流浪オヤジの探検日記

KOBEを拠点に各種イベントや名所・旧跡を見て歩き、紹介していきます。

エアーパーク 災害派遣紹介コーナー_続報

2011-04-30 | エアーパーク
ゴールデンウィークが始まりました。
世の中、自粛傾向なんですが、この先どうなることでしょうか?

今日(4/30)は、エアーパークへ行ってきました。
先日見た「災害派遣紹介コーナー」がバージョンアップしたとか?
設置場所を変えて、かなり様変わりしてました。
休日なので、お客さんも沢山見ていました。
出来るのなら最初から・・・(自主規制)・・・と、f^_^;

<展示格納庫内>
休日ながら結構、賑わっていました。
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エアーパーク 災害派遣紹介コーナー

2011-04-20 | エアーパーク
今日は仕事が休みだったので、エアーパークへ行ってみました。

館内では、東日本大震災に対する自衛隊の災害派遣ついて紹介するコーナーが設置していました。
しかし、内容的に・・(自主規制)・・・でした。(×_×;

今一番の関心事に関わらず、何だかなあ~という感じです。
まあ今後の展開に期待しましょう。
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第一航測聯隊跡地

2011-04-09 | 史跡・旧跡
浜松市中区に公園「小豆餅子供の遊び場」があります。
戦前は、旧陸軍の「第一航測聯隊」と呼ぶ部隊が置かれていました。

跡地である公園に黒松があります。
黒松の根元には「航測の松」という石標が置かれています。
第一航測聯隊跡の石碑と説明が記されている碑誌があります。

第一航測連隊は、昭和17年、現在の小豆餅に置かれたそうです。
同隊は、方向探知機や対空無線機を使って、作戦の支援や航空機の誘導を任務とする航測手の基本教育を行ったとの事です。
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テレビジョン発祥の地

2011-04-06 | 史跡・旧跡
浜松市中区に所在する西部公民館の前に「」の記念碑が建てられています。
その記念碑に記されているのは「浜松高等工業学校開校の地」と「イ」の字があります。

浜松工業高等学校(現在:静岡大学工学部)の助教授だった高柳健次郎氏が、この地でブラウン管テレビを発明したとの事です。
同氏はブラウン管に「イ」の字を映し出すことに成功します。

西部公民館の隣りにある市立高校の場所にはかつて、静岡大学工学部の前身である浜松高等工業学校が所在していたそうです。
西部公民館の前には、「第十一臨教・濱松臨教、修學之地」と記された碑が置かれていました。

浜松高等工業学校電子研究所の跡地でもあったようです。
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遠州姫街道

2011-04-05 | 史跡・旧跡
姫街道(ひめかいどう)は、東海道見附宿(静岡県磐田市)と御油宿(愛知県豊川市)を結ぶ東海道の脇街道です。

浜名湖の北側、本坂峠を越える道として、本坂道、本坂街道、本坂通りとも言われるそうです。
姫街道と呼ばれるようになったのは幕末からとのこと。
名称の由来は、女性が多く利用したためや、古いという意味の「ひね」の街道から変化したものともいわれるそうです。
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浜松市営バス跡

2011-04-04 | 史跡・旧跡
和地山公園(浜松市中区)の近くに石碑「浜松市営バス跡」があります。

調べると、正式名称は「浜松市交通部」との事。
昭和11年から静岡県浜松市が地方公営企業法に基づく地方公営企業として経営。
通称として「浜松市営バス」と呼ばれていたようです。

昭和32年から事業所が和地山町へ移転。
昭和61年、民営への移管を行い事業廃止。
政令指定都市で市営バスが消滅した初めてのケースとの事。
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和地山公園

2011-04-03 | 公園
和地山公園は、浜松市中区に位置する野球やサッカーなどの運動公園です。
戦前は、旧陸軍の高射砲部隊としての練兵場でした。

浜松まつりの凧揚合戦が、この地で大正7年から戦前までの間、開催されていたそうです。
また、大正3年10月31日、当時の民間飛行士・星野米蔵氏が国産飛行機による展示飛行を行った記録があるそうです。
石碑は昭和5年、天皇陛下がこの練兵場に閲兵を行ったことを記念して、翌年に建てられたとの事。

この地の起源としては、隣りに位置する静岡大学浜松キャンパスにおいて、旧陸軍が所在することから始まります。
明治40年、歩兵六十七連隊が駐屯開始(大正14年、宇垣軍縮により廃止)、その後、歩兵第十八連隊第三大隊(第三師団)が配置、
昭和3年、高射砲第一連隊が愛知県豊橋から移駐。
終戦、昭和24年、静岡大学工学部を現在地に設置、現在に至る。

現在、旧陸軍の面影はなく、少年達のスポーツの場として存在しています。
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