池袋は、戦後復興で発展した街。
東口にも西口にも
そのころからやっている店が、高度成長期にビルになり
いまでも残っていたりする。
お店自体は閉店しても
ビルの名前に店の名前が残っているのは
昔の池袋の面影がどんどん消えてゆくなかで
すこしうれしいような
なんとなくさみしいような
複雑な気分。
東口にも西口にも
そのころからやっている店が、高度成長期にビルになり
いまでも残っていたりする。
お店自体は閉店しても
ビルの名前に店の名前が残っているのは
昔の池袋の面影がどんどん消えてゆくなかで
すこしうれしいような
なんとなくさみしいような
複雑な気分。
品川駅
2012年12月12日 | 旅
東海道新幹線の品川駅。
上りの列車に乗っていると、結構降りてゆく客が多い。
確かに我が家も、品川での乗降は不便ではないけれど
やはりなんとなく、新幹線の乗り降りは「東京駅」でないと
しっくりこない。
時間とか運賃の問題よりも
「旅情」の問題なのである。
上りの列車に乗っていると、結構降りてゆく客が多い。
確かに我が家も、品川での乗降は不便ではないけれど
やはりなんとなく、新幹線の乗り降りは「東京駅」でないと
しっくりこない。
時間とか運賃の問題よりも
「旅情」の問題なのである。
日暮里駅前には、かつて駄菓子問屋が何軒も軒を連ねていた。
駅前の再開発で高層建築に生まれ変わり、現在では2軒だけが
そのテナントとして入居して営業している。
足繁く通っているうちに顔を覚えてもらえたようで
最近はお店の「おねぇさん」(と言っておこう)も話しかけてくれる。
ついでに過分な「オマケ」も。
うん、駄菓子屋にはこのコミュニケーションが不可欠だ。
駅前の再開発で高層建築に生まれ変わり、現在では2軒だけが
そのテナントとして入居して営業している。
足繁く通っているうちに顔を覚えてもらえたようで
最近はお店の「おねぇさん」(と言っておこう)も話しかけてくれる。
ついでに過分な「オマケ」も。
うん、駄菓子屋にはこのコミュニケーションが不可欠だ。
葛飾区堀切に小谷野神社という小さな神社があります。
旧小谷野村(小谷野町)の鎮守で、宇釈御霊命という
珍しい神様をお祀りしている。
小谷野家・古谷野家のルーツの1つでもあるとされているが
現在、上記の苗字が多いのは、この地区ではなく
いろいろと首をかしげることの多い、そんな神社。
古谷野家の人間として
しっかりと家内安全をお祈りしてきました。
旧小谷野村(小谷野町)の鎮守で、宇釈御霊命という
珍しい神様をお祀りしている。
小谷野家・古谷野家のルーツの1つでもあるとされているが
現在、上記の苗字が多いのは、この地区ではなく
いろいろと首をかしげることの多い、そんな神社。
古谷野家の人間として
しっかりと家内安全をお祈りしてきました。
池袋にある石像と言えば
「ふくろう」が有名ですが
「としま 未来へ」というト音記号の石碑があるのは
意外と知られていなかったりもします。
これは、区制施行70周年を記念して作られた
「区民の歌」の石碑で、公募の歌詞に
噺家 歌手のさだまさし氏が曲をつけたものです。
「ふくろう」が有名ですが
「としま 未来へ」というト音記号の石碑があるのは
意外と知られていなかったりもします。
これは、区制施行70周年を記念して作られた
「区民の歌」の石碑で、公募の歌詞に
都の西北、といっても今では十分都心に位置する早稲田。
ここに甘泉園という庭園がありますが、ここには
蛇が生息しています。
看板にもしっかりと
「へびをみつけても
刺激しないでください
どくはありませんが
かまれることがあります
新宿区」
と書いてあります。
なぜ「刺激」だけ漢字なんだろう。ルビもふってないし。
ここに甘泉園という庭園がありますが、ここには
蛇が生息しています。
看板にもしっかりと
「へびをみつけても
刺激しないでください
どくはありませんが
かまれることがあります
新宿区」
と書いてあります。
なぜ「刺激」だけ漢字なんだろう。ルビもふってないし。
江戸四宿、品川宿。
いわずと知れた、東海道の宿場です。
現在の品川駅は、実際には港区にあって
品川宿とは何の関係もない場所にあります。
品川宿は、京浜急行で品川駅から南下した「北品川」駅から
青物横丁あたりまでがその範囲です。
薩長の志士も、新撰組も泊まった宿場街は
今は静かな商店街となっています。
いわずと知れた、東海道の宿場です。
現在の品川駅は、実際には港区にあって
品川宿とは何の関係もない場所にあります。
品川宿は、京浜急行で品川駅から南下した「北品川」駅から
青物横丁あたりまでがその範囲です。
薩長の志士も、新撰組も泊まった宿場街は
今は静かな商店街となっています。
江戸四宿のうち、中仙道板橋宿。
宿場町だった平尾、下、仲、上宿は
巣鴨から清水町まで延々と続く
それぞれの商店街の一部となっています。
その中でも仲宿商店街はテレビなどでも紹介される
賑やかな商店街。
夜も遅くまでやっている店が多く
昔ながらのいい街でもあります。
しかし、新宿や千住と異なって
鉄道駅が離れたところにあったため
それ以上の発展がなかったのは残念ですが
もともと遊郭もあったような場所ゆえ
その遊郭が廃れて治安がよくなったのは
怪我の功名といってもいいのかもしれません。
宿場町だった平尾、下、仲、上宿は
巣鴨から清水町まで延々と続く
それぞれの商店街の一部となっています。
その中でも仲宿商店街はテレビなどでも紹介される
賑やかな商店街。
夜も遅くまでやっている店が多く
昔ながらのいい街でもあります。
しかし、新宿や千住と異なって
鉄道駅が離れたところにあったため
それ以上の発展がなかったのは残念ですが
もともと遊郭もあったような場所ゆえ
その遊郭が廃れて治安がよくなったのは
怪我の功名といってもいいのかもしれません。
江戸四宿のうち甲州街道の宿場、新宿。
もともとは、四谷から千駄ヶ谷にかけての
「内藤宿」に対する「内藤新宿」でしたが
いつの間にか内藤町よりも、新宿の方ががどんどん開けて
今では世界最大の歓楽街のひとつになりました。
ラブホから世界的な高級ホテルまで
多種多様な宿泊施設が近辺に点在しているという点では
現在も「宿場町」としての機能が生き続けている街でもあります。
写真は甲州街道の南側のイルミネーション
もともとは、四谷から千駄ヶ谷にかけての
「内藤宿」に対する「内藤新宿」でしたが
いつの間にか内藤町よりも、新宿の方ががどんどん開けて
今では世界最大の歓楽街のひとつになりました。
ラブホから世界的な高級ホテルまで
多種多様な宿泊施設が近辺に点在しているという点では
現在も「宿場町」としての機能が生き続けている街でもあります。
写真は甲州街道の南側のイルミネーション