英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

N女流2級

2009-02-07 11:11:11 | 将棋
 N女流2級

 最初は実名を載せるつもりでしたが、「N女流棋士(N女流2級)」と表記することにしました。
 この記事は、NHKの女流の起用法に疑問を投げかける趣旨で、聞き手として、批判している部分もありますが、彼女のバッシングが目的でありません。
 今までこのブログに訪れてくださっているありがたい皆様は、英はこういう奴だとご理解いただけている気がしますが、検索によって初めてここにたどり着いたN女流のファンの方々にとっては、嫌な思いをする内容かもしれません。
 そこで、今回は私も不本意ですが、「N女流棋士(N女流棋士)」と表記させていただくことにしました。


【将棋連盟のサイトより転載】
女流棋士番号   62
生年月日     1987年11月30日
出身地      埼玉県入間市
師匠       高橋道雄九段
昇段履歴     1997年後期 育成会
         2007年10月1日 2級

 なぜ彼女を唐突に取り上げるのかと言いますと、実は私の中ではずっと疑問に感じていたことがあるのです。これから書くことは、多分に私の偏見が入っていて、「言いがかり」に近いものかもしれません。
 「それは違う」とお思いになった方は、腹を立てて下さってもけっこうですし、間違いを指摘してくださってもかまいません。


 実は、その疑問は昨年(今年度)の名人戦第一局に生じました。BS中継の聞き手が彼女だったのです。

 当時、私はSNSの日記で、次のように書いています。

*********************************
 なぜ、聞き手がN女流2級なのでしょうか?囲碁将棋ジャーナルならともかく、名人戦の第一局ですよ。格を考慮すれば、女流のタイトル保持者、または、経験者が適任だと思うのです(本日の9日は、女流王将戦トーナメント決勝の矢内女流名人×鈴木女流初段戦が行われていて、女流名人は不可能)。
 プロになってまだ半年、特筆すべき成績も上げていないN女流2級というのは、どういう理由があるのでしょう。他の女流棋士も納得がいかないような気がします。

 そういう疑問を払拭するような聞き手としての技量がN女流2級にあるのならいいのですが、解説の流れを中断するような的外れな補足説明が目立ちます。単純に相槌するのは芸がないという思いなのでしょうが、解説者の解説と重複するような補足や、解説者の説明を理解できてない対応が目立ちました。分からないことを単純に聞いてくれる方が、有り難いです。

**********************************

 けっこう辛辣に書いていますね。
 まあ、私の知らない(気づかない)理由があるのかもしれません。目くじらを立てるのも変なので、少々引っかかりを感じながら胸に抱えていました。


 そして、竜王戦の第七局。また彼女が起用されました。
 さらに、正月の『大逆転将棋』ではタレントのつるの剛士さんの挑戦を受けていました(ハンデ戦)。
 そしてさらに、『囲碁将棋ジャーナル』の1~3月期の聞き手役に起用されています。


 すごく売れていますね。やはり、彼女にそれだけの魅力があるということなのでしょう。
 竜王戦や囲碁将棋ジャーナルでの聞き手としては、落ち着きも増して、進歩していると思います。物怖じしない度胸のよさも感じます。口調も滑らかで、言葉もはっきりしています。
 しかし、やはり、SNSで書いた点が気になります。的外れな補足説明や解説者の説明を理解できてない対応は減ったと思いますが、解説者の藤井九段の解説をもう一度自分(N女流)の言葉で繰り返すシーンは何度も繰り返されました。
 ただ、これは初級者のために、敢えて繰り返しているのかもしれません。でも、個人的には、解説が遮られてテンポが悪く感じられました。

 その他としては、語尾に「ね」がつくことが多いことが気になります。文法としては間違いではないと思いますが、日常の話し言葉で親愛の気持ちを込めて「ね」をつけるようなニュアンスがあるように思います。分かりやすくいうと「タメ口」です。トーク番組ならそれでいいと思いますが、解説の聞き手ですから少しそぐわないと思います。
 具体例を挙げますと、「混戦が続くA級ですが、昇級争いは郷田九段が一歩抜け出しましたね」。こういうふうに、一つだけ取り上げると、そう違和感も感じませんし、語りかけや確認の意味では「ね」も必要だと思います。が、あまりに多いと気になってしまいます。
 それと、これは若い女性に良くあることですが、自分の近況や感想を述べる場合も「ね」を付けることが多いです。違和感を感じるのは私だけでしょうか。
 「私も間近で対局を見ることができたんですが、とても鳥肌の立つ思いでしたね」(揚げ足を取るようになってしまってますが…)

