四万十川をまたぐ昭和大橋、
橋を渡ると直線の車道を進むが、ゆるやかな上りで結構しんどい。
そこに応援隊の嫁が現れた。
「みんな通りすぎたけど、アンタが一番疲労激しいで~(笑)」
「なんか、ゆっくり行きすぎて逆にしんどいわ」
たいして愛想もふらずに出発する。
コースは基本山道で狭くて危険な為、車などでの移動応援は禁止。
嫁はこの後、別の道での遠回りで中村に帰る。
トンネルをくぐると小野大橋を渡り返して山道に戻る。
40km、「5.22.05」。
ヤバい・・・遅い、頑張らなくては・・。
50km地点、ここで半分。
53km地点、半家沈下橋到着。
この橋は往復、沈下橋から見える景色は気持ちがいい。
リフレッシュした後は峰半家の峠。
この峠はみんな歩く。
走っても歩いても大きなタイムロスにはつながらない。
峠の下りから走り出す。
56km、第2関門。
おお、そんなにロスがない。
「またこんな時間に現れた~!大丈夫~~?そのタイム?」
ボランティアスタッフで地元スポーツ用品店のキンちゃんがいつものように冷やかしてくる。
「何を言っているのやら・・!いつも通りやん!」
周りの笑いを誘う。
「今年は何処まで行くの?」
「う~ん、あと2つ関門くぐって80kmぐらいかな~」
「まあそう言わずにゴールまで行ってきて!」
「ヨッシャ!」
言葉とは裏腹に、体力を失ってきた・・。
今回は脚の攣りは全く無し、つま先や足裏が痛いくらいで大きなトラブルはない。
しかし、やっぱり体力不足で60km付近から歩きが入った。
そうなると、もう関門との戦いになる・・。
62km、第3関門カヌー館。
うわ~、残り6分・・・。
危なかった、ここで関門にかかると引退を決めていた。
四万十ウルトラは「100kmの部」と「60kmの部」があって、
過去一番早く関門にかかったのは71.5km、60km程度で終わるなら「60kmの部」に出るべきだ。
危ない危ない・・。
カヌー館はレストステーション、スタート地点で預けた荷物が一度受け取れる。
荷物の中から高価な栄養ドリンクを飲んで再出発した。
再出発して気が付いたが、パイプ椅子に座っているランナーが多い。
ランナーにはそれぞれの事情があるらしく、
完走や目標タイムが無理だと判断すると、次の大会に疲労を残さないように早めにやめてしまう事もあるようだ。
私がドリンクを飲んでいる頃、ここの関門は閉じたはず。
つまり今現在レースに参加しているランナーの中では最後尾に近い。
再出発後もランナーの姿はまばらどころか前後にも見当たらない。
体力を振り絞り前に進むが、ランナーの姿が全く見えない山道を黙々と走る。
弱いメンタルは簡単に折れて歩きはじめる。
いやしかし、走らないと次の関門には確実にかかる。
キクちゃんマリオのキノコ、ここで欲しい・・・。
走る、でも歩く、でも走る、
繰り返していると直線の向こうに歩くランナーを見つけた。
目標を見つけると頑張れる。
遅くても走り続けるとリズムが生まれ、体が躍動して進め出す。
復活。
キロ7分後半だが、走れるようになってきた。
68km地点、岩間沈下橋。
走る。
70km地点通過、
歩くランナーを交わしながらどんどん前に進む・・・、
っていうか、歩くランナーしか見当たらない・・・。
嫌な予感がしてボランティアのお兄さんに聞いてみる。
「もしかして1km先の関門は閉まった?」
「少し前に閉まりました」
なるほど、それでみんな歩いているのか。
前を歩くランナーに見覚えがある。
「おお、リンダ!ここにおったか!」
飛脚Tを買ってくれた嫁の友達リンダ、四万十は抽選に落ちまくって念願の100km挑戦だったらしい。
「脚が終わったもん、関門閉まったらしいで~」
「知ってる、とにかく走って終わるわ」
芽生大橋。
この橋を渡ったところが71.5kmの関門所。
惜しいどころか、15分も足りなかった。
審判員の知り合いと談笑。
「あ~そうそう、そこの時計掲示板で記念写真でも撮ってやろうか?」
