英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『キイナ -不可能犯罪捜査官』 第5話「病院の幽霊」

2009-02-22 14:06:36 | ドラマ・映画
 前週、ケチをつけてしまったので、今週も取り上げて見ます。

【あらすじ】(触りだけ)
ストレス性の胃腸炎で入院した尊(平岡祐太)は
空き部屋から「来ないで」と叫ぶ声を聞く。ドアを開けようとするが鍵が掛かっていて入れない。鍵を開けて
もらうと、窓の下には看護師の小久保美由紀(浅見れいな)の無惨な姿が。
 


部屋には争った形跡もなく、密室状態であったことから、自殺が妥当と判断されるが、尊の主張もあって別班扱いに。明るくて、患者さんにも慕われていた美由紀が自殺するなんて考えられないと証言する同僚。しかし、美由紀が以前「大変なことをしてしまった」と言っていたという証言もある。美由紀が転落した部屋は、以前美由紀が担当していた患者が入院していて、亡くなった部屋だった。

 

病院で噂される幽霊話。それらの怪奇現象の真相を確かめようとするキイナ。

幽霊の声。
霊安室から聞こえる読経。
動き出す電動車椅子。
誰もいないのに肩を叩かれる。
鏡に写る幽霊。
 

 噂を助長させるサイト。
 幽霊話と事件は関係あるのか?
 502号室の急変死したのは医療ミス?
 怪奇現象の真相は?

==================================
 あらすじを書くのは、大変です。
 ドラマの感想ブログの方って、すごいですね。その日のうちに、2,3本のドラマについてアップしています。丁寧で的確なあらすじと、その内容の分析・評論。いや、すごいです。

 さて、私の感想ですが、先週より良かったです(上から目線ですね)。
 無理なストーリー展開もなかったですし、事件の展開・究明とそのキイナと尊の心模様、他の登場人物との絡み、犯人追及など、バランスが良かったと思います。
 とくに、犯人を追及するシーンで、被害者の美由紀が奪われてしまった夢(人生)や周りの人の悲しみを犯人に訴えるところは共感しました。

 今後、雅(沢村一樹)を暗くさせた事件が明らかになってくるのでしょう。キイナが雅にどう関わっていくのかが気になります。また、工藤(塚地武雅)がキイナと分かれた理由は? 工藤との復縁はあるのでしょうか?

 と、ここで終わればいいのですが、やはり余計な一言を。
 密室のトリックは、明けだドアの陰に隠れるという実に単純なものでした。まあ、これはこれで面白いです。

【いちゃもん その1】
 最初の捜査会議で、①争った形跡がない②密室だった という理由で、簡単に自殺だと結論づけようとするザル会議。自殺だとしたら、遺書を探すとか、自殺の理由を検証しないとダメでしょう。それに、新米とは言え同僚刑事の尊のいうことを信用してやれよ。
 
【いちゃもん その2】
犯人の宮下医師(吹越満)が、医療ミスをごまかすために、病院の怪奇現象の噂をサイトに書き込むのですが、それは逆効果では。余計、急変死したことがクローズアップされると思う。

【いちゃもん その3】
一つの病院で、怪奇現象が起こりすぎ。鏡の説明はそういうこともあるかもしれないが、自分の像がずれて映るのなら、誰か気づきそうなものです。
面白く見せるため、怪奇現象をたくさん並べたが、説明を省くのなら、もっと納得できる怪奇現象の事例を挙げてほしかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体罰

2009-02-22 02:22:03 | 時事
 少し前ですが、『太田光の私が総理になったら…秘書田中。』の2月6日放送他人の子どもへのげんこつを認めますというマニフェストがありました。

 提案の趣旨は「公共の場であっても、わがままし放題の子どもが多い。これは、周囲の大人がきちんと叱れないからだ。何度も注意しても言うことを聞かない子供には、げんこつ一発落としてもいいと法律で認めてくれたら、叱りやすくなるし、子どものためにも良い」

 賛成側の主張は
①口で言ってもなかなか分からない
②体罰も愛があれば良い
③(反対Ⅱに対して)愛のムチは、子どもも理解できるはず(自分の経験に照らしていう人が多かった)
④ちゃんと規則を守らないと危険があって、緊急性がある場合は、悠長なことは言っていられない


 反対側の主張は
Ⅰ暴力は絶対いけない。言葉で諭すことができる
Ⅱ愛があればいいというが、子どもには愛があるかどうかは分からない
Ⅲ例えば、図書館などで騒いでいる子どもたちに注意をする場合、それには愛はないだろう。迷惑で、怒る気持ちのほうが強いだろう。

 会場のゲストは、半々に意見が分かれました。喧々諤々、泥仕合気味の場面もありました。賛成の人も、体罰全面肯定でなく、時には愛のムチも必要といった感じです。
 街角アンケートは、賛成のほうが多かったです。

 ゲストのどなたかが、(ゲストの)コメディアンに対して「やたら叩きまくるお前らの芸、叩く事でしか笑いを取れない低質な芸が、子どもを歪ませる元凶なんだよ」と激昂していました。討論とはズレていますが、言えてると思いました。