 もうひとつ疑問に感じることは、やはり彼女の実績です。昨年度デビューで、昨年度は3勝4敗、今年度は4勝2敗です。聞き手の場合は、将棋の実力以外に聞き手としての技量とか、解説者(名人戦も竜王戦も藤井九段)との相性もあるので、棋力や実績だけで論じられませんが、大一番の第一局(名人戦)と第七局(竜王戦)ですよ。やはり、実績や棋力を考慮するべきなのではないでしょうか。
 また、『大逆転将棋』では、女流棋士を代表して指すわけです。なぜ、彼女なんでしょう?


 ついでにもう一言。これはN女流に限ったことではありませんが、タイトル戦のBS中継で将棋の総評を解説者に求めることがあります。この時に、解説者に続いて聞き手の女流棋士にも求めます。それに、堂々と見解を述べるのですが、私は正直「なに生意気言ってんだよ」と思ってしまいます。
(NHKのアナウンサーにとっては、棋士も女流棋士もどちらも将棋のプロですから、同様に意見を聞きます。聞かれたら答えるのは仕方ないのですが)

 う~ん、こんなことを思ってしまう私はかなりの偏執狂かも。

 【補足というか蛇足というか】
「鳥肌が立つ」という表現は、元来、鳥肌が立つのは寒さや嫌悪感を感じた時の表現です(実際にもその現象が起こります)。
 最近、非常に感動した時の表現としても使われるようです。本来の意味と違うと指定を唱える方もいらっしゃいますが、実際、スポーツなどを観戦していて、ありえないほどの素晴らしいプレーや、劇的なシ-ンを見たときには、鳥肌が立っているような感覚がします。私も、最初は「異を唱える派」だったのですが、「これもありかな派」になりつつあります。(使いませんが)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

竜王戦第七局⑧ △5五歩の周辺 コメント欄に訂正があります

2009-02-01 12:53:38 | 将棋

 △5五歩(第20図)について考える前に、△5五歩に代えて△7四銀(参考図)が有力(宮田敦史五段説)だったということを記しておきます。

 参考図以下▲5六玉△6五金▲4五玉△6六金★2二銀△5七龍(参考図②)で後手勝ちとのことです。

 参考図②で▲3三銀成☆同桂▲2二馬以下後手玉が詰みがあるようだが、☆(3三)同桂が逆王手となってしまう。
 しかし、参考図の△7四銀は見えやすく、羽生名人の想定内であったはず。参考図②に至る手順で★2二銀で▲1二銀とするつもりだったかもしれない。それよりも、△5五歩のほうが死角から飛んでくるような怖さを感じる。手の広さもはるかにある。
 △5五歩以下▲2二歩成△同銀▲同馬△同玉に▲5五角の王手金取りも見える(新聞の観戦記によると、この筋は竜王は見えていなかったそうだが、後手大丈夫らしい)。とにかく、△5五歩と中空に放たれて、先手としては攻める手、守る手、攻防に利かす手がいろいろ見え、そのすべてに際どい変化が含まれている。羽生名人としても、1分将棋で、しかも、激闘が長時間続いていた中では読み切るのは不可能だ。

 話は横道に逸れるが、今シリーズのターニングポイントとなった第四局の終盤、竜王の△8九飛(自玉が打ち歩詰めで逃れているのを読み切った勝負手)に対して、実戦の▲3八金ではなく、▲4七飛△2八玉▲3八金△1九玉▲1七飛△1八香▲2八金打△9九飛成▲9八桂△2六桂▲2七飛△3八桂成▲同銀△3九金▲5九歩△同龍▲4九桂…というサーカスのような寄せ手順(千日手が結論だったかも)があるそうだ。
 この手順に対し、渡辺竜王は「1分将棋では出現する可能性がない局面(手順)で、検討するのは無意味」というような趣旨の発言をしている。竜王には時折このような合理的思考方法が見られる。極端な例だが、「勝ちやすい」かどうかを指し手選択の基準にすることもその一つ。

