「奇跡やのう」
約10年前、小学校の運動会で皆と同じようにお遊戯を踊る低学年の孫を見た両家の祖父達が口を揃えた。
次男は、さらに幼少の保育園時代は誰の言うことも聞かない手のかかる子供だった・・・。
口を開けて布団の中で熟睡している大きくなった次男を眺めながら、そんなことを思い出していた。
「おい!起きろ!山へ行くぞ!」
布団の中で首を横に振る次男。
我が家からの卒業旅行は山登り。(父が勝手にそう決めている)
ある程度の覚悟があったのか、しぶしぶと起きてきた次男を連れて山へ出発。
「風が心配やな~」
麓を走る車の中で呟いた父に返事もしない息子。
天気予報では日中は風速6mの強風。
しかし、登山口に到着すると風よりもガスが敵になった。
吹き付ける風にモヤが覆いかぶさり、視界も悪い中、入山。
景色は何も見えない。
目的地までは約2時間、ガスが抜けないものか・・
春に就職のために家を出る次男。
幼い頃によく公園でキャッチボールをしたものだ。
足が速く肩が強いというポテンシャルの高い兄に対し、野球センスが抜群だった弟。
少年野球では同級生のスーパーエースの活躍のおかげもあり、神宮の全国大会にも出場した。
「あの子は味がある子」
死んだ祖母がつぶやいた一言は、ある意味納得で、
野球の練習の帰りに野グソをして、お尻を拭く葉っぱを探してくれた友との友情をユーモアたっぷりに綴った「野グソ日記」は学校で絶賛されたりした。
中学になると、厳しい野球部の先生に心身ともに鍛え上げられ、生徒会長の役に就いた。
「いじめ撲滅」という地域の生徒会長達の取り組みが評価され、高知県代表として全国いじめサミットに参加するために文科省にも行った。
高校では野球部キャプテンを任され、任務をきちんと全うした。
癇癪持ちで、3人の子供の中で一番手のかかる子供だっただけに、その後の活躍は父からしてもまさに「奇跡のよう」だった。
後ろ姿を眺めながら、しばし感慨にふけった。
山の中で二人きりになると、不機嫌だった次男も少しずつ心を開き喋りはじめた。
社会に出る不安、将来の事、高校を卒業した次男の考えは、もう立派な青年だ。
家に居るとスマホばかり触って全くの出不精で、外に連れ出して気晴らしさせてやろうという目的でもあったが、
この父子の山歩きは親として送り出す息子への「安心」が欲しかっただけなのかもしれない・・、
いつしか少しだけ視界が開けて、少し景色が楽しめるようになってきた。
素晴らしいブナの景色。
ブナ林は癒し。
息子は、山の主からパワーを頂くのだそうだ。
親父もそうしよう・・
苔むした岩場で道に迷い(いつもの事)、不安に駆られるのもいい経験。
体力的には現役高校生(卒業間もない)にはかなわず、ゼーゼー言うのは親父。
ついに目的地、目黒鳥屋に到着。
「ウォーーッ!!スゲーーッ!!」
家では聞いたことのない大声で叫ぶ息子。
親父もうれしい。
セルフタイマーで記念撮影。
シートを広げ、強風の中、並んでオニギリを食べた。
少し休んだ後、リュックから取り出したモノを見て、息子の顔がほころんだ。
「グローブやん」
標高1000mを越える天空の地で、息子と思い出のキャッチボールをした。
キャッチボールは息子が子供の頃以来。
想いを込めて投げるボール、掌にズシッと響く想いがこもったボール、
父子のキャッチボールには言葉など要らない。
天空のキャッチボールは社会人として旅立つ息子への無言のエール。
いつの日か、遠いいつの日か、少しでも思い出してもらえるなら、父はそれだけで満足だ。
下山途中にやっと晴れて、優しい太陽に包まれた。