成田空港

2022年03月03日 | 千葉のお散歩
閑散とした成田空港

ここに再び多くの人が行き交うようになるのはいつの日か



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玉前神社

2021年12月30日 | 千葉のお散歩
千葉県長生郡一宮町。
JR外房線上総一ノ宮駅近くに鎮座する玉前神社は、その地名・駅名の由来ともなった上総国一宮国幣中社で
式内社のうち名神大社に列せられている神社で、現在は神社本庁別表神社です。

祭神は神日本磐余彦尊(神武天皇)の母親である玉依姫命で、創始は平城天皇の代大同二年(807)とされているものの
安土桃山時代に戦火で記録等が焼失したため、正確なことは不明となってしまっています。

現在の社殿は貞享四年(1687)に造営されたもので、大正十二年(1923)に大改修が行われました。


















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市川ママ

2021年05月04日 | 千葉のお散歩
京成電鉄市川真間駅が、母の日に合わせ期間限定で「市川ママ」駅になっています。

一昨年に続いて2回目の企画(昨年は中止)。

10日まで実施だそうです。











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成田線120周年

2021年04月30日 | 千葉のお散歩
成田線我孫子支線(成田ー我孫子間32.9km)が開業して今年で120周年。

明治三十四年(1901)2月2日に成田ー安食間が、
ついで4月1日に安食ー我孫子間が開業しました

今日は、この開業120周年を記念して、以前この区間を走っていた
「スカ色」と呼ばれる色の電車のラッピングをした編成が
我孫子駅での出発式の後、成田へ向けて走行しました。

今後しばらくは、1編成がこのラッピングで走行するそうです。




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本多貞次郎君銅像碑

2020年12月04日 | 千葉のお散歩
京成線市川真間駅北口前に建つ「本多貞次郎君銅像」の石碑。
石碑だけで銅像がないのは、戦時中の金属供出によって失われたためで
戦後も復活することはなく、徳富蘇峰撰文による石碑だけが遺されました。

本多貞次郎は、現在の京成線の前身にあたる京成電氣軌道の創設者で
初代社長もつとめた人物ですが、京成線の浅草延伸計画の疑獄事件によって
正力松太郎らと共に昭和三年(1928)に逮捕されてしまっています。

現在、市川市医師会館となっているこの場所は、本多の自宅だった場所で
その横の洋館は当初、京成の社員倶楽部として建設された建物です。
昭和四年の竣工後は葛飾瓦斯(現在の京葉ガス)本社として使われたもので
現在は個人宅として使用されています。





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真間の継橋

2020年12月02日 | 千葉のお散歩
弘法寺参道に架かる継橋は、朱色の擬宝珠と欄干が鮮やかな橋ですが
その下に川は流れておらず、暗渠のような空地も、実際には暗渠でなく
古代、この地が入江だった時代に、中洲同士を結ぶ橋がいくつも架けられ
これらが万葉集にも歌われたことを記念して造られた橋です。

いくつもの板橋が、中洲を中継していたことから継橋と呼ばれたとされ
歌川広重の『名所江戸百景』でも
【真間の紅葉 手古奈の社 継はし】
が描かれています。





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亀井院

2020年11月30日 | 千葉のお散歩
手児奈霊神堂に隣接する亀井堂は、弘法寺十一世日立が貫主の隠居寺として
弘法寺の子院のひとつとして江戸時代に建立されたと言われていて
古くから清水が湧いていたことから瓶井院と呼ばれていました。

後に弘法寺大檀那鈴木長常を葬り鈴木院と呼ばれるようになりましたが
後に井戸から霊亀が出現する言い伝えから、亀井院と再び改称されました。

北原白秋は、この寺の庫裏に1ヶ月ほど暮らしていました。






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手児奈霊神堂

2020年11月29日 | 千葉のお散歩
市川市真間には古くから一人の美しい女性の伝説があります。

万葉集にも歌われたその女性の名は手児奈。
その美しさ故に、真間の海(当時真間は海だった)に入水することになり
これを悲しんだ人たちによって、求法寺(伝行基開)に祀られました。

求法寺はのちに空海によって伽藍が整備されて弘法寺と改称し
事もあろうか天台宗に改宗の後に日蓮宗に再改宗しました。

手児奈霊神堂は、弘法寺の堂宇の一つとして現在も手児奈を祀っています。









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市川の松のある風景(京成線国府台から菅野まで)

2020年11月28日 | 千葉のお散歩
京成線の市川真間から菅野にかけては、古くは国府台付近まで入江が入り込み
その砂州の上に松林が広がる風光明媚な土地だったと伝えられています。