 △5五歩にはこういった竜王の将棋哲学(勝負哲学と言った方がいいかも)が表れている。つまり、「厳密に研究すれば△5五歩は負けだろう。しかし、1分将棋で読み切るのは難しい(不可能)。私(渡辺竜王)が読みきれないのだから、羽生名人といえども困難にちがいない。たとえ、正着を指されても、容易に負けることはないはず」というような指針があった。
 将棋そのものの要素に加えて、持ち時間や疲労や勝負の流れといった要素も含めて、勝つ可能性が高い手や負けにくい手を選択する。これは、勝負を争うプロには必要な勝負術である。渡辺竜王について言えば、純粋に将棋の内容で勝つという基本は変わらないが、ドライに勝負重視の指し方に切り替えている。その切り替えがきちんと成されているので、勝負どころでの読みが正確でブレも少ないのではないだろうか。

 対する羽生名人も、もちろん勝負重視に切り替えることはある。しかし、基本的には難しい局面でも、勝つ手を探求する。読み切れない時も、「これが最善のはず」という手を着手しているように思う。
 先に挙げた第四局の終盤の変化についても、勝負は別にして将棋の結論を求めている。これは私論だが、難解な変化で実戦ではありえない変化でも調べることで、その手前の局面の結論を出す。そういったことの積み重ねで、大局観が構築されていくのではないだろうか。



 とにかく、△5五歩を見て、わたしは大きな不安を感じた。第四局の終盤の失速が頭に浮かんだ。
 通常の羽生名人ならともかく、本局は渡辺竜王の新手に対し序盤から将棋を作り続け、背後から追走する竜王の圧力を感じ続け、決め手を逃しよろけて逆転。その後竜王の失着で再び勝機が訪れたという流れ。普通の相手なら、それでも勝ち切れるが、戦闘モード全開の竜王相手である。
 そして、羽生名人は▲2四飛と▲4八飛に絞り、▲2四飛を選択した。どちらも勝ちに見えるが、▲2四飛のほうが決めに行った手だ。▲4八飛は金をはずして自玉を安全にしつつ、金を手にしたことで後手玉に詰めろがかかる味のよい手で、安全な手である。こちらを選択する棋士が多いのではないだろうか。
 では、羽生名人はなぜ危険な▲2四飛を選択したのであろうか。それは、長引いては危ない。早く決めないとまずい。という思いがあったのだろう。実際、▲4八飛と指しても、まだまだ容易でなかったようである。


 羽生名人の▲2四飛に対し、渡辺竜王は△6四歩(第21図)と打ち、以下▲5五玉△4四銀打▲同成銀△同銀▲同馬△6五金▲5四玉△6三銀▲4五玉△4四歩▲同玉△3三桂▲3六玉△4七角▲2六玉△2九龍▲2七香(第22図)と進む。

 ▲5五玉以降は第22図までほぼ一本道で、手順に後手玉が安全になっていった。(実は▲2四飛は敗着ではなく、▲5五玉が真の敗着だったのだが、それについては後述します)
 「ああ、だめかな」と思いながら見ていたが、第22図はもしかしたらまだチャンスがあるかもと思えた局面だった。先手玉に詰めろが掛からず、後手の持ち駒も乏しい。入玉の可能性も残されている。そんな私の淡い期待を打ち砕いたのが△1四歩だった。
 金を取る▲6五桂に△2七龍と香を取り、先手玉を追いつめながら後手玉の脅威である先手の飛角を取り去り、勝利を確定した。
 
 さて、第21図の△6四歩に羽生名人は▲5五玉と逃げたが、渡辺竜王は感想戦後の検討(午前3時)で▲7五玉と逃げると詰みはないと語っている。また、『週刊将棋』1月7日号で宮田五段も「▲7五玉で詰みはなく、変化は山ほどあるが先手がよさそう」と述べている。
 さらに、これは私の疑問だが、第21図では▲6四同成銀と取っても後手の指し手が解らない。
 とにかく、ほぼ一本道で勝ちがなくなる▲5五玉を指したことが、羽生名人のスタミナが切れてしまっていたことを如実に物語っているのではなかろうか。たとえ、第21図で▲7五玉と指したとしても、羽生名人は勝ちきれなかったのではないだろうか。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする