■番外編2 「春一番が吹いた日」■
平成31年、2月下旬のある夜のこと・・
夕食を囲むテーブルの端で長男のスマホが鳴った。
「はい、え?何?どーした?」
スマホ片手にテーブルを少し離れ、ソファーに寝転がり話し始めた社会人2年目の長男。
「は?何でオレがお前のために東京へ行かないかん?」
「お前が春にでも帰って来いや~」
「お前な~、この前偶然に会うた先生がお前の事心配しよったぞ~」
どうやら都会に出た高校の同級生からの悩み事の電話らしい。
青い二十歳どもはそれぞれの地で苦悩の真っ最中、そうやって誰かに話すことで乗り切れればいい。
・・と、今度は自分のスマホが鳴った。
着信画面には登録していない携帯番号が表示されている・・。
少しだけ間を置き画面の受話器マークをスライドさせた。
「もしもし?」
すると聞きなれない、歳の頃も分からない、しかし少し人懐っこい男の声が聞こえてきた。
「あの~、この電話は上田君であってますかね?」
「はい、上田です」
「あの~、ワタシ、大阪のクリですが・・、分かるかなぁ?」
「え~っと、・・・ちょっと、スミマセン・・」
「あの~、大阪の散髪屋の~、ターニンの久里ですが・・分かる?」
「えーー!久里マスターですか?!えーー!お久しぶりです!」
電話の主は、私が理美容学校の助教師を辞めて苦労した後に辿り着いた修行先「ターニン」のマスター久里さんでした。
「いやね、今日な、兼井君が訪ねてきてくれてな、分かる兼井君?」
兼井君とはターニン時代の後輩の名前。
「分かりますよ~、数年前にサーフィンで四万十にきたついでにわざわざ探して寄ってきてくれましたわ~」
「そうやろ、それでワシ、上田君の電話番号教えてもらってん」
「そうですか~、お元気そうですね~」
「上田君も元気にしてる?」
南堀江に河内長野、ターニンは5年近く在籍した一番の修行先、
久里マスターのCUT技術は洗練されて素晴らしいものだった。
久里マスターは基本は不器用で、ネジ一つも上手に回せないような人、
しかし、いざCUTに入ると天才的なセンスで、ミナミのビジネスマンや遊び人を満足させていた。
人懐っこさは地方出身者からくるもので、いつも四国愛媛訛りが言葉の節々に優しく出てきたものだ。
性格も温厚で、少し大柄な奥さんがいて、自分は亭主関白なつもりでいるが、
大体は明るくおおらかな奥さんの掌で転がされていた。
大柄な奥さんに小柄なマスター、いわゆる蚤の夫婦というやつだ。
小柄な久里マスターの修行先はミナミのド真ん中、心斎橋の理容店、
若い頃にそのミナミ界隈を遊んだ感じで、
パンタロンのようなパンツに太めのベルト、柄の入ったシャツは大きな襟付きで、開いた胸元からは金のネックレスが見えてるという、
トラボルタ流とでもいうか、ファッションはいつも70年代風だった。
私がターニンで働いていた当時、娘、息子と、二人の小学生を抱えており、
自分のファッションなどにお金を使わずに昔の物を着続けている・・、いつもそういう感じだった。
濃い顔で、クシャっと笑う笑顔は、周りにいる人達を穏やかな気持ちにさせた。
久里マスターは、昔の頑固一徹な親方衆とは違い、要所要所で誉め言葉を口にする人だった。
「上田君と兼井君は性格もそれぞれ違うけど、君たちは必ず成功するから安心して頑張って」
若く青かった自分達はそういうひと言に励まされながら頑張れたものだ・・。
「田舎に帰ってお店やってるんだってね~」
結婚したこと、地元に帰ってお店を出したこと、3人の子供達がこの春にみんな社会人になること、近況を簡単に説明した。
「どう?景気は?」
「いや~地方の不景気ぶりはスゴイもんで大変ですよ~(笑)」