 私はどうなのかと言うと、実は、ぶたれたことも手を上げたこともありません。しかし、体罰絶対反対かというと、そうでもなく、「できれば体罰はしないほうがいいが、体罰も必要な時もあるかもしれない」派です。まあ、中途半端ですね。
 時として、言葉の暴力は実際の暴力より、胸に突き刺さり、いつまでも痛みを残すこともあります。
 

 とにかく、簡単には結論を出せない問題だなあと思って観ていました。


 そんなことがあった数日後、中日新聞系の地元紙で次のようなコラムを読みました。

==================================
    『幸福のレシピ』    藤井あけみ
 先月19日、大変悲しい出来事が起きました。福岡市で中学一年生の男子生徒がマンションから飛び降り自殺をしました。
 学校側の会見によると、この生徒は昨年6月に担任の教諭から体罰を受けて「死にたい」などと家族に漏らしていました。担任は3日前にも忘れ物をした罰として額をげんこつでたたいていました。
 私はこの事件を知って、いま一度体罰を考えたいと思いました。
 「この事件はひどい。体罰は基本的に良くない。でも例外はある」という意見が世の中に少なくないことを知っています。そこで本日はその「例外」について考えてみます。

 昨年12月、仙台市内で講演する機会を頂きました。会場には学生や社会人の方が50人ほどいました。この時、「体罰は一切の例外なく反対」という人は3人でした。子育てを終えた年代の女性と高校の校長先生(男性)、そして宮城県職員の男性でした。
 意外だったのは、元教師で子どもを支えるボランティアも熱心にしていた女性が「例外あり」という意見だったことです。彼女の体験談は次のようなものでした。
 彼女が教師をしていた時、ある男の子が一人の女の子の髪の毛に給食のイチゴジャムをベッタベタにつけたそうです。それに対し彼女がとった行動は、同じようにその男の子の髪にイチゴジャムをつけるというものでした。「これは例外です」と彼女は言いました。
 しかし私はそうは思いません。彼女がとった方法はいわゆる報復論。「やられたらやりかえせ」の思想です。ここに子どもへの信頼はありません。男の子も、クラスのみんなも、女の子の立場になって考える。想像力を養うというのが教育でしょう。担任が報復して何になるのでしょうか。
 良い戦争がないのと同様、良い体罰はありません。いま一度、子どもの力を信じ、大人も自分自身の非暴力を信じ、何事においても話し合いにおける解決方法を模索していきたいものです。それは例外を一切認めず体罰に反対する姿勢から始まります。
(千葉県こども病院チャイルド・ライフ・スペシャリスト)

====================================
 最初の自殺は、本当に痛ましい事件です。記事だけでは、どれだけの体罰が行われていたのかは把握できないので、うかつなことは言えません。

 問題は、藤井氏の「体罰に例外はない」という論拠です。
 一見、なるほど、そうだなと思わせる主張です。ですが、あまりに絶対的な意見には、反抗心を持ってしまう天邪鬼な私、反論を考えてしまいます。

 教育現場で体罰というのは、殴る蹴るの暴力だけでなく、バケツを持って立たせるとか、廊下に立たせるとか、肉体的、あるいは精神的負荷を与えることだと聞いています。
 だから、藤井氏の講演で題材となったジャムを髪の毛につけるといった行為ももちろん体罰に当たります。
 藤井氏は元教師の取った行動は「やられたらやりかえせ」という報復の思想であるとしています。私は、単純にそうはいえないと思います。ジャムを付けられた女の子にやり返させたのなら、報復を奨励したことになりますが、そうではありません。
 また、子どもへの信頼がない行為だと断定していますが、自分がジャムを付けられて、その不快感や悲しさを感じ、自分の行為が愚かであったと分かってくれると信じて、元教師は荒療治を行ったのではないかと思います。
 もちろん、元教師の行為を全面肯定するつもりはありません。できれば、しないほうが良かったと思っています。私がその場にいたとしての最善手は、私の髪にジャムをつけて、「いいにおいがするけれど、ベタベタして気持ち悪い。キミ(男の子)も付けてみるか?」と言う、です。
 実際には、できないでしょうが、かっこいいかもしれません。

 確かに、一切体罰をせずに話し合いをするという姿勢は尊いです。
 でも、あまりに藤井氏は自分の主義が絶対的過ぎるように感じます。単に、現場で主義を展開するのならいいのですが、講演や新聞のコラム欄で持論を押し付けるのは、どうかと思います。
 私も自論に自信があるわけではありません。ただ、彼女のように自論を絶対視するのは、少し危険な気がします。

 実は、藤井氏のコラムでこのように感じたことは、以前もありました。今回、調べてみて、あの時のコラムも彼女だったのかと気がつきました。
 それに関する、ブログを見つけましたので、紹介しておきます。

とうがらしBlog『あまりにバカバカしい体罰反対論』
来栖宥子★午後のアダージォ 『人間は変わることができるという希望 「体罰しない」心に誓う』
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする