流浪オヤジの探検日記

KOBEを拠点に各種イベントや名所・旧跡を見て歩き、紹介していきます。

中野ブロードウェー

2013-02-25 | お出かけ
中野ブロードウェーは、東京都中野区に位置する複合商業ビルです。

地下1階から地上4階までは商業施設、5階以上は住宅施設になっています。
現在、「サブカルチャーの聖地」と言われ、アキバ文化と似たような雰囲気を持っています。
しかし、過去は平日なのにシャッターが目立ち、夕方のかき入れ時なのに人が歩いていないという非常に厳しい時期があったそうです。


ビル内に入って直ぐ目に入ったメイドカフェ


多種多様なジャンル分けされたミリタリーショップ


当地を盛り上げるきっかけとなった古漫画専門店「まんだらけ」


多種多様な書店の他にも音楽、アニメ、おもちゃ、レンタルショーケースといった一部の方々向けの店舗が圧倒的に多いです。


洋菓子メーカー・不二家のマスコットキャラクターである「ペコちゃん」です。
不二家の各店舗には「ペコちゃん人形」が置かれるなど、同社を代表するキャラクターとなっています。


誕生から現在に至っても人気があるキャラクターです。


文房具メーカー・万創(ばんそう)のノートブック
同社は昭和40年代、「とびだすえほん」で有名でした。


ぜんまいブリキの人形です。
ウルトラセブン(左側)、キャプテンウルトラ(右側)


日本ビクター(現在:JVCケンウッド)の企業トレードマークとして知られる「ニッパー(Nipper)」


田河水泡氏の漫画「のらくろ」


新世紀エヴァンゲリオン・初号機


琺瑯(ホーロー)看板


初めて見る琺瑯(ホーロー)看板があります。


ナショナル坊や


漫画・もーれつア太郎「ニャロメ号」


帰ってきたウルトラマン「MAT隊員」の電動ブリキ人形


江崎グリコから発売されている玩具付きキャラメルの『おまけ』です。
公式には『おまけ』とは呼ばず、玩具とお菓子は対等に扱われているそうです。


瓶のコカ・コーラの自動販売機


当地は「サブカルチャーの聖地」と呼ぶに相応しいというか、非常にディープなバラエティーに富んだ商業店舗でした。

一見に値する施設だと思います。
ありがとうございました。
(^_^)
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国立科学博物館 第1回 ミニ企画展「食の歴史・日本の産業技術」

2013-02-24 | 博物館・資料館等
国立科学博物館では、日本全国の所在する産業系博物館等の中から“食の歴史”
や“日本の産業技術”に関する4館をミニ企画展において紹介されていました。


「牛乳博物館」(トモヱ乳業株式会社)
トモヱ乳業株式会社は、茨城県古河市に本社をおく乳製品・飲料製造メーカーです。
本社工場には、世界・日本の酪農産業や文化などに関係した資料を展示する牛乳
博物館を開設しています。


学校給食で使用された牛乳用やかん。
戦後のしばらくの間、学校給食では脱脂粉乳を溶かしたミルクが使われました。
大きなやかんに入ったミルクが配られ、生徒のカップに注がれました。


同社で生産された牛乳瓶です。
昭和40年代前後に生産された牛乳瓶のキャップは紙製品でした。


博物館「酢の里」
当館は、愛知県半田市に所在する「ミツカングループ」により設立された博物館です。
ミツカンの酢造りに関する資料を集大成し、江戸時代から現在までの酢づくりの歴史
や製造工程などが見学でき、醸造酢の歴史と文化を探ることができます。


酢は原料や製法により、色や風味が異なるそうです。
(左側)粕酢:酒粕を原料に、江戸時代からの伝統的製法でつくられた食酢
(中央)米酢:お米を原料につくられた食酢
(右側)りんご酢:りんごを原料につくられた食酢


酢の運搬で使われた四斗樽です。
半田で作られた酢は、四斗樽で詰められ船で江戸まで運ばれました。


「北見ハッカ記念館・薄荷蒸留館」
同館は、北海道北見市の発展に大きな役割を果たした「北見ハッカ」の文化的・
歴史的遺産を展示している博物館です。


乾燥した和ハッカの草です。
収穫されたハッカ草は、乾燥してから蒸留されるとの事。
乾燥されたハッカ草1キロから、僅か20グラム程のハッカ油しか採れないそうです。


ハッカ油の輸出用ブリキ缶です。
北見地方で作られたハッカ油は、世界に向けて輸出されました。
英語やフランス語で表記されたブリキ缶に当時の様子が伺えます。


「UCCコーヒー博物館」
同館は、昭和62年10月1日「コーヒーの日」に、創業の地神戸に日本で初めての
コーヒー専門の博物館として開館しました。


コーヒーの苗木です。
コーヒーは、アカネ科コーヒーノキ属の植物で、赤道を中心に暖かい地域で主に
栽培されています。
成長すると白い花を付け、実は完熟すると真っ赤になるそうです。
実の中にある種子の部分がコーヒー豆として収穫されます。


天秤式サイフォン(19世紀後半頃・フランス)
左右に配列された天秤式のサイフォンです。


ぜんまい式焙煎機(20世紀初期・フランス)
フランスで開発されたぜんまい式の家庭用焙煎機です。

どの博物館とも面白そうですね。
このミニ企画展は第1回との事なので、これからも継続するようです。
是非、次も見たいと思える企画展でした。(^_^¥
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国立科学博物館

2013-02-23 | 博物館・資料館等
今日(2/23)は、上野公園内に所在する「国立科学博物館」を見てきました。
同館は、明治10年に設立された日本で最も歴史のある博物館の一つとして、
国立唯一の総合科学博物館です。


今回は、主に地球館2階に位置するコーナー『科学と技術の歩み』を見学しました。


「4サイクル内燃機関」(明治20年頃購入)
オットー氏(イギリス)によって考案されれた4サイクルエンジンです。
当時の帝国大学工科大学の研究で使われたそうです。


「池貝鉄工所製第1号旋盤」(明治22年製造)
現存する国産工作機械では、最も古い物の一つとの事。


「竪削盤」(1863年製造)
文久3年(1863年)、江戸幕府の注文によりオランダで製作されました。
その後、平成10年までの130年以上の間、現役で稼働し続けたそうです。


「エジソン10号型直流発電機」(明治20年から使用)
日本最初の事業用火力発電所で使用されました。
明治20年11月、東京電燈株式会社第二電燈局が現在の南茅場町に開業し、
直流約220Vで送電を開始しました。


「無停止杼換式豊田自動織機(G型)」(大正13年製)


「オートモ号」(大正14年製)
同車は、大正13年から市販され、4年間で約300台が製造されました。


「オートモ号エンジン」
水冷式、4気筒、排気量1521cc


「ダット61型水冷式エンジン(カットモデル)」(昭和4年~5年頃生産)
ダット自動車製造(株)が生産した自動貨車のエンジンです。


「零式艦上戦闘機二一型・改造複座機」
偵察用として、2座席に改造されています。


「中型旅客機・YS-11」(風洞模型)


「J3-IHI-3」
昭和35年に中等練習機T-1Bに搭載された国産初のジェットエンジンです。
J3エンジンとしては、初期バージョンですね。


「高柳式テレビジョンシステム」(機能複製)
昭和5年、天皇陛下に上覧された時の装置です。


「早稲田式テレビジョンシステム」
昭和8年、万国婦人子供博覧会に出品されました。
送像側にニポー円板(左)、受像側にはロージング鏡車(右)を使用しています。


「NE式写真電送装置」
昭和天皇の即位の式典にあたり、新聞各社はその様子を各地に伝えるために
使われ際の装置です。
本装置は、現在のファックスに相当すると思われます。
左側:受信装置、右側:送信装置


「ケルビン式潮候推算機」(昭和5年から使用)
中央気象台(現在:気象庁)で日本沿岸の潮汐を予報しました。


「九元連立方程式求解機」(昭和19年製作)
複雑な連立方程式を解く事が出来る国内初の大型計算機械です。


「ETL-MarkⅡ」(昭和30年完成)
日本初のリレー計算機です。
電話交換機の部品として使われていたリレーを使用し、電圧が有るか無いかで
‘0’と‘1’の信号を表したそうです。


