「第1回四万十おきゃく映画祭」。
「映画の館ない町に映画際を・・」、ということで昨日中村文化センターに映画を見に行ってきました。
上映後には役者さん達の舞台挨拶もあり、
「映画という文化に触れられないということは寂しいこと」
「是非みなさんの力で市のほうに働きかけを・・」
という俳優井浦新さんのお言葉もありました。
「映画館もない町」、
高知県西部幡多地方では10年前の「中村太陽舘の閉館」を最後に映画館を失ってしまいました。
自分達が学生だった頃、
「太陽舘」は数少ない娯楽の中心であり、貴重なデートスポットでもありました。
学校近くで学割前売り券を配ってくれていたおばさん。
独特の字体で手書きの大きな看板を映画館に掲げていたおじさん。
「昭和の匂いがする」太陽舘。
実は今でも密かに「太陽舘復活」を期待していましたが・・、
先日、残念ながら館長沢田さん(87歳)が老衰でお亡くなりになったそうです。
大型テレビの登場、DVDによるレンタルの普及、若者の映画離れ。
自分達が高校生時代にまだ元気があった太陽舘でしたが、
10数年後に都会から帰ってきた時にはもう随分寂れた感じでした。
約5年前、あるSNSに「閉館数年後」に書いた太陽舘の思い出についての記録があるので、
追悼の気持ちを込めて紹介させていただきます・・
~~~「太陽舘の思い出」~~~
大阪から帰って間もない頃、
まだ保育園児だった子供達を連れて当時人気の「千と千尋の神隠し」を観に行きました。
午後の上映がPM4:10~だったので、夕方自転車に3人乗りで急ぎました。
とりあえず着いて中に入ると・・真っ暗で誰もいない。
「休みやろうかね~?」と立ちすくんでいると、外から太陽舘のおばさんが現れました。
「あ、映画観に来てくれた?」
「今おじいさん呼んでくるけん、そこに座って待ちよって」
待合ソファーに腰を降ろすとすぐ横には懐かしの「瓶ジュースの自販機」
再び現れたおばさんが
「もうすぐやるけん中に入って待ちよってね~」
劇場の中は誰も居なくて真っ暗。
「誰もおらんけん好きなトコロで観てええぞー!」
父の号令で子供達は迷わず最前列めがけて突進!
自分は映画が一番観やすい中央へ・・。
勢いよく座席に座ると、「痛っ!」
どうやらシートが裂けてスプリングが飛び出していたらしく、あえなく1つ前の席へ移動・・
今度は手でしっかりと確かめてから着席。
暗闇に目が慣れてくると周りがよく見え始めました。
スクリーンのある舞台上には(会議などでよく使う)長テーブルが幾つも乱暴に置かれており、
もう確実に閉館が近づいている事を感じ取れました。
とはいえよく見ると懐かしい光景の数々・・
・座席の前方3列は「木のベンチイス」
・左手には「売店コーナー」(何と劇場内にあったんですね~)
「確か2階には畳コーナーがあったような・・」などと思っていると、
どうやらおじいさんが現れたらしく、
「コツ、コツ、コツ・・」と階段を登る足音。
そして何と!
「そろそろ、い~ですかぁ~?」と掛け声が・・
「???」
辺りを見回しても当然自分達しか居ない訳で、戸惑いながら・・
「ぉ、おねがいします~~!」
その声を確認してから「パッ」とスクリーンに映り始め、無事映画がスタートしました。
「これはスゴイぞ!生まれて初めての映画館貸し切りや!」と興奮しました。
ちょうどスクリーンに「顔なし」が現れた頃、
背後から「ぬぅ~」っと「本物の顔なし」・・ではなくおばさんが現れ、
「あのぅ・・お代のほう頂いてよろしいでしょうか?」
「ああ、そうか、まだ払ってなかった・・」と財布を覗いていると、
「お菓子もあるよ~!!」と子供達に誘い水。
・・人生で最高値のポッキーを買わされました。
映画が終わると保育園児特有の大袈裟な拍手が館内に響き渡りました。
出口ではおばさんが快心の笑顔でお見送りしてくれました。
「よかったです!今度また来ます!!」
それから少しして、残念ながら「太陽舘」は閉館となりました。
~~~太陽舘の思い出~~~
まるで「四万十映画祭」の開催に安心したかのように天国にいかれたご主人。
ご苦労様でした。ありがとうございました。
そして本当に「サヨナラ太陽舘」・・・
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