12分の1

2016年01月31日 | 徒然
今年も、早いもので1ヶ月が過ぎてしまいました。

今月はほとんど取材に出かけなかったので(仕事がない&寒いから)
なんだかスロースタートな一年になってしまいました。

とは言っても、都内の近場はぐるぐる回っていたので
写真はすでに500枚ほど撮影しているようです。

啓蟄までは、私も引きこもりがちでいようかなと
明日から2月のわりにネガティヴな今日この頃です。
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文房堂

2016年01月30日 | 東京のお散歩
神田神保町のすずらん通りに聳える画材店・文房堂。
明治二十年に創業した同店の建物は、大正十一年に造られた
歴史的建造物です。

関東大震災でも外壁は焼け残り、今日に建造当時の様子を遺しています。



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東京の地層

2016年01月29日 | 東京のお散歩
都内はコンクリートで覆われて、自然の崖はほとんど失われていますが
谷沢川の等々力渓谷や、石神井川のさくら緑地には
自然の露頭が残っています。

関東ローム層に下の、砂礫層や粘土層が観察できる
数少ない崖になっています。

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秋葉原の日本庭園

2016年01月28日 | 東京のお散歩
秋葉原電気街口。
以前、ラジオ会館3号館があった跡地に
所有者ダイビルの手による日本庭園が、昨年秋に出来ました。

コインパーキングに併設されている形になっていますが
中央総武緩行線の高架に面しているので、
歩道上からでも鑑賞することができます。

秋葉原に似つかわしくないような、マッチしているような
不思議な空間です。

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赤電話

2016年01月27日 | 徒然
昔は、公衆電話が街の彼方此方にあったものです。

赤電話をはじめ、青や黄、カード用の緑、喫茶店などの定番のピンクなど
用途によって数種の公衆電話がありました。

つい最近まで、ISDN通信のできるシルバーの電話も多くありましたが
スマートフォンの普及とともに、ほとんど見かけなくなりました。

それでも、まだまだ赤電話は頑張っています。
ダイヤルが戻る時間のもどかしさは、あの頃の電話のいい思い出です。

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千川上水暗渠のトレンチ観察

2016年01月26日 | 徒然
千川上水暗渠道の、下水管汚水升の交換作業が、断続的に行われています。

旧上水道の遺構に並行して、下水本線より浅い位置に、
ヒューム管による千川上水本線が通っているのが観察できます。
千川上水はすでに上水としての役目はなく、中流部の豊島区や板橋区内で
一部途切れている部分もあるため、下流の北区滝野川では
雨水や谷端川の越流水の一部が流れていると思われます。

マンホールは下水道のものよりも旧中山道よりにあるので
暗渠上からでも流路は想像できますが、こうしてトレンチからヒューム管をみると
暗渠マニアとしては嬉しくなります。

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初天神

2016年01月25日 | 東京のお散歩
今日は、上方落語でもお馴染みの、初天神の日。

学問の神様とされる菅原道真を祀る天神さん(天満宮)では、
道真公の誕生日でもあり命日でもある25日を毎月縁日としています。

(湯島天神)

(亀戸天神)

東京の亀戸天神や福岡の太宰府天満宮では
鷽替えが行われる日でもあります。

奇しくも今日は国公立大二次試験の出願開始日。
特に浪人生は、昨年の凶事(不合格)をウソに替えてもらうように
お願いしてみるのもいいんじゃないでしょうか(他人事)。
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寺内公園

2016年01月24日 | 東京のお散歩
神楽坂の高層マンションの狭間に、寺内公園という小さな公園があります。
じない公園と読むこの公園は、行元寺という鎌倉時代から続く寺があった跡で
寺は明治四十年の区画整理で西五反田へ移転してしまいました。



寺は、広大な境内を有していて、安政の頃から、
その境内に遊興の場として花街が開かれたことが
神楽坂花柳界の発祥と謂れています。

現在の神楽坂の賑わいは、この少し寂しげな公園のある場所から
スタートしたのです。
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五九豪雪

2016年01月23日 | 徒然
昭和58年12月から59年春にかけて、全国的に大雪が断続的に降りました。
五九豪雪または昭和五十九年豪雪と呼ばれるこの大雪は
東京にも記録的大雪をもたらし、シーズン通しての降雪量は
都内で92cmを記録しました。



首都圏の鉄道も不通になり、池袋駅東口から西巣鴨まで
都営バスで1時間もかかりました。(現在では通常10分ほど)

今夜から、当時並みの強い寒気が南下します。
さすがに大雪にはならなそうですが、32年前の雪景色が
懐かしい東京の風景として瞼に蘇る、そんな週末の東京です。
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地学と京浜東北線

2016年01月22日 | 東京のお散歩
大宮から上野、東京を通り大船まで走る京浜東北線。
実際には、大宮から浦和、赤羽、田端、上野を通って東京までは東北本線、
東京から品川、川崎を通って横浜までが東海道本線、横浜から磯子を経由して大船までが根岸線という
3つの線の運転系統上の通称となっています。

この京浜東北線、地学的には縄文海進期の海岸線をなぞる鉄道でもあるのです。

赤羽から上野までは本郷台の崖下を走り、上野から品川までは淀橋台下を
六郷の土手までは目黒台、荏原台、久が原台と、河川が刻んだ小さな谷で区切られた
一連の武蔵野台地の崖下辺縁を走っています。