万葉集にも登場する真間は、上代の言葉で崖線を意味する「ママ」の事と思われ
これは国府台の崖線を意味していると考えられます。
国府台は、その名の通り下総国庁が置かれた場所で、和洋女子大あたりには
国衙の遺跡と思われる遺構も出土しています。
また、国分寺も残っています(現在は真言宗豊山派寺院)。

近代以降は、日本橋あたりの大店の旦那の別荘や隠居先として好まれ
後には隣接する菅野に永井荷風や幸田露伴・文親子などが住み
真間(のちに須和田)には郭沫若が住んでいました。
また昭和末期から平成初期にはさだまさしも住んでいました。

現在でも、街の至る所に松の木が植えられ、閑静な趣が残されています。



国府台の崖線(真間山弘法寺)



松並木のある住宅街


車一台ギリギリの道が閑静さを保っている

未舗装の道も残っている



永井荷風が晩年を過ごした菅野

市川真間の駅前

東京都から川一本隔てた最初の駅、国府台



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本八幡の甲大神社

2020年10月20日 | 千葉のお散歩
本八幡駅から行徳街道を南下して、京葉道路と交差する手前に鎮座する
甲大(かぶとだい)神社。

創建は一条天皇の時代、永延2年(988)年八月八日とされています。

葛飾八幡摂社で、大和田村の村社として崇敬されてきましたが
江戸時代などには「兜八幡」「甲の宮」として紹介され
武士からも篤く崇敬されていたようです。

祭神は誉田別命で、一説には応神天皇の兜を祀っていると謂れ
また、その母神功皇后の兜とも、平将門のもの、源義家のものと
誰の兜であるのかは諸説あるようです。





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京成電鉄のリバイバル

2020年07月31日 | 千葉のお散歩
近年、各鉄道会社はリバイバル列車を走らせるようになりました。

かつての塗装を再現して、集客を試みる取り組みです。

明日は、京成電鉄の3600形と呼ばれる電車が、リバイバル塗装で
かつての成田空港駅、現在の東成田駅から八千代台まで
団体臨時列車として運行されます。

昨今、撮り鉄と呼ばれる人達の、極々一部にマナーの悪い輩がおり
列車の運行に影響を与える危険行為を行ったりしているのを散見します。

鉄道会社の厚意で運行される列車でもある訳ですから
終着まで無事に運行される事を祈っています。





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旧宇田川家住宅

2018年08月17日 | 千葉のお散歩
ねずみの国と国境を接する浦安市に遺る、市内最古の民家、旧宇田川家住宅。

通りに面しては店舗として使われ、裏手に住居という幕末から明治にかけての
典型的な町家造りの建築で、明治二年に建てられたものです。

清瀧神社の参道に面していて、往時の繁栄が偲ばれます。

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煙突のある風景

2018年08月16日 | 千葉のお散歩
河口の街の銭湯

ここには昭和が取り残されています

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清瀧神社

2018年08月14日 | 千葉のお散歩
東京メトロ東西線浦安駅から徒歩数分。
境川を渡ってすぐのところに鎮座する清瀧神社です。

創建は建久七年(1196)で、漁師町らしく祭神は海の神である大綿津見神です。

本殿は安政二年(1855)に再建されたもので、浦安市の文化財に指定されています。


この神社は、映画「男はつらいよ」の第5作(望郷編:昭和四十五年公開)で
寅さんが浦安(当時は東葛飾郡浦安町)でテキ屋をしていた神社です。

この回では北海道も舞台になっていますが、フーテン暮らしから抜け出そうと、
豆腐屋で働き出した、その舞台となっている場所です。

第2作以来山田洋次がメガホンをとった、当初完結編だった作品で、
あまりの好評ゆえ、その後主演の渥美清氏が亡くなるまで全48作の
超ロングラン作品になるきっかけにもなった名作中の名作の舞台です。




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成田山新勝寺 開山堂

2018年05月10日 | 千葉のお散歩
成田山新勝寺は、朱雀天皇による平将門の乱(天慶の乱)平定の勅命を以って
寛朝僧正が成田公津原で護摩供養を奉じ、その成果に対して成田妙見宮に
神護新勝寺の寺号を賜った伽藍が建立された事が由縁となっています。

大本堂のすぐ裏手の山上に建つ開山堂は、成田山開基一千年祭の記念事業として
昭和十三年に建立されたもので、寛朝(916-998、宇多天皇の孫)を奉安しています。


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