「真空管式計数型電子計算機FUJIC」(昭和31年完成)
富士写真フィルム(株)が開発した日本で初めて稼働した計数型電子計算機です。


「座席予約システム マルス101」(昭和39年から稼働)
当時の旧国鉄(現在:JR)が、“みどりの窓口”で座席予約業務を開始した時の
日本初の本格的なオンラインリアルタイムシステムのコンピュータです。


「TK-80」(昭和51年発売)
NEC(日本電気)が製作した日本初のマイコンキットです。


「ペンシルロケット」(昭和30年4月発射実験成功)
全長23センチの小さな飛翔体ですが、日本初のロケットです。


「ヘビーT型ロケット」(昭和30年9月打ち上げ)
離れた地点からの観測データを記録・送信する装置“テレメータ”を搭載しています。


「S-160型ロケット」(昭和45年2月打ち上げ)
南極で打ち上げたオーロラ観測用ロケットです。


人工衛星「おおすみ」(昭和45年2月11日打ち上げ)
日本初の人工衛星です。
名称は、打ち上げ基地があった大隅半島に由来するそうです。


「宇宙実験・観測フリーフライヤ(SFU)」
宇宙空間において、様々な実験を行った装置です。


「LE-5エンジン」
日本で自主開発したH-Iロケットの第2段エンジンです。


「ラムダ・ロケット用ランチャ」
昭和45年2月11日、東京大学宇宙空間観測所(鹿児島県)から世界最小の
人工衛星を積んだ“ラムダ4S型ロケット5号機「おおすみ」”が、ここで展示
されているラムダ用ランチャにより打ち上げられました。


「国鉄D51形蒸気機関車」(昭和14年7月製造)
展示車輌の231号は、昭和50年12月15日に休車するまでの間、約216万キロ
(地球を約54周)を走行しました。

当館において、日本における科学技術が外国の文化を受けいれながら、我が国の
文化と共に発展してきた事を改めて知ることが出来ました。
日本の技術素晴らしさを再認識できました。(^_^¥
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芝山鉄道・芝山千代田駅

2013-02-15 | 鉄道
航空科学博物館から約2キロほど歩くと、芝山鉄道線に出会います。

芝山鉄道は、千葉県の成田国際空港付近に路線を有する第三セクター方式の鉄道会社です。
本線は、千葉県成田市の東成田駅から千葉県山武郡芝山町の芝山千代田駅までを結ぶ芝山鉄道の鉄道路線です。


本路線は、芝山町中心部を経由して九十九里海岸方面への延伸も検討されているようです。


「芝山鉄道・芝山千代田駅」
同駅は、芝山鉄道・芝山鉄道線の終着駅です。


本線は、東成田駅-芝山千代田駅間の2.2キロの路線です。
普通鉄道のみを保有する鉄道会社の中では、日本一保有する路線が短いとの事。


駅周辺には、飛行機をイメージした埴輪があります。


「芝山ふれあいバス」
千葉県山武郡芝山町を運行しているコミュニティバスです。


同駅は、単式ホーム1面1線を有する高架駅です。


「京成3000形電車」
同線には、京成電鉄車両が乗り入れています。


京成3000形電車の車内


京成3000形電車の運転室


“京成成田駅”行き「京成3000形電車」
本線には、京成電鉄からリースされた『芝山鉄道3600形電車』を有しているのですが、自社線を走るのは朝夕に限定されています。


同駅ホームから“NCA(日本貨物航空)”の貨物機が見えます。


“NCA・B-747-400F”が格納庫へけん引されているのが見れました。


京成電鉄・京成成田駅に到着しました。
“普通(東成田)芝山”行きを表示している京成3000形電車です。
昼間は、芝山千代田駅-京成成田駅の間を折り返し運転しています。

本鉄道の路線内を走行する列車に警察官が警乗していました。
調べると、警備上から理由だそうです。
成田国際空港の設置にあわせて、本線が建設された経緯があるようです。
当地域において重要な鉄道路線と思われます。
『日本一短い芝山鉄道』なんて言わず、路線の延伸が実現できると良いですね。
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成田空港 空と大地の歴史館