(日暮里の崖下を並走する山手線と京浜東北線)

開業当初の土木技術や、土地取得の問題もあってのルートですが
このルートのおかげで大森貝塚の発見や、中里貝塚の発見も実現しました。

多摩川の谷を越えて以南は、下末吉台の下を走り、磯子の岬を周って大船まで到達します。

色々な鉄道路線と並走する京浜東北線ですが、車窓を楽しむなら
南行(大宮→大船)の右側、北行なら左側で、崖線を眺めるのも楽しいものです。
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神楽坂通り

2016年01月21日 | 東京のお散歩
神楽坂通りは、東京都道・埼玉県道25号飯田橋石神井新座線、
通称早稲田通りの、外堀通りとの交差点(神楽坂下)から
大久保通りとの交差点(神楽坂上)までの区間の通りの名前です。



この通りは、全国でも珍しい、逆転式一方通行道路で
午前中は坂上から坂下へ、午後は坂下から坂上へと
時間帯によって一方通行規制が逆転します。

最近は散歩系番組などの影響もあってか、
神楽坂界隈を歩く人も増えましたが、正午を挟んで
いきなり車が逆から来るので、注意が必要です。
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水稲荷神社

2016年01月20日 | 東京のお散歩
新宿区西早稲田、堀部安兵衛の決闘でもお馴染みの高田馬場の
その名の由来にもなっている馬場があった場所の近くに水稲荷神社があります。



この神社も、平将門伝説の一翼を担う神社ですが、稲荷神社ですので
主祭神は将門公ではなく倉稲魂大神です。

もともとは冨塚稲荷と呼ばれ、現在の早稲田大学内(9号館付近)に鎮座していました。
元禄十五(1702)年に霊水が湧き出たことから水稲荷と呼ばれるようになり
昭和三十八(1963)年に早大の校地拡張によって、旧清水徳川家下屋敷地の現在地に遷座しました。

この神社が将門公に由来するのは、創建が将門公を討った藤原秀郷の創建による為です。
平将門の乱の翌年に勧請していることから、将門調伏の伝説を持っています。
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稲荷鬼王神社

2016年01月19日 | 東京のお散歩
歌舞伎町と大久保の間にある稲荷鬼王神社は、節分の際に
「福は内、鬼は内」
と唱えることで知られた神社です。



承応二(1653)年に、大久保村鎮守の稲荷社として創建され、99年後の宝暦二年に
紀州熊野より鬼王権現を勧請されて、稲荷鬼王神社となりました。

熊野にあった鬼王権現は、すでに現存していないことから
鬼王の名を持つ唯一の社となっています。

また一説には、平将門の幼名「外都鬼王」から、その名を授かったともいわれています。
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兜神社

2016年01月18日 | 東京のお散歩
東京証券取引所の代名詞として呼ばれる「(日本橋)兜町」は、
鎮座する兜神社に由来します。



明治十一(1878)年に、東京株式取引所(のちの証券取引所)開設にあたり
関係者たちの鎮守として創建された比較的新しい神社です。

(東京証券取引所)

境内に安置されている兜岩は、前九年の役の際に源義家が戦勝の願掛けをした
もしくは凱旋の際に兜を埋め、兜塚としたとされています。

またこの付近には、江戸時代には兜塚の他に鎧稲荷という神社があり
日本橋魚河岸の商人などに信仰されていました。
現在の兜神社は、この鎧稲荷の御霊を引き継ぎ、主祭神をお稲荷様(倉稲魂命)としています。

この「鎧」と「兜」は、平将門を討ち取った藤原秀郷が、
将門公の首級を持ち京へ向かう途中に、この地で供養したものとされ
兜塚には将門公の兜が埋められているとも謂れています。

なお、新宿区北新宿にある鎧神社(日本武尊の鎧を祀るとされる)にも、
平将門の鎧が埋められているという伝説があります。
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鳥越神社

2016年01月17日 | 東京のお散歩
下町、浅草橋の近くにある鳥越神社は、平将門の手を祀る神社と
一部では伝えられています。
また一説には、平将門の首がこの神社の上を飛び越えていったとも言われています。

由緒では白雉二(651)年、日本武尊を祀る神社として創建されました。
東北征討ののちに力尽きた日本武尊が薨去した際に、日本武尊が白鳥となり
大和へ飛び立った際に、その白鳥が降り立った場所とされ、白鳥神社と名付けられました。



源義家が前九年の役の際に訪れ、白い鳥が飛び立つのをみて
隅田川(大川)に浅瀬があるのを知り、無事に渡河できたことを白鳥神社の加護とし
鳥越大明神と名を改めさせたとされています。

この付近は古くから鳥越山という微高地であった事から、
暴れ川であった大川の近傍にありながら水害に遭うことも少なく
軍事要塞的な位置でもありました。

将門公の伝説と、その地勢から江戸幕府としても利用しない手はなく
浅草見附外の要所としました。

なお、天海の施策をオカルト的に解釈すると、鳥越神社を起点として
将門公にまつわる7箇所を結ぶと北斗七星の形になるとされ
それを暗示するように七曜紋が鳥越神社の紋となっているとも言われています。
(7箇所は鳥越神社、兜神社、首塚、神田明神、筑土八幡、水稲荷、鎧神社)
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