北九州へ行って来た。
私の曽祖父(母の父の父)の家は、北九州にあると聞いていた。
曾祖父が東京帝國大学の学生として東京に下宿しているときに
そこで私の祖父が生まれたらしい。
私は、母方の姓を名乗っているので、
つまりはこの町が私のふるさとになるのだろう。
ただ曾祖父の家は、石炭などで財を為していた、今も存在する旧財閥系の家で
だから正式な結婚をする前の子供を嫡子にすることができず、
結局東京で育てられることになった。
明治から大正にかけての、独特の建物がいまでも保存されていて
おそらくは曾祖父はこの町を見ていたのかと思うと
「やっと帰ってきた」という感覚をおぼえる。
そんな、血のふるさと北九州をいつか母子で歩いてみたい。
(写真:北九州市から本州を望む)
私の曽祖父(母の父の父)の家は、北九州にあると聞いていた。
曾祖父が東京帝國大学の学生として東京に下宿しているときに
そこで私の祖父が生まれたらしい。
私は、母方の姓を名乗っているので、
つまりはこの町が私のふるさとになるのだろう。
ただ曾祖父の家は、石炭などで財を為していた、今も存在する旧財閥系の家で
だから正式な結婚をする前の子供を嫡子にすることができず、
結局東京で育てられることになった。
明治から大正にかけての、独特の建物がいまでも保存されていて
おそらくは曾祖父はこの町を見ていたのかと思うと
「やっと帰ってきた」という感覚をおぼえる。
そんな、血のふるさと北九州をいつか母子で歩いてみたい。
(写真:北九州市から本州を望む)