ある地区の長老がお亡くなりになったことを地域の広報誌で知りました。
長老は私の接客業の顧客であり、
当然顧客の中でも最年長であって、孫ほど歳が離れていた私を随分可愛がってくれたものです。
街から車で15分、四万十川を上った地区のご自宅を訪ねました。
四万十ウルトラで走るコースでもあり、この辺の土地勘は十二分にあります。
風の強いこの地区は見晴らしが良く、
今日のような陽気はなおさら空気が暖かく感じられました。
初めて訪れたご自宅は高台の日当りのいいお家でした。
綺麗には舗装されていない急斜面を上りました。
上りながら高齢のご夫妻が長寿である理由がこの坂道にあることを確信しました。
やはり人間は足腰。
毎日こんな坂を上り下りして畑仕事をしていたご夫婦の足腰は、相当に鍛えられたものでしょう。
長老の爺さんは大きいスイカを作る名人でもありました。
自分の親父も小さい畑でスイカを作っていましたが、
初年度に偶然上手く出来たスイカをその後に上回ることは出来ませんでした。
長老のスイカは毎年安定して大きくて美味しいもので、やはりプロでした。
顧客であった長老は、晩年は少し認知症を発症してしまいましたが、
「戦争の話」と「幼い頃近所の少女が溺れていたのを助けた話」や、
「四万十川の鮎が昔はとても大きくてたくさんいた話」をするときはとても活き活きしていて、
一から十まできれいにお話の出来るとても頭のいいお方でした。
去年の暮れに街の病院を訪ねた際、
私の励ましの声に対して綺麗な「OKサイン」を指で作って笑ってくれたのが最後になってしまいました。
高台のご自宅は日当りも良く、
私よりも随分年配の娘さんに丁重に迎え入れられまして、
既に遺骨となった長老に手を合わさせて頂きました。
帰りの車の中で、長老がよく言っていた言葉を思い出しました。
「私はあのトンネルをくぐった後のあの景色が四万十川の中で一番好きです」
トンネルをくぐり四万十川に目をやると、
穏やかに流れる四万十川の傍に綺麗な菜の花が咲いていました。
長老が好きだった景色のある場所は偶然にも私のお袋の里でもあり、
3年前に死んだお袋も愛した景色でもあるでしょう。
思わず菜の花に近寄ってみると、最近では珍しい小さなツクシが頭を出していました。
「春の訪れ」です。
長老からすると私なんかこんなツクシのようなもんでしょう・・
(こんなに可愛くもないですが・・)
ご冥福をお祈りします。