この1902年の八甲田山雪中行軍遭難事件については、今までに多くの出版物があって教訓ともされてきたようです。
それでもいろいろな視点から繰り返し振返ってみる必要があるのではないでしょうか。
1902年は、日清戦争(1894年ー1895年)と日露戦争(1904年ー1905年)の間にあって、対ロシア戦に備えてということであったようです。
歴史上の教訓として、1812年のナポレオンによるロシア遠征はよく知られています。
ナポレオンのモスクワからの退却:アドルフ・ノーザン作 (画像はwikiによる)
このとき、27万人のフランス軍を含む70万人の大陸軍が、37万人死亡、20万人捕虜で、帰還できたのが5000人だったとのこと。
ロシア軍にも多数の犠牲者がでたようです。
また、昔から軍がなだれに巻き込まれることはあるようで
近年の戦争では、軍の背後に砲撃することでなだれを発生させる、ということが行われてきたとのこと。
第1次世界大戦(1914-1918)では、なだれで4~5万人が亡くなった、ということです。→ こちら
1902年の第5連隊の雪中行軍では、雪の少ないところの出身者が多く、八甲田山の入り口は雪も少ないと思ったりしたかもしれない、と地図を見て思ったりします。
赤・・青森第5連隊(青森1月23日出発、210名) 緑・・弘前第31連隊(弘前1月20日出発、37名)
第5連隊の雪中行軍は、ごく短い1泊2日の予定であったとか。
つまり出発したその日か翌日かにかなりの人間が亡くなってしまった、ということになります。
生き残った17名のうち、入院治療中に亡くなった人6名、四肢健全がわずか3名とのことですので、どうしても全体の記録がはっきりとはわからないように感じられます。
なぜかナポレオンはどちらかというと英雄の部類のようです。
ヒトラーはごく普通の繊細な若者であったのに対し、ナポレオンは天才的発想をする人間であった、といわれています。その差なんでしょうか?
あるいは、この目立つリーダーとは別の戦争を司る神的存在があったりするのでしょうか?
ふとそういう存在は細部にこだわったりして、八甲田山の山の神にも働きかけたりした?などと思ったりします。
遭難事件の捜索については
十分な注意が必要ではないでしょうか。
万が一にも観光立国のために2次災害やむなし、といったことになりませんように。
ときによっては国内外の工作が入り込む場合もある?
当時はまだ幕末から明治初期にかけての遺恨もしくはその復讐への怖れといったものが残っていなかったかどうか。
いやいや、大きな戦争の前には軍隊の質を高めておく必要があったのだ、とか。
戦争をさまざまな視点で考えてみていますが・・・・
非常に多くの兵士を死なせてしまったナポレオンは何者なのか
この兵士たちはどこの出身者であったのか
と思ったりします。
もしかしたら、今までとは全く違う歴史の中の理由といったものがあるのかもしれません。
いつの時代でもどこの国でも課題であるようです。
その課題の解決方法は歴史的には隠したいことになってしまうとか?
ということはないものでしょうか?
今回はプーチンがその役割に?
できるだけ避難民を生み出さないように
国際的な協力がいる
しかし軍産複合体や投資といった稼ぎ頭がいて、戦争へと向かってしまう
という構造を変える努力が必要そうです。
10月に撤退したが遅すぎた
独ソ戦では奥深く、今のロシアとウクライナ国境のあたりで冬になった・・・・
当初はロシアの経済が持たないといわれていましたが、どういうわけかアメリカの銀行が破綻したりしています。
別の経済戦争も起こっている?
ロシアは数学に強い国というイメージがあるので・・・・・
経済のためには数学は必要なので
数学をしっかり学ぶことも大事かもしれません。
嫌いなことをさせられるという理由が多かったりしますが、好きなことだけでよいとすると、後々に苦労するのではないかと心配になります。
嫌いなことを好きになるように方策を考えるのは大人の仕事ではないでしょうか。
北陸方面での運搬・作業にご注意ください。