2013-02-14 | 博物館・資料館等
この歴史館は、航空科学博物館の敷地内に所在しています。
昭和41年7月4日、成田市三里塚において空港が建設されます。
その時から始まったこの地における歴史を紹介しています。


新空港の予定地となった地域を紹介しています。


当地における人々の生活の様子を紹介しています。


当地が空港建設予定地となった時代背景を紹介しています。


空港を建設する側と反対する側の激しい衝突を紹介しています。


空港建設における苦悩する人々を紹介しています。


空港の位置決定から約12年を経た昭和53年5月20日、反対運動が継続する
状況において遂に空港が開港します。その時の様子を紹介しています。


成田国際空港の今と未来について述べています。


成田国際空港の上空写真です。


当館の敷地内あった“埴輪”です。
成田付近には旧石器時代の約3万年前から人間が居住していた事が、空港建設
に伴う発掘調査によって判明しており、約340基の古墳が存在するそうです。

当博物館は、この地に刻まれた歴史を可能な限り正確に後世へ伝えていくことを
目指しています。
多くの方々に見学して欲しいと思える歴史館でした。
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航空科学博物館 屋外展示場

2013-02-13 | 博物館・資料館等
航空科学博物館の屋外展示場には、多種多様の飛行機が展示されています。


「三菱重工業・MU-2B/F(JA8628)」(昭和38年製造・三菱重工業)
本機は、762機製造された7人乗りビジネス機です。


「富士重工業・FA-300(JA5258)」(昭和50年製造・富士重工業)
本機体は、同社の社有機として各種の試験飛行やデモ飛行などに使用されました。


『全日空』と表示されているトーイングトラクタ


「日本航空機製造・YS-11(JA8611)」(昭和37年製造・日本航空機製造)
本機体は、同社の社有機として各種の試験飛行に使用されました。


「海上保安庁・S-62(JA9156)」(昭和33年製造・シコルスキー社)
本機体は、三菱重工でライセンス生産されたものです。


「東京消防庁 ゆりかもめ・SA330(JA9512)」(昭和40年製造・アエロスパシアル社)


「個人所有・Ka-26(JA7990)」(昭和40年製造・旧ソ連カモフ設計局)


「中日新聞社 おおたか号・セスナ411A(JA5151)」(昭和37年製造・セスナ社)


「個人所有機・M20M(JA4177)」(昭和30年製造・ムーニー社)


「アメリカ企業社有機・JET25B(N67HB)」(リアジェット社)


「航空大学校・C35/E33(JA3440)」(昭和34年製造・ビーチクラフト社)
宮崎県に所在する航空大学校にて、学生の事業用免許の訓練に使用されました。


「毎日新聞社 金星Ⅱ号・セスナ421(JA5238)」(昭和40年製造・セスナ社)


「毎日新聞社 明星号・TURRBO BARON(JA5159)」(昭和42年製造・ビーチ社)


「新中央航空・セスナ172P(JA3944)」(昭和59年輸入・セスナ社)


「本田航空・R-22(JA7758)」(昭和50年製造・ロビンソン社)


「アジア航測・680E(JA5074)」(昭和40年飛行・アエロ社)


「ASR・レーダーアンテナ」
国土交通省交通局・鹿児島空港にて使用された機材です。


各種航空灯火など


「MASフライングクラブ・FA-200(JA3848)」(昭和40年生産・富士重工業)

航空機の発展に関する歴史を知ることができました。
貴重な航空機の出会いに感謝です。
関係者の皆様、ありがとうござました。<(_ _)>

この後、同じ敷地内にある歴史資料館へと移動します。
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航空科学博物館 セクション41

2013-02-12 | 博物館・資料館等
航空博物館には、ボーイング・B-747の機首部を展示しています。
「セクション41」は、機体製造時にボーイング社が機首部分へ付けた呼称です。


展示機は、「B-747-200B(N642NW)」として、当時のアメリカの
ノースウェスト航空(現在:デルタ航空)が使っていた旅客機です。


同機種を初期発注した各航空会社のロゴマークが機体に描かれています。
展示機のカラーは、B-747初飛行時のものだそうです。


展示機は、1980年(昭和58年)から2004年(平成16)8月まで飛行しました。


当機の引退後は、日本の航空博物館初の実物展示に至っています。


機体重量の約380トンを支える前脚です。


機内見学は別途有料となっており、先着順でした。(;_;)
同機種には搭乗したことがありますが、このように近くで見たのは初めてでしたね。
機体下部の見学でも十分堪能しました。

