防府市八王子に蒸気機関車と客車を静態展示している「鉄道記念広場」があります。
かつて山口県防府市と佐波郡徳地町(現山口市)の間に鉄道路線が結ばれていました。
当時の本路線に“防石鉄道”という鉄道事業者が運営していました。
機関車「2」
川越鉄道(現・西武鉄道)2を開業時に元の番号のままで同社から譲り受けました。
製造国:ドイツ、製造:クラウス社、製造年:明治27年
長さ:7.8m、高さ3.6m、幅2.4m、重量23.1トン
旧国鉄の前身である鉄道院に在籍したB形タンク式蒸気機関車である“国鉄10形蒸気機関車”と同型です。
防石鉄道は昭和31年に蒸気機関車の使用を停止しますが、本車両は防石鉄道廃止後も残り、防府市内の児童公園に保存されました。
平成7年に防府市へ寄贈され、平成8年から鉄道記念広場で静態展示されました。
運転室内
同車は大きさが手頃で高性能であることから、同型機が川越鉄道や甲武鉄道、両毛鉄道にも導入されました。
運転室内はイギリス製のような曲線ではなく、ドイツ式の直線だそうです。
整備性の向上に配慮を図っているとの事。
社名は、周防(すおう)と石見(いわみ)を結ぶ目的から命名されました。
津和野を通り益田へ抜け、山陽と山陰を結ぶ鉄道として計画されました。
大正8年7月5日、三田尻(現:防府)-奈美(現:上和字)間が開通。
さらに大正9年9月23日、上和字-堀の間 (7.4キロ)が開通します。
しかし、経営悪化により昭和39年7月1日、全線廃止となります。
客車「ハ6」
明治32年、中国鉄道ハ68として平岡工場(東京)で製造されました。
その後国鉄に移り、昭和23年に防石鉄道が購入しました。
客車「ハニフ1」
防石鉄道の開業にあわせて大正7年に枝光鉄工所(福岡)で新たに製造されました。
防府市へに寄贈された後、JR西日本埴生車両所(現在:下関車両センター)にて更新されました。
その後、防府駅付近連続立体交差事業により作られた鉄道記念広場(平成8年2月15日開場)に設置されて現在に至っています。
貴重な蒸気機関車や客車の出会いに感謝ですね。
一部分ですが、地元の歴史を知ることが出来ました。
(^_^)
かつて山口県防府市と佐波郡徳地町(現山口市)の間に鉄道路線が結ばれていました。
当時の本路線に“防石鉄道”という鉄道事業者が運営していました。
機関車「2」
川越鉄道(現・西武鉄道)2を開業時に元の番号のままで同社から譲り受けました。
製造国:ドイツ、製造:クラウス社、製造年:明治27年
長さ:7.8m、高さ3.6m、幅2.4m、重量23.1トン
旧国鉄の前身である鉄道院に在籍したB形タンク式蒸気機関車である“国鉄10形蒸気機関車”と同型です。
防石鉄道は昭和31年に蒸気機関車の使用を停止しますが、本車両は防石鉄道廃止後も残り、防府市内の児童公園に保存されました。
平成7年に防府市へ寄贈され、平成8年から鉄道記念広場で静態展示されました。
運転室内
同車は大きさが手頃で高性能であることから、同型機が川越鉄道や甲武鉄道、両毛鉄道にも導入されました。
運転室内はイギリス製のような曲線ではなく、ドイツ式の直線だそうです。
整備性の向上に配慮を図っているとの事。
社名は、周防(すおう)と石見(いわみ)を結ぶ目的から命名されました。
津和野を通り益田へ抜け、山陽と山陰を結ぶ鉄道として計画されました。
大正8年7月5日、三田尻(現:防府)-奈美(現:上和字)間が開通。
さらに大正9年9月23日、上和字-堀の間 (7.4キロ)が開通します。
しかし、経営悪化により昭和39年7月1日、全線廃止となります。
客車「ハ6」
明治32年、中国鉄道ハ68として平岡工場(東京)で製造されました。
その後国鉄に移り、昭和23年に防石鉄道が購入しました。
客車「ハニフ1」
防石鉄道の開業にあわせて大正7年に枝光鉄工所(福岡)で新たに製造されました。
防府市へに寄贈された後、JR西日本埴生車両所(現在:下関車両センター)にて更新されました。
その後、防府駅付近連続立体交差事業により作られた鉄道記念広場(平成8年2月15日開場)に設置されて現在に至っています。
貴重な蒸気機関車や客車の出会いに感謝ですね。
一部分ですが、地元の歴史を知ることが出来ました。
(^_^)