各府省の事業に無駄がないかを公開で検証する政府の行政改革推進会議のいわゆる『秋のレビュー』。
最終日(3日目)の議題の一つに、国際宇宙ステーションが取り上げられ、その意義について議論された。
この他、文部科学省の競技力向上事業(2020年東京五輪・パラリンピックに向け、予算が大幅に増えている)については、白紙撤回の新国立競技場の反省を踏まえ、責任体制を明確化する必要性などを指摘したようだ。
初日、2日目などを含めて、多種の項目について検証されたようだが、記憶があやふや。一応、『行政改革レビュー』も覗いたが、要領を得ないページで、私の読解力では理解が難しかった。
そもそも、「秋のレビュー」の開催の意義や行政改革推進会議における「秋のレビュー」の位置づけがよく分からない。私の印象としては、国民に向けてのパフォーマンスに感じた。
この行政改革推進会議であるが、10月までに19回も開催されていて、その第19回会議のPDF資料が53ページにわたる膨大な量。いや、読むだけでも大変な資料、これを検証しているとは、頭の下がる思いである。でも、何となく、行政得意の資料だけの「アリバイ会議」のような気もする。
と、今回の記事は、それが本題ではなく、NHKの『ニュース7』の報道での、「秋のレビュー」の印象を述べたい。
冒頭で述べたように、最終日については、国際宇宙ステーションについて報じられていた。
国際宇宙ステーション
無重力状態で様々な科学実験を行い、産業や生活に役立つ技術開発を進める場として2011年に完成。
日本やアメリカ、ロシアなど15か国が参加し、これまでの負担額は9兆5000億円余り(予算を公表していないロシアを除く)。このうち、日本が投じたのは9000億円(年間運用費は約400億円)
河野 行政改革相
「そろそろ、宇宙ステーションに行って喜んでいる時代は終わったのではないかなあと。
予算をつけて、それに十分なリターンがあるかどうか、厳密な検証する時期に来ているのではないか?」
豊田 文部科学政務官(説明者)
「宇宙開発という人類共通の目標において、我が国の発言力・プレゼンスを高めることにおいて大いに経験している。
青少年への夢を希望を与えている。これは非常に忘れてはならない」
有識者A(検証側)
「人が宇宙に行く意味は何なのか?日本人が行かなければ行けない理由は何なのか?……
………というようなことをきちっと検討しない限り、いくら場当たり的に毎年議論しても、本質には迫れないだろう」
有識者B(検証側)
「どんな戦略を文科省さんとして持たれているのか、ビジョンをまず、見せてほしい」
私は、そもそもこの“有識者”という方達に不信感を持っている。
地元(旧武生市民)において評判の悪い合併後の新市名『越前市』の決定の際、形ばかりのアンケートを取ったが、それを全く反映させることなく、ごく少数の“有識者”たちが新市名を決定してしまったのである。(“有識者”は選ぶ側(行政側)にとって都合の良い知識人(この呼び方も嫌い)が選出されることが多い)
まあ、それはともかく、有識者Aが言うように「いくら場当たり的に毎年議論しても、本質には迫れないだろう」という指摘は正しい。
しかし、それを指摘しているあなたがその過ちを犯しているのではないだろうか?
