷲宮神社

2016年11月30日 | 埼玉のお散歩
久喜市にある鷲宮神社は、関東最古の神社と伝えられ
お酉さまの本社ともされる神社です。

関東最古とされる史実的根拠はありませんが、社伝によれば
神代に天穂日命とその供奉者の出雲族らによって、東国経営のため
この地の鎮守として創建されたとしています。

また、一説には崇神天皇の時代に、河内から東国へ移った土師氏が
利根川(当時の流路は現在の荒川放水路である旧中川ないし隅田川)を上り
この地に上陸、移住した際に先祖を祀ったともされ、
そのために「土師の宮」とも称されています。

何れにしても中世には関東総社とされ、東国武士の崇敬を集めていたので
関東最古級の神社であることは間違いありません。

また近年では、アニメの舞台として知られる様になり、土師祭りでは
「らき☆すた神輿」が渡御するなど、アニメファンの参詣も増えています。


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仙川の人工河川部

2016年11月29日 | 東京のお散歩
多摩川水系野川の支流である仙川は、天然の河川としては、
三鷹市にあった丸池という湧水池を水源として流下する川ですが
それより上流部は人工的に開削された河川として遡る事ができ
小金井市貫井北町に、その上端が定められています。

現在では、その源流は失われて川も干上がってしまっているものの、
排水路として、雨上がりなどには若干の水が流れているのを見る事が出来ます。

かつては流路に湧水も多く、それなりに流量も多かったと思われますが
周辺の宅地化で生活排水が増え、流れているといっても、
ドブ川の様な状態だったようです。

そのため、小金井用水などから取水し、劣悪すぎる水質を
多少なりとも浄化させようともしていたそうです。




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荒玉水道道路

2016年11月28日 | 東京のお散歩
荒玉水道道路は、杉並区梅里から世田谷区喜多見までの
全長8.979kmの道路です。

特例都道で、正式には都道428号高円寺砧浄水場線と呼ばれ
道路直下には荒玉水道の導水管が埋設されていて、その保護のため
大型車などの通行制限が設けられています。

荒玉水道は、大正末期から昭和初期にかけて、東京府内西部の
中野・野方・和田堀・杉並・落合・長崎・板橋・滝野川
西巣鴨・巣鴨・高田の13町に上水を配水するために
多摩川と荒川から取水する上水道として作られました。

計画段階で、荒川の水が上水に適さない(満潮時に海水が遡上し
塩分濃度が高くなる)事がわかり、砧から中野区野方と、
板橋区大谷口の配水塔へ送水する水道として完成しました。


(荒玉水道道路)

(配水塔を模して作られた現在の大谷口給水所)
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柳瀬川の一口メモ

2016年11月27日 | 埼玉のお散歩
柳瀬川は、東京都西多摩郡瑞穂町と、狭山湖(山口貯水池)内の沢などを水源として
埼玉県志木市で新河岸川に合流する、延長26.8キロメートルの一級河川です。

この川は黒目川や入間川などとともに、古多摩川の流路と考えられており
武蔵野台地の扇状地を形成した河川とされています。

古多摩川は、青梅付近から東に流れ、現在の柳瀬川や黒目川流路を流れ
古荒川(現在の古利根川流路付近から綾瀬川、古隅田川付近)に合流し
古東京川として浦賀沖で海に注いでいました。

浦賀水道の海底にある深い侵食谷は、その時に形成されたものと思われています。

約2万年から1万3千年に活動した立川断層によって、古多摩川は切り離され
現在の多摩川の流路へと変わり、古多摩川は別の水源をもつ
幾つかの荒川水系の小河川として、残りました。

柳瀬川は、そんな「名残川」として、今でも狭山湖の水のうち
東京都水道局に取水されなかった水と、水再生センターからの水、
流域の湧水などを合わせて、流れています。
(狭山湖の湖底には、今でも柳瀬川の流路の谷が残されているそうです)


