英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

北の湖理事長死去に思う

2015-11-29 22:08:09 | スポーツ
 北の湖理事長の死は、私にとっては突然だった。
 若乃花(3代目)貴乃花兄弟のころから、徐々に大相撲への関心が薄くなり、他国出身力士が増え始めたころ、それが顕著になり、朝青龍らが幕内上位を占め、更に、賭博、八百長、しごき、大麻などの不祥事が相次ぎ、私の相撲熱は氷点下状態であった。
 それでも、私の日課の“『NHKニュース7』の視聴”によって、各場所の優勝争いは把握し、その日の重要取り組みも観ていた。ただ、よほどの事件がない限り、理事長の姿が映像に移ることはないので、理事長の健康状態が悪いとは思っていなかった。
 今場所、横綱・白鵬の猫だましについて、北の湖理事長は苦言を呈していたという報も(『ニュース7』ではないかもしれないが)耳に入ってきた。(猫だましは、実力下位者が、格上の相手に対して使う奇襲なので、横綱がそれを使うのは、横綱の権威を傷つける行為である)
 ≪うん、さすが北の湖理事長だ≫と思ったが、その数日後、亡くなってしまうなど、夢にも思わなかった。
 訃報の報道で、痩せてスーツがブカブカで、時折、苦痛に顔をゆがめるような近況の姿の映像を観て、驚いた。

 本当は、『横綱・北の湖を想う』と、“憎ったらしいほど強かった”北の湖について、想うがままに書きたいのですが、どうしても、大相撲界の現状に触れたくなってしまいます。時系列的には、横綱北の湖→北の湖理事長(大相撲界の現状)となるのですが、不満不平を後で書くと思うと、筆が進まないので、まず、不平の方から書くことにしました。


 北の湖は2002年に理事長に就任したが、2007年ごろから上記の不祥事の他、朝青龍問題、それに関連した杉山邦博の相撲取材証の没収事件などが相次ぎ、その対応のまずさで、私の評価は低かった。
 しかし、2度目の就任(2012年1月)からは、大相撲の人気回復に尽力してきたイメージがある。ファンサービスに努め相撲人気の回復や公益財団法人への移行など、理事長の功績であると言える。
 ところが、グレーな部分も多い。年寄株の売買は禁止したものの、年寄株を譲った親方から指導料を受け取ることは認められている。また、大幅赤字の放漫経営であるらしい。また、顧問との癒着や、九重親方との確執など……(今回、ネットで検索して知ったことで、まるっきりの受け売りなので、私が論ずるべきではない。気になる方は「灰色顧問」「九重親方降格」などで検索してください)

 それはさておき、外国人力士、特にモンゴル出身力士が君臨し続けるという面白くない状況が続いている。
 彼らは肉体的にも精神的にも強靭で、“プロスポーツ選手”の必要条件である強さのレベルは非常に高い。
 しかし、彼らの相撲を「相撲道」として観た場合、張り手や立ち合いの変化が横行する状況に疑問に感じることが多い。(最近では「相撲道」があるのか疑問に思うことが多いが)


 こういう議論をする場合、
『「強さ」「勝利」などの結果が最優先で、品位や武士道精神に囚われて勝利を手放すのはプロとしては疑問。
 ルールに反しなければ、非難される筋合いはない』

 という意見が出てくる。

 私も綺麗ごとだけでは成り立たないとは思っているが、内容で観客を魅了するのがプロだと主張したい。今の相撲の取り口に幻滅を感じることが多すぎる。
 ただ、幻滅を感じているのは少数派で、多くの相撲ファンや相撲協会の親方衆は現状に満足していたり、問題に思っていないのかもしれない。
 報道の扱いも大きく(私がNHKニュースを観ることが多いせいかもしれない)、連日、「満員御礼」が出されているようだ。また、バラエティ番組に出演し(出演依頼があること自体、人気がある)、魅力のあるキャラクターを露出している。最近では女性ファンも増えたようだ。
 まあ、世間的に相撲人気が出ることはいいことだと思うが、相撲内容や品格についての親方衆の目が甘くなってきているのは問題である。
 たとえば、「豪栄道×鶴竜」の一番。豪栄道が立ち合いの張り手から、先手先手を取って鶴竜を圧倒したが、これについて解説者は「張り手から気迫あふれるいい相撲でした」と褒めていた。そうか、あれが“いい相撲”なのか……張り手を容認どころか評価される……。

 張り手については、「電王戦……スポーツマンシップ、棋士のプライド……ルール内であれば“正々堂々”と言えるのか? 【1】」の「Ⅰ.「ルール内」ということ」という項や、「相撲の品格 日馬富士」で述べているように、相手の出鼻を挫く目的から、相手にダメージを与えるのが目的へと変容している。


 今回は、折角なので(何が“折角”なのかよく分かりませんが)、現横綱について考察したい。
 言うまでもなく、横綱は最高位。すべての力士が目指し、角界を代表する第一人者で、力士の模範となるべ
き地位なのである。
 昇進伝達式において、尤もな四字熟語を駆使して(若貴時代から流行り出した)“精進します宣誓”をして横綱(最高位)張る決意表明をしたはずである。(昇進伝達式は大関も行われる)
 品格を感じさせる相撲、所作が求められるはずであるが……


鶴竜
 真面目で、コツコツ努力を積み重ね力をつけた印象。
 過去の成績を見ると、勝ち星が続くとさらに高め連勝を伸ばしていく反面、連敗も多い。ただ、踏みとどまる精神力もあり小結時代から勝ち越しを24場所続けたという記録もある(歴代12位タイ)。
 横綱昇進の直前3場所、は9勝6敗、14勝1敗(同星の準優勝)14勝1敗(優勝)。優勝決定戦で敗れての準優勝は“優勝に準ずる”と評価され、翌場所を“綱取りの場所”と認定され、白鵬、日馬富士を破って14勝1敗の初優勝で横綱昇進を果たした。
 しかし、その前の場所は9勝6敗の平凡な成績。それなのに、1場所の好成績で横綱昇進の対象にするのはどうなのか?
 大関昇進後は8勝7敗、9勝6敗、11勝4敗、9勝6敗、8勝7敗、8勝7敗、10勝5敗、10勝5敗、9勝6敗、9勝6敗、14勝1敗、14勝1敗と直近2場所を除くと、横綱に近づくような傑出した成績はない。
 一応、直前の3場所が審査対象になるらしいが、「直前2場所が優勝に準ずる成績」という基準は甘いのではないだろうか?「大関で優勝すれば、翌場所“綱取り”」というのは、綱の重みを考えると、あまりにも安直ではないだろうか。

 逆に、この「大関での連続優勝」という規約(内規)に阻まれたのが、小錦。
 5勝10敗の負け越し(大関14場所で3回目の負け越し)の後、14勝1敗で優勝。“綱取り”の欲場所は10勝5敗に留まったが、その翌場所は13勝2敗の同星の準優勝だった(さらにその翌場所も12勝3敗の好成績)。
 さらに惜しかったのは、綱取り失敗から1年半から2年半後の時期。1991年5月場所から翌年3月場所にかけて6場所、75勝15敗…1場所平均12.5勝。
 14勝1敗で同星準優勝、12勝3敗、11勝4敗、13勝2敗(優勝)、12勝3敗(3位)、12勝3敗(優勝)
 “2場所連続優勝”に匹敵、総合的に見ればそれ以上の成績を残しているにもかかわらず、小錦は“2場所連続優勝”の規定に阻まれてしまったのだ。

 鶴竜の昇進前の成績をもう一度記すと、9勝6敗、14勝1敗(同星準優勝)、14勝1敗。
 「大関で2場所連続優勝」を拡大解釈した「大関で2場所連続優勝かそれに準ずる成績」という規定をギリギリクリアしただけの横綱の昇進後の成績は、9勝6敗、11勝4敗、11勝4敗、12勝3敗、10勝5敗、1敗14休、全休、12勝3敗と横綱の責任を果たしているとは言えない成績しか上げられなかった。横綱が平幕力士に敗れる金星配給率も高い。
 白鵬、日馬富士の2横綱不在の先場所は12勝3敗で何とか優勝。今場所も9勝6敗とさんざんな成績だった。

 以下はWikipediaからの引用
横綱審議委員会は無風で、10分余りのスピード推薦。決め手となったのは鶴竜の真面目な人柄とひた向きな姿勢であった。横審では一つも注文が出されず、各委員からは鶴竜の人間性を絶賛する声が続出した。宮田亮平委員は鶴竜を「頭が良い。言葉、礼儀作法がしっかりしている」と褒め、高村正彦委員は「日本人以上に日本人らしい力士だ」と高く評価。大島寅夫委員は「行儀も良いし、よく考えた相撲を取る。品格のある横綱になると思う」と期待していた。
 そりゃあ、横綱としての品格は推挙のひとつの要素であるべきだと思うが、直前3場所の成績が心もとない点を考えると、10分で審議を終了してしまうのはあまりにもお座成りであったと言える。審議委員会にとって、朝青竜の傷がよほど痛手だったのかもしれない。