この後、屋外展示場へと移動します。(^_^)
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航空科学博物館 展望展示室

2013-02-11 | 博物館・資料館等
航空博物館の展望展示室へ移動しました。
空の交通整理を行う航空管制で使われていた機器等が展示されています。
画像の機器は、管制塔から航空機へ指示するための「管制塔用管制卓」です。


「国内管制卓」
航空路を飛行する航空機をレーダー誘導する管制卓です。
本機材は、埼玉県所沢市に所在する東京交通管制部で使われていたものです。


「空港レーダー用管制卓ARTS」
空港周辺を飛行する航空機をレーダーにて誘導するための機器です。
本機材は、国土交通省・航空保安学校にて教材で使われていたものです。


展望展示室から空港敷地内の整備地区が一望できます。
B-747-400Fの垂直尾翼に表示されている“NCA”(日本貨物航空)の
貨物機が見えます。


離着陸する航空機も近くで見ることができます。
画像の航空機は、タイ王国のフラッ・グキャリアである「タイ国際航空」の
“貨物機・B-747-400BCF”です。


全日本空輸の航空機が離陸のため、滑走路へタクシングしています。


滑走路へ向かう航空機が絶え間なく続きます。


ドイツのフラッグ・キャリアである「ルフトハンザドイツ航空」の航空機が着陸します。


滑走路手前にて、日本航空の機体を先頭に各社の航空機が待機します。


このような情景を見れば、成田まで来た甲斐があります。


オランダのフラッグ・キャリアである「KLMオランダ航空」です。
B-747-400の垂直尾翼に「asia(アジア)」が表示されています。


航空機に少しでも興味があれば、楽しめる場所だと思います。


展望展示室から中央棟の展示館内へと通じる階段廊下にて、航空画壇で著名な
イラストレーター・下田信夫さんの航空機画が「飛行機のあゆみ」というテーマで
展示されていました。
画像は、「ライト フライヤー」(1903年・アメリカ)
1903年(明治36年)、ライト兄弟は世界初飛行に成功します。


「ブレリオ11」(1909年・フランス)
ブレリオ氏は自ら制作した飛行機で初のドーバー海峡横断に成功します。


「ドルニエ Do.X」(1929年・ドイツ)
当時としては、」最大169名を乗せた飛行艇の旅客機です。


「ミス・ビードル」(1931年・アメリカ)
青森県からアメリカ西海岸への太平洋横断初飛行に成功します。
機体は、フォッカーF.Ⅶ「サザンクロス」です。


「朝日新聞『神風』と毎日新聞『ニッポン』」(昭和12年、昭和14年・日本)
神風号はヨーロッパ取材に、ニッポン号はアメリカ親善のために、各新聞社が
長距離飛行を実施しました。


「セスナ172」(1955年・アメリカ)
セスナ社の他、軽飛行機の代表メーカーとしては、ビーチクラフト社(右上)、
パイパー社(左下)があります。


「日本航空機製造・YS-11」(1962年・日本)
日本独自で開発した航空機には、MU-2(左上)、FA-200(右下)、
C-1(上)などがあります。


「ゴスマー アルバトロス」(1979年・アメリカ)
人力飛行機として、ドーバー海峡横断初飛行に成功しました。

展望展示室にて、多くの国際線旅客機を見れたのは感激ものでしたが、
下田画伯の作品を見れたことも大感激でした。

しつこいですが、まだ続きます。f^_^;
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航空科学博物館 模型・エンジン

2013-02-10 | 博物館・資料館等
航空科学博物館の館内にには、多くの模型やエンジンが展示されていました。
画像は、ミュージアムショップにあった「陸海空自衛隊・UH-60J」の模型です。
模型であってもUH-60シリーズがこの様に並んでいるのは良いですね。(^_^)


