ポケットに小さな箱を忍ばせてジョギングを出発した。
佐岡橋を渡る黄色いダンプは確か親父が乗っていたものと同じだ・・・。
その昔、我が家には犬がいた。
名前は「ビル」。
茶色い耳が垂れ下がった白い犬で、セッターというメスの大型犬だった。
ビルは子供の私と同じくらいの大きな体で、ペットというよりも友達のようだった。
「お手」を促すと、顔はそっぽを向けながら大きな足を手に乗せてくれた。
冷たい肉球と、その後に撫でる温かい頭の感触は今でもちゃんと残っている。
亡き父の趣味の一つが狩猟で、ビルは狩猟犬として飼われていた。
猟では親父が撃った鳥ではなく、他の人が撃った鳥を咥えて帰ってくるという名犬ならぬ迷犬だった。
親父の仕事は建設会社のダンプ乗りで、定時に帰るとすぐにビルを散歩させに堤防に向かった。
当時、犬をつなぐリードは大きな縄だった。
たまに握らせてもらったが、大型犬の勢いは強くて子供の私は抵抗むなしく引きずられた。
堤防の上で縄を解かれたビルは一目散に下の広場に駆け出した。
川辺に水鳥を見つけるとピタッとその場に伏せをして、その後一気に駆け出して飛び立つ鳥を追い回した。
長い耳を上下に揺さぶりながら、それはもう楽しそうに追い掛け回すのだが、
最後は空に向かって小さくなる鳥を恨めしそうに眺めた。
どんなに遠くにいても親父が「ピュイピュイーッ」と口笛を鳴らすと飛んで帰ってきた。
子供の私の口笛でも帰ってきたときは、飛び上がるほどうれしかった。
親父の休日は、猟の訓練という目的で堤防の上にビルを置き去りにして車を走らせた。
私は後部座席から後ろの窓にへばりつき、必死の形相で追いかけて来るビルの顔に胸が締め付けられた。
ある夕方の散歩の時、縄を解かれたビルはいつもと様子が違った。
水鳥には目もくれず、一心不乱に駆け出して、あっという間に遠くに消えた。
「ピュイピュイーッ」、何度も吹かれた親父の口笛でも帰って来なかった。
親父は不機嫌そうに家に帰った。
私も不安な気持ちのまま後に続いた。
日も暮れた夕食後、やっぱり気になり玄関を開けてみるとビルはそこに居た。
扉の前にチンと座って申し訳なさそうな上目遣いをしていた。
親父に頭を一発叩かれて家に入れてもらったビルは、小屋で残飯にむしゃぶりついた。
カツカツというアルミのお椀の音を聞きながら私はこっそりとその頭を撫でてやった。
犬には帰巣本能がある事と、嗅覚が優れていて人の匂いを追えることをその時知った。
中学になり英語の授業がはじまり、女性教師に流暢な英語で飼っている犬の名前を聞かれた。
「ビルです」
いかにも外国っぽい名前に興奮した先生は続けて「名づけの意味」まで訊ねてきた。
「えーっと・・・、ビルのように大きいからです・・」
クラスは失笑に包まれた。
そういえば、どうしてビルだったのか・・・、今でも分からないままだ。
ちょうどその頃、ビルは高齢での出産となった。
フィラリアの病気と闘いながらの命がけの出産だった。
それでも頑張って、大きな小屋の中でのたうち回りながら数匹の子供を産んだ。
しかし、よほどしんどかったのか、産まれたての子犬を大きな自分の体の下敷きにしてしまった。
かろうじて救い出した一匹の真っ白な子犬は、私の手の上にひかれたバスタオルの中で静かに動かなくなった。
それから少ししてビルは死んだ。
その後、親父に連れられ、どこかの河原近くに穴を掘って埋葬した。
・・・あれから40数年、
「そういえば、あの埋めた場所ってどこやろう?・・・近くに親父のダンプもあったような・・」
お客で来たガソリンスタンドで働く同級生にそんな話をしていると、
その河原の場所に思い当たるふしがあるらしい。
「その河原はあそこじゃないか?」
私は今、そこに向かってジョギングをしている。
教えられた通り家から約7km、大きな車道を離れて脇道を進む。
何処となく見覚えのある風景・・・、同級生によると親父のダンプはここに停められていたらしい。
草むらから河原へ続く道がある。
突然現れた見覚えのある空間に気持ちが高ぶる・・・。
そうだ!たぶんこの辺だ!・・・、ビルはこの何処かに・・、胸が締め付けられ熱いものがこみ上げる・・。
「ビル!」
「ビルーッ!」
声に出すとポロポロと涙が溢れだした。
「ピュイピュイーッ!」
「ピュイピュイーッ!」
静かな景色にこだまする口笛。
川面から小さな魚が跳ねた・・
ポケットの小さな箱から短い線香とライターを取り出し、花の横で手を合わせる。
線香の火が消えるまで河原で石を投げて遊んだ。
ビルの面影と一緒に、子供だった昔のように・・・。
ビルは追いかけて飛んだ鳥のように空にいるのだろうか・・
帰りもジョギングで走って家まで帰る。
「足跡と匂いを残しておくから、自慢の鼻を利かしてたまには帰っておいで・・・ビル!」