【拾い物】追悼 ミシェル・ルグラン シェルブールの雨傘 壮大編曲ver (Michel Legrand - Les Parapluies de Cherbourg)
どこかにも書いてきましたが、私がこの動画にこだわっているのには理由があります。
主人は女子大で国際関係学概論という講義を受け持っていて、夏休みにはよく一人で海外に出かけて、戦場とか国際会議の開かれた場所などを見に行っておりました。
シェルブールで購入したという折り畳み傘を土産に買ってきてくれました。すてきな色合いで黒のエナメルの袋に入ったものでした。
後になって、シェルブールはノルマンディの海岸に近いところだったということを知りました。主人はノルマンディの戦いの場所に立って考えたのだと思います。私は数学を専攻していたので、その当時は近代史についてはまったくわからず、説明してもわからないと思ったに違いありません。
あれこれ調べるようになって、日本国憲法に関わったユダヤ系アメリカ人のチャールズ・L・ケーディスがこのノルマンディの作戦に参加していたことを知りました。
ケーディスの愛人とされる鳥尾多江がその話を書き遺しています。
オハマビーチではなくもう少し南のイタリアよりの浜辺であったとか。その時の壮絶な激戦の様子を鳥尾多江とその子どもたちによく語っていたそうです。
以下は
鳥尾多江「私の足音が聞こえる マダム鳥尾の回想」 文藝春秋 1985年
より
「僕は戦いが始まりそうだな、という予感がすると背中じゅうが痒くなる。そして犬のように大地に背中をこすりつける。気が静まるまでそうやっていた。そしてそれはいつも当っていた。」
「部隊が待機している処に砲弾が打ちこまれる。初めは前後の遠い場所に落ちだんだん近くなる。そんな時、僕は鏡をぶら下げてのんきそうに髭を剃るんだ。部下を恐がらせないために、鎮めておくためにそれが一番良かった」
ユダヤ系アメリカ人だった。その彼がヨーロッパ戦線で、ユダヤ人殺しの現状を、まざまざとみせつけられたのだから、どんなに悲しかったか口惜しかったかわかる。彼は従軍カメラマンとして彼の部隊についていた人に貰った写真を、三冊の部厚いアルバムに貼っていた。それをアメリカから取りよせ、私達に見せてくれた。
彼はその苦しかった事、悲しかった事、すべてを忘れて暖かい平和にひたりたかったのだと思う。そして新しい日本に理想と夢をいだいていたに違いない。
その立場のため不正はしなかったようです。