(柳瀬川を渡り柳瀬川駅に進入する東武東上線)
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伝右川

2016年11月26日 | 東京のお散歩
足立区北部、草加市との境を流れる伝右川は、さいたま市を水源に
川口市や草加市を流れ、毛長川と綾瀬川の二つの川と合流する
足立区花畑付近で、ちょこっとだけ都内区間のある川です。

自然河川ではなく、埼玉方面の新田開発の為に寛永年間に開削された用水路で
かつては伝右衛門堀と呼ばれていました。

以前は水田地域の悪水排水路だったものの、宅地化が進むと
開渠の幹線排水路として使われるようになりました。

このため、毛長川・綾瀬川合流地点には、排水機場が設けられています。



(伝右橋)
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太宰の愛した三鷹人道跨線橋

2016年11月25日 | 東京のお散歩
中央線三鷹駅と武蔵境駅の間に、電車の車庫(三鷹車両センター)を跨ぐ
全長90mの、陸橋と呼ばれる跨線橋が架けられています。

この跨線橋は、昭和四年に竣工した古レールを利用した人道橋で
三鷹電車庫(後に三鷹電車区)ができたことで、この地域が南北に分断されぬよう
人道橋として架橋されました。

晩年、三鷹に棲んだ文豪太宰治も、この橋を愛していて、
この橋に来ては電車を眺めたり、富士(太宰なら富嶽というべきか)を望んだり
時には橋の上で故郷津軽を思ったりしていたそうです。



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初雪

2016年11月24日 | 徒然
今日、東京では昭和三十七年以来、54年ぶりに11月に初雪が降り
明治八年に観測統計を開始して以来初の積雪を観測しました。

昭和三十七年というと、世に言う三八豪雪(サンパチ豪雪)のシーズンで
その後の五六豪雪、五九豪雪でも、ここまで早い初雪かつ積雪はありませんでした。

今年は、雪の多いシーズンになるのでしょうか。

(今朝、植木に積もった雪)

(五九豪雪の際の赤羽線板橋駅)
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滄浪泉園

2016年11月23日 | 東京のお散歩
東京都小金井市の国分寺崖線上に、そのハケ(崖)を利用した庭園があります。

明治・大正の三井銀行役員で、外交官、衆議院議員なども歴任した
波多野承五郎氏の別邸で、この庭園を訪れた犬養毅元首相によって
滄浪泉園と名付けられました。

庭園は、ハケの湧水を用いた作りで、現在は近隣の開発で面積は縮小したものの
湧水の質は東京の名湧水57選にも選ばれるほど良質で、豊かな水量が
ハケ下の池を潤しています。

















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花畑鷲神社

2016年11月22日 | 東京のお散歩
明日は二の酉です。
酉の市は、浅草・千束の鷲神社(発祥は隣接する長國寺)や
新宿の花園神社が有名ですが、足立区花畑の鷲神社は、
酉の市発祥の神社として、交通の便が悪いながらも
多くの参詣客で賑わっています。



神社の創建年代は不明ですが、平安時代後期の後三年の役で
東北へ向かう源義光がこの地で木の根元に光るものを認め
取り出してみると鷲の背に釈迦の乗った鷲明神の尊像で
それを手にした時、傍を流れていた川が、源氏の白旗のように
「花また綾に」光ったことから、この地を「花俣(花又)」
と名付け、傍の川を「綾瀬川」と名付けたとの事です。

その鷲明神は、後三年の役の後にこの地で祀られ、鷲神社となりました。

花畑と地名が変わったのは、近隣の村が合併した明治時代で
花又の美称化で花畑とされました。

酉の市の起源は、鷲神社の祭神である日本武尊が、東征の際に
鷲宮神社(埼玉)で戦勝祈願を、祝勝を花畑の鷲神社の地で行った事に因み、
日本武尊の命日月である11月酉の日に祭りを行った事が始まりです。