 さて、先場所(9月場所)の優勝も褒められたものではない。
 白鵬、日馬富士の不在にも拘らず、12勝3敗での優勝がやっと。しかも、11連勝とトップを走っていた照ノ富士が連敗。13日目の敗戦の際、右ひざを負傷。14日目も照ノ富士が敗れ単独トップに立つも、千秋楽の直接対決で敗れ、優勝決定戦でようやく破っての優勝であった。
 さらに、論議を呼んだのがこの場所の14日目の稀勢の里都の一番。立ち合いで変化し、行事が「立ち合い不成立」と判断し、取り直し(稀勢の里が有利の体勢だっただけに、この判断も疑問)。取り直しの一番も変化して勝利。
 横綱が同じ相手に2度連続で立ち合い変化するのは、品格などゼロに等しい。真面目な鶴竜が、横綱昇進後、それに見合う成績を上げていないという責任を感じ、恥も外聞も捨てたのかもしれないが、横綱の権威に傷をつけた行為と言える。
 それでも、最近の相撲ファンは優しい。優勝の賜杯を手にした鶴竜に温かい拍手を送っていた。本当は、これではダメだと思うが。
 10分で審議を終了させた審議委員は責任と取って辞めるべきである。

 真面目だが、立ち合いの変化は意外と多く、張り手使用も珍しくはない。


日馬富士
 足腰の強さや瞬発力に非凡なものはあったが、成績が安定せずどちらかと言うと“弱い大関”に分類されそうなイメージだったが、3度目のチャンスで綱をつかんでいる。
 2場所連続優勝、しかも、2場所とも全勝優勝と文句なしで規約をクリアしている。
 ただし、その前の場所が8勝7敗と負け越し寸前であったこと、取り口が、張り手や変化技が多いことが不安(不満)材料だった。横綱審議委員会でも満場一致で推挙したが、「張り手やけたぐりは、禁じ手ではないが、自覚を促したい」「横綱の自覚を持って、張り手は慎んでほしい」といった前代未聞の注文が付いたそうだ。

 横綱昇進後の成績は、9勝6敗、15勝0敗(優勝)、9勝6敗、11勝4敗、10勝5敗、10勝5敗、14勝1敗(優勝)、全休、12勝3敗、11勝4敗、10勝5敗、3勝2敗10休、11勝4敗、11勝4敗、10勝5敗、11勝4敗、1勝1敗13休、全休、13勝2敗(優勝)
 横綱の及第点が12勝だとすると、それをクリアしたのは15場所中4場所のみ(他に休場、途中休場が3場所)。怪我が多いせいもあるが、強い時には強いが、負けが増えると勝利への執着心が薄れるのか負けが込み、横綱の責任を果たしているかと言えば、疑問である。

 しかし、日馬富士の場合、成績よりも取り口に不満が大きい。
 まず、“なりふり構わない”という取り組み姿勢。古くは最初の大関挑戦時、6勝5敗と追い込まれ、“なんとか二けた勝利を”と言う気持ちからか、12日目13日目と続けて立ち合いに変化し勝ち星を稼いだ。(結局9勝6敗)
 他に印象に残っているのは、白鵬との優勝決定戦か相星決戦で、立ち合い大きく変化してあっけなく勝利してしまったこと。相撲ファンを落胆させる行為である。勝ち名乗りを受ける日馬富士は、白鳳と目を合わすことができないようだった。

 さらに、もっと問題なのは、張り手
 日馬富士の張り手は、完全に相手にダメージを与える打撃である。
相撲における張り手は、真っ直ぐ手を伸ばし頬を叩く、ツッパリの延長戦のような軌道だが、日馬富士の張り手は、1回真横に手を振り上げボクシングのフックのようにヒットさせる。完全に相手にダメージを与えるため狙いすましたパンチなのである。
 今場所においては、栃煌山が被害者、強力な張り手を6発くらい食らっていた。今回は、強敵・栃煌山の前への推進力を押さえるためであったようだが、カッとなって100%打撃技になってしまうことも多い。張り手ではないが、勝負が決してからも相手を土俵下に突き飛ばすことも見かける。
 日馬富士に関しても、審議委員が辞任すべきであろう。


白鵬
 名横綱、大横綱と評しても異論は出ないであろう。時折、張り手をして、楽して勝つのが不満ではあるが。
 しかし、最近は勝っての絶対的な強さがなくなり、バタバタした取り口が増えてきた。
 白鵬自身、かなりの達成感を感じて相撲へのモチベーションが低下しているのかもしれない。
 さらに、白鵬自身が勝った手ごたえがあったが、取り直しになったことに対し、1時間も遅刻した優勝記者会見で、「もう少し緊張感を持ってやってもらいたいね」と批判したことなど、最近は言動に疑問符が付くことが増えてきた。
 そして、今場所の栃煌山戦で、相手の顔の前で両手でパチンと拍手する攪乱技を2度用いた。攪乱技は格下が格上に駆使する技で、北の湖理事長は「横綱としてやるべきことじゃない。横綱がやるのは前代未聞なんじゃないの?」と苦言を呈した。
 白鵬が栃煌山の出足を警戒したのか、ファンサービスなのかは分からないが、やはり慢心があるのではないだろうか?

 今場所、白鳳が終盤3連敗と失速したのは、北の湖理事長の苦言が自分に対する最後の言葉になってしまい、その苦言を糧に成長する姿を理事長に示す機会を失ってしまったショックからではないだろうか?
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