「陸上自衛隊 他用途ヘリコプター・UH-60JA(43101)」


「海上自衛隊 救難ヘリコプター・UH-60J(8979)」


「航空自衛隊 捜索救難ヘリコプター・UH-60J(18-4576)」


「NAMC・YS-11(JA8611)」(昭和37年製造・日本航空機製造)
“試作1号機”仕様です。


「グラーデ単葉機」(ハンス・グラーデ(ドイツ))
日本初の動力飛行に使われた飛行機の一つとして、明治43年12月19日に
公式飛行を行っています。


「奈良原式四号飛行機『鳳』号」(明治45年製造・奈良原三次)
日本最初の実用的な民間飛行機です。


「横廠式ロ号甲型水上偵察機」(大正6年製造・横須賀海軍工廠)
横須賀-佐世保間1,300キロを11時間半で飛行するなどの記録を達成しました。


「川西式K-7A型水上輸送機」(大正13年製造・川西機械製作所)
日本航空株式会社が大阪-別府間の定期航路に使用されました。


「陸軍88式偵察機」(昭和2年製造・川崎航空機)
昭和4年に所沢から台湾への飛行に成功しました。


「朝日新聞社『神風』号」(昭和12年製造・三菱重工業)
陸軍から“九七式司令部偵察機”の払い下げを受け、『神風』号と名付けられた
機体は、東京-ロンドン間を約95時間で飛行しました。


「毎日新聞『ニッポン』」(昭和14年製造・三菱重工業)
海軍の“九六式陸上攻撃機”を旅客機に改造し、世界一周親善訪問飛行に
成功しています。


「朝日新聞社A-26長距離飛行機」(昭和17年製造・立川飛行機)
正式名称“キ77”として、立川飛行機と東大航空研究所が開発・設計を担当し、
2機のみ製作された長距離飛行の双発研究試作機です。


「海上自衛隊 対潜哨戒機・PS-1」(昭和43年製造・新明和工業)
波高3メートルの荒波での離着水が可能な飛行艇です。


「イスパノ・スイザ 水冷V型」(昭和2年製造・三菱重工業)
イスパノ・スイザ社(フランス)が設計し、三菱重工業でライセンス生産されました。
海軍一三式艦上攻撃機の他、陸軍八七式軽爆機などに搭載されました。


「プラット・アンド・ホイットニー R-280」(昭和15年製造)
航空自衛隊の輸送機・C-46に2機搭載されていたエンジン


「ライト R-3350」(昭和16年製造)
旅客機・ロッーキード・コンステレーションに4機搭載されていたエンジン


「ハ-50」(昭和19年製造・三菱重工業)
陸軍の超大型爆撃機“富嶽”などに搭載予定だったとの事


「ロールス・ロイス マーリン」(ロールスロイス社)
ロールス・ロイス社(イギリス)が開発、生産した航空機用レシプロエンジンです。
主に第二次世界大戦中のイギリスの軍用機で使用されています。

まだまだ続きます。(^_^¥
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航空科学博物館

2013-02-09 | 博物館・資料館等
今日(2/9)は、千葉県山武郡芝山町にある「航空科学博物館」へ行ってきました。
当館は、日本最初の航空専門の博物館との事。
成田国際空港に隣接しています。


当館入口に展示されている「朝日新聞社・CESSNA195(JA3005)」です。
朝日新聞社の取材機「朝風」号として活躍したそうです。


館内には、「ボーイング・B-747-400」の大型模型などをはじめ、各種装備品
などが展示されていました。


「ボーイング・B-747 胴体断面」


「ボーイング・B-747 主脚」


「プラット・アンド・ホイットニー JT9D-7R4G2」
ボーイング・B-747用に開発された大型ジェットエンジンです。


「プラット・アンド・ホイットニー JT9D-7R4G2」
展示のエンジンは、日本航空で運航していた初期のボーイング・B-747に搭載
されていたものです。
内部構造がわかるように一部を取り外したカットモデルです。