その日に門前に市が並び、場所柄農機具などが多く売られ
特に熊手に縁起物を付け「福を掻き込む」としたことが
今日に連綿と続く酉の市になったという事です。











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万世橋駅

2016年11月21日 | 東京のお散歩
秋葉原駅近くに架かる万世橋は、昭和五年に架橋された橋です。

この橋の近隣には、かつて二つの駅がありました。

明治四十五年に開業した鐵道院(のちの国鉄、現:JR)萬世橋驛と
昭和五年開業の東京地下鐵道(のちの営団地下鉄、現:東京地下鉄)萬世橋驛です。

上記は中央線の東京延伸や関東大震災で規模が縮小し、
昭和十八年に営業休止となりました。
その後は交通博物館として利用され、博物館の大宮移転後は
商業施設として利用されています。



地下鉄銀座線の万世橋駅は、神田川のアンダーパス工事が完了した
昭和六年に早くも廃止となりました。
駅の遺構は線路際に遺されていますが、目に見えて判る遺構としては
エディオンAKIBA前の通風孔が、かつての駅出入口として
連結送水管に残る営団地下鉄のSマークとともに遺されています。







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新江戸川公園

2016年11月20日 | 東京のお散歩
新江戸川公園は、神田川近くにある文京区の公園。
もともとは、目白の台地上に建つ永青文庫や和敬塾の前身である
細川侯爵邸(熊本細川家下屋敷)の庭園の跡地です。

目白台の崖からの湧水を用いた池泉庭園で、鑓水を取り入れ
起伏を利用した狭い段丘面ながらも広がりのある風景が楽しめます。

長らく改修工事が行われていましたが、今年の初めに
庭園の一部を除いてリニューアルが完了し、美しい姿を
再び楽しめるようになりました。





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金綱稲荷神社

2016年11月19日 | 東京のお散歩
秋葉原駅から浅草橋方面に歩いて数分。
日本通運の隣に鎮座するのは、金綱稲荷神社です。

このお稲荷さんは、江戸の飛脚の祖である京屋弥兵衛が
道中安全を伏見稲荷に祈願していたところ、夢に現れた神霊より
金の綱を授かったことから、店に祀ったお稲荷さんに
金綱の名を冠して、崇めたことが始まりとされています。

現在の祭主である日本通運は、京屋の末裔ともいえ
今でも商売繁盛と道中安全のご利益に与っています。

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上野公園野外ステージ (水上音楽堂)

2016年11月18日 | 東京のお散歩
上野公園不忍池のほとりに建つ野外ステージは
最初、昭和二十八年に竣工しました。

その後、昭和六十三年に改築され今日に至っています。

客席の裏側には小さな滝などもあり、まさに「水上音楽堂」の風情です。



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柳森神社

2016年11月17日 | 東京のお散歩
秋葉原の南側、神田川のほとりに鎮座する柳森神社は、
太田道灌が江戸城の鬼門除けとして、長禄二年(1457)に
この地に多くの柳を植え、伏見稲荷を勧請したことに由来します。

境内には稲荷社と摂社を含め7つの社があり、
江戸時代から多くの参詣客で賑わったそうです。

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駒込 大圓寺

2016年11月16日 | 東京のお散歩
本郷・東片町の金龍山大圓寺(大円寺)は、上州館林の茂林寺十二世である
久山正雄大和尚によって、慶長二年(1597)神田柳原に開山しました。

半世紀ほどのちの慶安二年(1649)に現在地に移転し、以来「駒込大円寺」と呼ばれています。

この寺には焙烙(ほうろく)地蔵が安置されており、頭痛や悩み事などにご利益があるとされ
多くの人が地蔵尊に焙烙をお供えしています。

また、焙烙が俸禄に通じるとして、サラリーマンなども多く訪れているようです。

焙烙地蔵は、この寺が出火元となってしまった「お七火事(天和の大火)」で
最初の騒ぎの元である小火(これは消し止められた)を起こした八百屋お七が
鈴ヶ森で火炙り刑に処されたことに対して、その罪の身代わりとして建てられた地蔵尊で
享保四年(1719)の寄進と言われています。

境内には、最寄駅の一つである白山駅を通る都営三田線の終点である高島平の地名由来となった
高島秋帆の墓などがあります。





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