父の父親、私の祖父は富山県の出身で、青森の実家は浄土真宗大谷派の蓮心寺の檀家ということになっております。
蓮心寺については歴史的に興味深いところがあります。 こちら
6月28日朝に父が亡くなって、まず母は蓮心寺に電話し、どのようにすればいいのか聞いたようです。
その時に葬儀社はと聞かれて、親戚でお世話になった 千一ちんだ にお願いしたいといったとのこと。 → こちら
千一ちんだの担当のMさんには、たいへんお世話になりました。
弟夫婦が家の片づけや掃除をしてくれて、母が高齢で疲れが出るといけないということで
知人でかつ蓮心寺の世話役でもあるOさんという方に相談したところ、
家族の密葬で執り行い、父の知人の方たちで後日しのぶ会を開いてくださることになりました。
病院から父が運ばれてきて帰りたかった家にしばらく寝かされ、その後納棺の儀がありました。
納棺師の方によって、丁寧に棺におさめていただきました。
青森では、火葬→通夜→葬式 の順です。
また、多くの方たちは、地方紙である東奥日報に死亡広告を出して通夜と葬式の日時・場所を知らせます。
父の場合は誰にも知らせず、また日程の関係で葬式が友引の日になりました。
参列者が10人に満たないのですが、お寺の本堂を使わせていただき、檀家のための祭壇というもので通夜と葬式が営まれました。
すっきりした祭壇で、浄土真宗大谷派に伝わっている方式を取り入れているとか。
けっこう見た目重視の父も満足しているのではないか、と思いました。
なお浄土真宗大谷派独特のお参りの作法があったりします。
お焼香のとき、額におしいただく動作はせず2回、ということになっているとのこと。各宗派作法については こちら
主人のときには神道でしたし、ご近所などでの葬儀とも違っていてびっくりしたりします。
日本の宗教がさまざまに分かれているのだということを改めて気づかされます。
と同時に、葬儀というものがかなり流動的な文化として感じられたりしました。
残された家族にとって、それぞれの別れ方というものがあって方法には積み重ねられた知恵というものもあるようです。
人一倍わがままであった父は医療や介護、葬儀で多くの方たちにたいへんお世話になりました。
皆様のご厚情に心から感謝申し上げます。
法要はお寺に近い つかさ →こちらで行われました。
余ったお料理は折詰で持って帰ることができました。
若い副住職さんに出ていただいたので、美しい声のコツなどをお聞きしたりしました。
住職さんも親しみのもてるお人柄だったりします。
父が晩年「正信偈」を熟読していたことなどからすると、お寺の持つ役割というものがより期待されるのかもしれません。
蓮心寺については歴史的に興味深いところがあります。 こちら
6月28日朝に父が亡くなって、まず母は蓮心寺に電話し、どのようにすればいいのか聞いたようです。
その時に葬儀社はと聞かれて、親戚でお世話になった 千一ちんだ にお願いしたいといったとのこと。 → こちら
千一ちんだの担当のMさんには、たいへんお世話になりました。
弟夫婦が家の片づけや掃除をしてくれて、母が高齢で疲れが出るといけないということで
知人でかつ蓮心寺の世話役でもあるOさんという方に相談したところ、
家族の密葬で執り行い、父の知人の方たちで後日しのぶ会を開いてくださることになりました。
病院から父が運ばれてきて帰りたかった家にしばらく寝かされ、その後納棺の儀がありました。
納棺師の方によって、丁寧に棺におさめていただきました。
青森では、火葬→通夜→葬式 の順です。
また、多くの方たちは、地方紙である東奥日報に死亡広告を出して通夜と葬式の日時・場所を知らせます。
父の場合は誰にも知らせず、また日程の関係で葬式が友引の日になりました。
参列者が10人に満たないのですが、お寺の本堂を使わせていただき、檀家のための祭壇というもので通夜と葬式が営まれました。
すっきりした祭壇で、浄土真宗大谷派に伝わっている方式を取り入れているとか。
けっこう見た目重視の父も満足しているのではないか、と思いました。
なお浄土真宗大谷派独特のお参りの作法があったりします。
お焼香のとき、額におしいただく動作はせず2回、ということになっているとのこと。各宗派作法については こちら
主人のときには神道でしたし、ご近所などでの葬儀とも違っていてびっくりしたりします。
日本の宗教がさまざまに分かれているのだということを改めて気づかされます。
と同時に、葬儀というものがかなり流動的な文化として感じられたりしました。
残された家族にとって、それぞれの別れ方というものがあって方法には積み重ねられた知恵というものもあるようです。
人一倍わがままであった父は医療や介護、葬儀で多くの方たちにたいへんお世話になりました。
皆様のご厚情に心から感謝申し上げます。
法要はお寺に近い つかさ →こちらで行われました。
余ったお料理は折詰で持って帰ることができました。
若い副住職さんに出ていただいたので、美しい声のコツなどをお聞きしたりしました。
住職さんも親しみのもてるお人柄だったりします。
父が晩年「正信偈」を熟読していたことなどからすると、お寺の持つ役割というものがより期待されるのかもしれません。
主人の場合も父の場合も失礼ながらお香典やお供えをお断りしました。
2人とも大きな葬式を望まないタイプでした。その点は家族としてありがたかったと思います。
宮司とか住職の方たちは地域でお手本とされたりしていて、今後、職業というものはそういう形になっていくのかもしれませんね。
2足のわらじ
の社会のためにも、本業の労働時間の見直しが必要だと思います。
2足、3足のわらじの社会の方がいろいろな人たちと出会うことになり、考え方の幅が広がったりしていいのではないでしょうか。
もちろん天下りOBの口利きなどの弊害は防止した上でしょうけれど。
各地方議会にもドンがいたりするんでしょうか?
待ったなしの日本再生のためには、ドンの方はぜひとも勇退をお願いしたいと思います。それとも大きい葬式にこだわるとか?
昔でいう裏日本で浄土真宗はどのような広がりがあったのか・・・・・
興味深いものがあります。
先祖はその教えに納得したのか
それとも勢いで入信したのか
簡素さが気に入ったのではないか
と想像したりします。
浄土真宗というものとキリスト教の関係はもしかしたら末端ではあったのかもしれませんね。
太宰治が聖書にこだわりあれこれ書いているあるいはイエス・キリストの墓が青森にある、といったことからも想像してしまいます。
ロシアの影響を受けてきたせいなのでしょうね。
父もソ連材を扱うことにしたことがありました。
また、三内丸山遺跡の再現には、ロシアからの木材を使ったりしているとか。
資本主義と社会主義のいいとこどりというものは青森がしている?
と思わないでもありません。
東北蔑視みたいなものがあって、青森を田舎だと思っておられる方もいるかもしれませんが・・・・・
今のコロナ禍での葬儀を先取りしたような感じがしないでもありません。
葬儀が変われば社会も変わる?
神道や浄土真宗の葬儀は
災害や戦争・内乱があったために、簡素になった、といえるのかもしれません。
自分としては努力していたつもりでも
空回りであったかもしれないとか。
必要がなければ、人間は忘れたいことを忘れるようになっているようです。
いろいろと考えさせられます。
製材所の経営と不動産で一生を終わりました。
子どもは私と弟の2人でした。
以前もどこかで書いたのですが
私が中学生ぐらいのときに世の中でどういう仕事がいいのか、と聞くと
大学の先生、という答えが返ってきて
ふーん、と思ったことをよく覚えています。