美保関燈台(みほのせきとうだい)は、島根県松江市美保関町に位置する
山陰最古の石造灯台です。
明治31年11月8日、島根半島の東端に位置する地蔵崎の馬着山にて、
フランス人技師により設計、片江の石工寺本常太郎によって施工されて、
初点灯しました。
日時計でしょうか?
灯台横にある建物は、当時の灯台職員であった旧吏員退息所(職員官舎)です。
現在は“美保関灯台ビュッフェ”という飲食店に改装されています。
「与謝野鉄幹 晶子歌碑」
昭和5年、当地に与謝野夫妻が訪れ、同夫妻が残した歌が灯台施設前の石碑に
記されています。
「遥拝所」
古文書に記載のあった古事に基づき設置されたとのこと。
「神蹟 美保之碕」と刻まれている石碑
島根半島の最東端に位置する当地の岬は、古くから「美保之碕」と呼ばれていた
とのこと。
美保関燈台は、「世界灯台100選」及び「日本の灯台50選」に選ばれている日本
を代表する灯台の一つです。
その歴史的文化財的価値が高さから、Aランクの保存灯台に指定され、灯台として
初の登録有形文化財に登録されています。
当地から“隠岐の島”が一望できる様なんですが、当日は曇って見えませんでした。
残念です。(×_×)
「日本海軍美保関沖遭難事件」
昭和2年8月24日、旧海軍による夜間演習中での艦艇の多重衝突事故を紹介
されている碑が置かれています。
『美保関のかなたへ』と題した建立の経緯が説明されています。
事件の概要を図説しています。
軽巡洋艦「神通」と駆逐艦「蕨」が衝突事故を起こし、「神通」は艦首を喪失する
大破、「蕨」は沈没しました。
このとき「神通」を避けようとした後続の軽巡洋艦「那珂」も駆逐艦「葦」に衝突し、
両艦も大破しました。
昭和37年から無人化となります。
平成5年には、メタルハライド電球を使用するLB-M60型灯器となり、最新設備に
改良されました。
当施設は明治の面影をとどめた凝灰岩の石造りとして風格のある建造物です。
現在の維持管理は、海上保安庁境海上保安部が管轄しています。
灯台としては初の登録有形文化財を見学できた事に感激です。
日本海を一望できることからも一見の価値ありの観光スポットです。(^_^¥
山陰最古の石造灯台です。
明治31年11月8日、島根半島の東端に位置する地蔵崎の馬着山にて、
フランス人技師により設計、片江の石工寺本常太郎によって施工されて、
初点灯しました。
日時計でしょうか?
灯台横にある建物は、当時の灯台職員であった旧吏員退息所(職員官舎)です。
現在は“美保関灯台ビュッフェ”という飲食店に改装されています。
「与謝野鉄幹 晶子歌碑」
昭和5年、当地に与謝野夫妻が訪れ、同夫妻が残した歌が灯台施設前の石碑に
記されています。
「遥拝所」
古文書に記載のあった古事に基づき設置されたとのこと。
「神蹟 美保之碕」と刻まれている石碑
島根半島の最東端に位置する当地の岬は、古くから「美保之碕」と呼ばれていた
とのこと。
美保関燈台は、「世界灯台100選」及び「日本の灯台50選」に選ばれている日本
を代表する灯台の一つです。
その歴史的文化財的価値が高さから、Aランクの保存灯台に指定され、灯台として
初の登録有形文化財に登録されています。
当地から“隠岐の島”が一望できる様なんですが、当日は曇って見えませんでした。
残念です。(×_×)
「日本海軍美保関沖遭難事件」
昭和2年8月24日、旧海軍による夜間演習中での艦艇の多重衝突事故を紹介
されている碑が置かれています。
『美保関のかなたへ』と題した建立の経緯が説明されています。
事件の概要を図説しています。
軽巡洋艦「神通」と駆逐艦「蕨」が衝突事故を起こし、「神通」は艦首を喪失する
大破、「蕨」は沈没しました。
このとき「神通」を避けようとした後続の軽巡洋艦「那珂」も駆逐艦「葦」に衝突し、
両艦も大破しました。
昭和37年から無人化となります。
平成5年には、メタルハライド電球を使用するLB-M60型灯器となり、最新設備に
改良されました。
当施設は明治の面影をとどめた凝灰岩の石造りとして風格のある建造物です。
現在の維持管理は、海上保安庁境海上保安部が管轄しています。
灯台としては初の登録有形文化財を見学できた事に感激です。
日本海を一望できることからも一見の価値ありの観光スポットです。(^_^¥