「ほんまや、お願いします」
広島の大柄なランナーさん「来年リベンジしますよ~!」
そうそう、私も来年もう一度勝負する。
リタイアバスに乗り込む。
隣に座る愛媛県の女性ランナー「この橋の名前は何ですか?」
「ああ、かよう大橋、芽生大橋って書きますよ」
振り向くリンダ「何?ナンパしてるの?嫁に言うで!(笑)」
「ちゃうわ!あ~リタイア報告を嫁にせんとな~、ううう」
リタイアバスはまだ走るランナーを追い越しながら進む。
みんなヨレヨレで、それでもあきらめずに前に進んでいる。
心が締め付けられる・・。
バスはゴール会場の母校中村高校の堤防上に到着する。
リタイアした人だけもらえるリタイアタオルをもらう。
「あれ?テッちゃん!タオル生地薄くなってない?予算不足?」
近くにいた知り合いボランティアスタッフを冷やかす。
「それを知っているということはいつもリタイアしてる証拠やん」
「ハハハ!」
堤防から階段を下り体育館に向かう。
いつものリタイアならこの階段が下れないが、今回は普通に下れる。
脚の状態は・・残念ながら生きている。
出し切らず、ボロボロにもならず、メンタルが早めに折れただけの弱者なのだ。
出店ブースでうどんを食べる余裕すらある。
そこを仕切っているモーリ君は私の長年の顧客でエリートランナー、
「見たところ元気そうで痛んでないですね~」
「今年は痛まずに関門にかかってしまいました!あれ?走らんかったの」
「ブースが人手不足なんで今回は仕事してます」
それぞれのランナーにもそれぞれの事情があり、私の挑戦やリタイアもそんな風景の一部に過ぎない。
時刻は午後7時を過ぎて、残り30分。
仲間の帰りを待ちながらランナー達の応援をする。
私にも完走歴があり、最後のゴールの瞬間の感動はよくわかる。
ついその1km前まで暗い山道を絶望感と闘いながら進んできたのだ。
先に戻ってきたのは隊長アベだった。
同級生ランナーで初100kmの一発目で完走したのは彼女だけ、スゴイ!
続いて14時間の10分前にセイシが飛び込んできた。
横に手を広げながら「ギリギリセーフ!」
ゴール会場には同級生達も何処からとなく集まり記念撮影。
背中の飛脚の文字を書いてくれたレイちゃん「アンタまたリタイア?どこ?70?最近その辺ばかりやん」
その通り、4回前の完走を最後に90km付近の闘いが出来なくなった。
体力・気力・練習、ウルトラに必要なもの全てが不足している。
でも来年、30回記念大会は再度100kmの部に出場する。
ゴール関門が閉ざされ、花火が打ち上がった。
アベ「打ち上げは?」
「先にゴール(?)したワイがちゃんと居酒屋予約したわ(笑)」
セイシ、アベ、15年前の同窓会から誕生したチーム飛脚の同志、
アベは応援隊からジョギングを始め、今回見事に100kmを走り抜いた。
居酒屋では感慨深げにこれまでを振り返り余韻に浸った。
帰宅後、就寝前の11時過ぎ、息子から携帯電話に一本のメッセージが入った。
前日の仏壇の両親への願い事の「もう一つ」、
「そしてどうか・・・、母子ともに健康で丈夫な赤ちゃんが産まれますように!」
100kmの完走はならなかったが、私はその日、無事におじいさんになった。
来年、じーじは晴れて最後の100kmの旅に向かう。
■おわり■
もうコースの景色も知り尽くしているのでは?(笑)
応援ありがとうございました。
来年、ジジイは完走しますよ~!
まーさんも週末はファイトです!
応援してますよ!(^^)/
読み進めるうちに、こちらまで一緒に走っているような臨場感がありました!
100キロを走り抜くって、強靭なメンタルと体力、走力が必要なんですね
お孫さんの為にも、来年こそ完走!
カッコいいじーじとして、フィナーレを迎えてくださいね
リタイアのレポートが多いんで、来年は完走してカッコいいジジイを目指します!(^^)/
カッコイイおじいさんになるためにこれからも走り続けてください‼️