行政改革推進会議が本当に綿密な議論を積み重ねてきていて、有識者が問題意識を持ってレビューに臨んでいたなら、「人が宇宙に行く意味は何なのか?日本人が行かなければ行けない理由は何なのか?」という質問を事前に文科省に突きつけておくべきで、それについての文科省の答えについて、「いや、私はこう思う」と議論を深めなければならない。
有識者Bさんについても、レビューの場で、戦略のビジョンを見せろというのではなく、事前にその旨を提示して、レビューの場でそのビジョンについて検証すべきである。
このやり取りを見る限り、まさに「場当たり的な議論」である。
突っ込むのが役目ではなく、どうしたら無駄がなくなるか一緒に考えるのが役目ではないだろうか?そうしないと前に進まない。
河野行政改革相の毒舌には感心するが、今まで無駄を通してきたのは政治家の責任も大きい。他人事のように辛辣な批判をすれば良いわけではないはずだ。
それに、国会議員にも無駄な人材が多いよね。
不正をしたのに、責任は秘書や部下に押し付けてしまう“先生”
議員としての職務をさぼって異性と遊んでいた“先生”
「秋のレビュー」も、まず、そこから始めてほしかった。
最終日(3日目)の議題の一つに、国際宇宙ステーションが取り上げられ、その意義について議論された。
この他、文部科学省の競技力向上事業(2020年東京五輪・パラリンピックに向け、予算が大幅に増えている)については、白紙撤回の新国立競技場の反省を踏まえ、責任体制を明確化する必要性などを指摘したようだ。
初日、2日目などを含めて、多種の項目について検証されたようだが、記憶があやふや。一応、『行政改革レビュー』も覗いたが、要領を得ないページで、私の読解力では理解が難しかった。
そもそも、「秋のレビュー」の開催の意義や行政改革推進会議における「秋のレビュー」の位置づけがよく分からない。私の印象としては、国民に向けてのパフォーマンスに感じた。
この行政改革推進会議であるが、10月までに19回も開催されていて、その第19回会議のPDF資料が53ページにわたる膨大な量。いや、読むだけでも大変な資料、これを検証しているとは、頭の下がる思いである。でも、何となく、行政得意の資料だけの「アリバイ会議」のような気もする。
と、今回の記事は、それが本題ではなく、NHKの『ニュース7』の報道での、「秋のレビュー」の印象を述べたい。
冒頭で述べたように、最終日については、国際宇宙ステーションについて報じられていた。
国際宇宙ステーション
無重力状態で様々な科学実験を行い、産業や生活に役立つ技術開発を進める場として2011年に完成。
日本やアメリカ、ロシアなど15か国が参加し、これまでの負担額は9兆5000億円余り(予算を公表していないロシアを除く)。このうち、日本が投じたのは9000億円(年間運用費は約400億円)
河野 行政改革相
「そろそろ、宇宙ステーションに行って喜んでいる時代は終わったのではないかなあと。
予算をつけて、それに十分なリターンがあるかどうか、厳密な検証する時期に来ているのではないか?」
豊田 文部科学政務官(説明者)
「宇宙開発という人類共通の目標において、我が国の発言力・プレゼンスを高めることにおいて大いに経験している。
青少年への夢を希望を与えている。これは非常に忘れてはならない」
有識者A(検証側)
「人が宇宙に行く意味は何なのか?日本人が行かなければ行けない理由は何なのか?……
………というようなことをきちっと検討しない限り、いくら場当たり的に毎年議論しても、本質には迫れないだろう」
有識者B(検証側)
「どんな戦略を文科省さんとして持たれているのか、ビジョンをまず、見せてほしい」
私は、そもそもこの“有識者”という方達に不信感を持っている。
地元(旧武生市民)において評判の悪い合併後の新市名『越前市』の決定の際、形ばかりのアンケートを取ったが、それを全く反映させることなく、ごく少数の“有識者”たちが新市名を決定してしまったのである。(“有識者”は選ぶ側(行政側)にとって都合の良い知識人(この呼び方も嫌い)が選出されることが多い)
まあ、それはともかく、有識者Aが言うように「いくら場当たり的に毎年議論しても、本質には迫れないだろう」という指摘は正しい。
しかし、それを指摘しているあなたがその過ちを犯しているのではないだろうか?
行政改革推進会議が本当に綿密な議論を積み重ねてきていて、有識者が問題意識を持ってレビューに臨んでいたなら、「人が宇宙に行く意味は何なのか?日本人が行かなければ行けない理由は何なのか?」という質問を事前に文科省に突きつけておくべきで、それについての文科省の答えについて、「いや、私はこう思う」と議論を深めなければならない。
有識者Bさんについても、レビューの場で、戦略のビジョンを見せろというのではなく、事前にその旨を提示して、レビューの場でそのビジョンについて検証すべきである。
このやり取りを見る限り、まさに「場当たり的な議論」である。
突っ込むのが役目ではなく、どうしたら無駄がなくなるか一緒に考えるのが役目ではないだろうか?そうしないと前に進まない。
河野行政改革相の毒舌には感心するが、今まで無駄を通してきたのは政治家の責任も大きい。他人事のように辛辣な批判をすれば良いわけではないはずだ。
それに、国会議員にも無駄な人材が多いよね。
不正をしたのに、責任は秘書や部下に押し付けてしまう“先生”
議員としての職務をさぼって異性と遊んでいた“先生”
「秋のレビュー」も、まず、そこから始めてほしかった。