展示コーナー③ 昔の生活用具・昔の農業の様子より
興味を持ったのは昔の雨具・防寒具である蓑(みの)です。蓑については こちら
普段用と晴れ着用が展示されていました。昔の人は器用さが大事だったんですね。
④近現代の青森 ~明治から昭和の時代~ より
兵士の装備はかなり倹約されていたんでしょうか。
階級章が展示されていて、軍隊というものは階級が大事ということのようです。
展示コーナー③ 昔の生活用具・昔の農業の様子より
興味を持ったのは昔の雨具・防寒具である蓑(みの)です。蓑については こちら
普段用と晴れ着用が展示されていました。昔の人は器用さが大事だったんですね。
④近現代の青森 ~明治から昭和の時代~ より
兵士の装備はかなり倹約されていたんでしょうか。
階級章が展示されていて、軍隊というものは階級が大事ということのようです。
②津軽海峡沿岸のムダマハギ型漁船と漁業
たくさんのイソ船が展示されていました。歴史館HPから こちら
ムダマハギ型というのは秋田県能代市以北にみられるということで、青森はかつては北海道の文化圏であった?
というか融合文化の集積場所ということになったんでしょうか。(アイデア豊富なところの理由というか)
つなぎ合わせるという意味の「接(は)ぐ」技術が、紙や布でも貴重だと思っておりましたが
イソ船をつくるときにもとは・・・・
現代人は万が一にすべてを失ったとき、一気に縄文時代に戻ることになる?
こちらは海草のコンブなどをねじり切る道具のようです。
展示コーナー① 青森の歴史 から
青森の縄文遺跡には、三内丸山遺跡のほかに、青森小牧野遺跡というものがあるとか。
→ こちら
室町時代の浪岡城も気になるところです。
いろいろな時代に落人だったり流刑にあったりした人たちが住んでいた・・・・
青森に誇り高い芸術家が多かったりするのは・・・・・そのせいかもしれません。
少し空いた時間があったので、あおもり北のまほろば歴史館に出かけました。
①青森の歴史 ~縄文時代から近代の歩み
②津軽海峡沿岸のムダマハギ型漁船と漁業
③昔の生活用具・昔の農業の様子
④近現代の青森 ~明治から昭和の時代~
⑤商いと看板
⑥青森市名誉市民・青森市ゆかりの人々
⑦「道具」から「機械」へ・手ぬぐいの型紙で巡る青森のお店
⑧着物の世界(こぎん刺し着物、菱刺し着物、裂織着物など)
⑨青森市の発展と景観
ここまで、下書きのつもりが公開されていて・・・・
次の記事につなげます
何度も登場しているホテルの窓からの眺めは、ときどき短編映画のように感じたりします。
自粛ということで長くホテルに滞在することになって、余計に窓を眺めているためでしょうか。
高齢者がじっと家から通りを眺めていたりして、認知症だったりするのかと思ったりしていましたが・・・・・
高齢になると思い出の引き出しがたくさんあって、窓の外を眺めながら思い出したり、あるいは想像を広げたりで時間が過ぎてしまうんですね。
朝早く、窓の外にパトカーが・・・・
海上でごく狭い範囲に雨が降っているようです。
この窓から見える範囲に、太宰治が旧制中学に通った道、芥川龍之介が飛び入りで講演会に参加した公会堂(一部復元)
若い森鴎外がおそらく宿泊したところが詰まっているって考えたら・・・・
戦前のこのあたりは、立派な建物が立ち並んでいて、豊かな街の景観であったようです。
何度か大火があり、また林業や北方との貿易が衰退したという歴史があって変わってしまったということがあります。
海に白い筋が見えたんですが、沖で豪雨のため真水が流れてきた?
目まぐるしく景色が変わっていき、いつまでも眺めていられそうな気がします。
青森・蓮心寺で母の一周忌法要が行われました。
今回はコロナ禍のため、弟夫婦と私の3人だけです。
今年は青森も夏が暑くて、秋の訪れも足踏みみたいな・・・・
白い萩の花が咲いていました。
コロナ禍といったものがなく、長生きをして旅行や趣味を十分楽しんだ両親は、終末期についてはあまり考えていなかった?
介護の体験は大事だと思ったりします。
青森の家は両親が90歳を迎えた4,5年前あたりから草取りと雪囲い程度の手入れになっていたとか。
かつては自慢にしていたヒマラヤスギが大きくなりすぎて・・・・・
玄関には母が好きであったシュウメイギクが咲いていました。
ヒマラヤスギにまじって、ムクゲが・・・・・
呆然としているわけにはいきません。
両親が契約していたALSOKの警備を今の状況に合うように変えてもらってその工事をしてもらいました。
そのときに、インターホンの修理してもらうことができて、取り換えなくてもよかったりしました。
また、両親がずっと頼んでいた八甲田造園というところにヒマラヤスギの枝切りと庭の手入れを依頼しました。
来ていただいた方にお話を聞いてみると、その両社の方にはずっとお世話になっていたようで、
口をそろえるように、父は怖い存在だったのだとか。
父はふつうとは違って、外面(そとづら)が怖くて内面(うちづら)は優柔不断気味に見えるタイプであったように思います。
父の在宅看護をお願いした時期があって、2,3人の看護師さんが来られて母の愚痴を聞き、父の入浴の世話をしたりして下さってほんとうにありがたい時間となりました。
主人の場合は、3、4人がかりで移動式の浴槽が部屋に持ち込まれたんですが、父の場合は1人の看護師さんが家の浴室で入浴をさせてくれたのです。その看護師さんはやさしく母親のように接してくださいました。
父は上機嫌でニコニコしていて冗談をいってみたりして、その笑顔がいいとほめられていました。
看護師さんたちが帰って、ふとベッドの父をみると父の目に涙が。
あの涙は、看護師さんのやさしさに対してと、そして自分が年老いた悔しさの両方だったのではないか、と思い出したりします。
認知症とはならなかった分、あれこれの苦悩があったといえるのかもしれません。
また、ヒマラヤスギは、年老いた父の苦悩をつぶさに見ていた、ということかもしれません。
9月25日から28日まで、母の一周忌と実家のあれこれの用事で出かけてきました。
まだコロナの影響が心配で、今回もホテル青森に泊まることにしました。
連泊だとGoToトラベルを使わなくても安く泊まることができます。
以前に比べて、宿泊客が増えてきました。
朝食は17階で陸奥湾が一望できるところで和食か洋食を選べるようになっています。
若い男性の方たちの多くは、ホテルやレストランのサービスに対して「ありがとう」「ごちそうさま」を言えるようですが
高齢の男性は無言だったりします。
日本人はどういうわけかちょっとした感謝の気持ちを表すのが苦手だ、とのこと。
私が高校の産休代替の講師をしていて、修学旅行の付き添いで出かけるという機会がありました。
そのときに宿泊したホテルで、生徒のための食事のマナー講習会が開かれました。
40歳をだいぶ過ぎていましたが、私も参考になることが多くて
食べた後をきれいにする、ということが忘れがちだったというか。
片づける人のことを考えて、食べ散らかしたままにしないで形を整えるということは大事だと思います。
「ありがとう」「ごちそうさま」「おいしい」といった言葉と気遣いを増やしましょう。