言った後に、心配させるようなことを口走ってしまったことを少し後悔した。
マスターの柔らかい口調は相変わらず人の本音を引き出す。
「今、景気がいいのはたぶん東京だけじゃないですか?」
「こんな田舎にも1000円散髪とか、大衆理容が結構あって、どこも繁盛してますワ」
「そういえば兼井君も大阪で安売り店3店舗のオーナーって言ってましたよ~」
「不景気やと安いものにはかないませんワ~」
「・・そうか、地方にも安売り店、大変だねぇ」
「ところで親父さんは元気?」
ターニンで5年を迎えた頃、親父がガンになり大きな手術をするということで、少しの間実家に帰らせてもらった。
ちょうどその頃、修行もマンネリ化に悩んでいて、親父の病気を理由に「高知で働く」と嘘を言いターニンを辞めた。
それからお店を変えて大阪に居続けたのだが、バツが悪くそれ以来久里マスターとは連絡をとっていなかった。
そういう後ろめたさがあり、スマホを耳に当てながらソワソワと部屋をうろついた。
「親父はまた違う病気で死んで、ちょうど先日に7回忌を終えたところです」
「ちなみに、先にオフクロも病気で死んでて、2年前に7回忌を終えてますよ」
「僕ももう50を過ぎてるんでね、親もまあ・・ね、順番ですわ」
「・・・、それは知らなかった、申し訳なかったね」
「随分と苦労したんだね・・・」
苦労したという自覚もたいして無いまま突っ走ってきたが、
久しぶりに目上の人から労ってもらったことに心の動揺を感じ、目頭が熱くなった。
「ワシな、この冬にやっとお爺さんになってん、67歳にして初孫やで(笑)、遅いやろ?(笑)」
「娘が里帰り出産で、今日初めてワシがお風呂に入れたってん(笑)」
奥さんが奪い取るように電話をとったらしく、
「上田君か?久しぶりやな!元気にしてるんケ、孫?そうそう、もうてんわやんわややでぇ~(笑)」
「え?私の父?爺さんか?そんなもんとっくに死んでるがな(笑)、爺さんによく缶詰めもらった?ようそんなこと覚えてるな~」
「上田君もきっと孫なんかすぐやで!頑張ってナ!ほなナ」
奥さんの明るい声は昔のまんまで懐かしく感じた。
電話は再び久里マスターに、
「長話になってゴメンなぁ」
「今日は兼井君が突然来たり、孫を初めてお風呂に入れたり、上田君と喋ることもできたり・・、なんか嬉しくてな~」
「・・上田君、君は必ず大丈夫やから!これからも頑張ってな!」
「ああ、それとな」
「ありがとう」
「今の自分がこうしてあるのも、あの頃に上田君や兼井君がウチで頑張ってくれたおかげや、ホンマやで、感謝してるわ」
「今日のこの電話はそれが言いたかってん・・」
「ありがとう!」
25年間も連絡を取らないようなこんな出来損ないに、こんな有難いお言葉・・・、
「いや~マスター・・・」
胸が締め付けられ、こみ上げてきた涙からシャガレ声に・・
「そんなん言わんといてください・・・」
涙があふれ出てきて、目頭を押さえ続けた。
「いや、こちらこそ、ありがとうございました、スミマセン・・、スミマセン・・・」
「これからもお元気で・・」
やっぱり、
人と人は繋がって生きている。
言葉は言霊となって心に響き、癒しや勇気となって人を育てる。
25年ぶりの突然の電話は私にとって「春一番」となり、長い冬を吹き飛ばしたかのような爽やかさが残った。
春には年号も平成から変わり、新しい時代の幕開けとなる。
これまでのすべての出会いに感謝し、これからの一つ一つの出会いを楽しみにしながら生きてゆこう・・・、
そう思った。
■番外編2 「春一番が吹いた日」■
「春一番が吹いた日」~The Chang~