中華街にて
羽田沖日本航空350便墜落事故、いわゆる逆噴射事件から40年。
つまりホテルニュージャパン火災からも40年の今日。
月日が経つのは早いもので、当時幼稚園生だった私は現在幼稚園児の親。
あの日のことはよく覚えていて、と言うことは、ここ数年のコロナ騒ぎも
おそらくあの子が人の親となった頃でもしっかりと記憶しているんだろうな。
わが青春の街神保町。
たまにふらっと行って1~2枚の写真を撮る。
それを数年後に見返すと、もうなくなってしまった店が写っていたりする。
それがこの写真趣味の愉しみ。
中山道平尾追分から分岐した川越街道の2つ目の宿場が下練馬宿。
最初の上板橋宿が中山道板橋宿、川越街道とほぼ隣接していた為か
本陣や問屋場が設けられておらず、短い宿場町だった代わりに
下練馬宿は下宿、中宿、上宿と分かれ、本陣も脇本陣も備えていました。
とはいえ、参勤交代で利用するのは川越(河越)城主のみでしたが
鷹狩や江戸の町民の大山詣り、秩父(三峰)詣りなどの通行人が行き交う
江戸から最初の本格的な宿場として、大いに賑わった言われています。