「ダグラス・DC-8-61」(縮尺1/70・模型)
ダグラス社最初のジェット輸送機です。
日本では、日本アジア航空で運行され、昭和62年に全機退役しています。


「ダグラス・DC-8 前脚」


「ボーイング・B-787用タイヤ」
高い安全性、軽量化を達成し、環境を配慮した「RRR構造」と呼ばれる最新構造
のタイヤだそうです。


「パイロットの制服」


「客室乗務員の制服」


「人形に見る各社の客室乗務員」


「日本航空 客室乗務員」


「全日本空輸 客室乗務員」


「フライトデータレコーダー」
速度や高度などを長時間記録する装置です。
事故の際などに原因究明のために活用されます。

当然ながら、つづきます。(^_^)
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青梅鉄道公園 実物展示

2013-02-07 | 博物館・資料館等
青梅鉄道公園には、過去に使用された実物の鉄道車両11両が屋外にて展示
されています。


「国鉄110形蒸気機関車」(明治4年製造・イギリス)
明治5年、日本の鉄道開業時に新橋-横浜間を走った10両の機関車の
うちの1両です。


「国鉄5500形蒸気機関車」(明治30年製造・イギリス)
明治時代を代表する旅客用テンダ(炭水車)機関車です。


「国鉄2120形蒸気機関車」(明治38年製造・イギリス)
明治時代を代表する貨物・勾配線用タンク機関車B6クラスの1両です。


「国鉄9600形蒸気機関車」(大正2年製造・川崎造船)
大正時代を代表する貨物用テンダ(炭水車)機関車9600形の日本国内に
現存する最若番機です。


「国鉄8620形蒸気機関車」(大正3年製造・汽車製造)
大正時代を代表する旅客用テンダ(炭水車)機関車8620形の初号機です。


「国鉄ED16形電気機関車」(昭和6年製造・三菱電機、三菱造船)
国鉄の初期の標準型電気機関車として量産されたED16形の初号機です。


「国鉄C11形蒸気機関車」(昭和7年製造・汽車製造)
昭和時代を代表する汎用タンク機関車C11形の初号機です。


「国鉄40系電車」(昭和10年製造・田中車輌工場(現在:近畿車輛))
鉄道省の電動車としては、初めて全長20m級の鋼製車体を採用した電車です。


「国鉄D51形蒸気機関車」(昭和15年・汽車製造)
昭和時代を代表する貨物用テンダ(炭水車)機関車D51形の1両です。


「国鉄E10形蒸気機関車」(昭和22年製造・汽車製造)
国鉄最後の新製蒸気機関車E10形の1両です。


「四現示色灯警戒色灯信号機」(左側)
「枕木色出発機械信号機」(右側)


「新幹線0系22形電車」(昭和44年製・汽車製造)
昭和39年の東海道新幹線開業時に開発された初代の新幹線車両です。

今では貴重な蒸気機関車や国産電気機関車をはじめ、初期の新幹線車両
などが見学できました。
当方としては、大感動モノでした。 \^_^/

今回、訪れた青梅の地に感謝します。
以上で青梅シリーズを終わります。
ありがとうございました。<(_ _)>
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青梅鉄道公園 記念館

2013-02-06 | 博物館・資料館等
青梅における最終目的地である「青梅鉄道公園」に来ました。
同園は鉄道開業90周年記念事業として、青梅駅北東の永山公園の一角に開園
した鉄道公園です。
同公園内に位置する記念館は、鉄道模型展示や企画展示が行われています。


「青梅鉄道公園歴史コーナー」
明治27年に開業した青梅鉄道(後の青梅電気鉄道)から旧国鉄、さらに現在の
JR東日本に至る歴史などを紹介しています。


「東海道シミュレータ」
JR藤沢駅から国府津駅間の運転が体験できます。


「国鉄タキ50000形貨車」(タンク車・模型)
昭和30年に製造され、日本国有鉄道(国鉄)に車籍を有したガソリン専用の
50トン積タンク貨車(私有貨車)です。


「国鉄C62形蒸気機関車」(模型)
昭和32年に製造された日本国有鉄道(国鉄)の旅客用テンダー式蒸気機関車です。


「国鉄101系電車」(模型)
昭和32年に登場した日本国有鉄道(国鉄)の直流通勤形電車です。


「国鉄151系電車」(模型)
日本国有鉄道(国鉄)が、設計・製造した直流用特急形電車です。
昭和33年より営業運転を開始し、最高運転速度110km/h、東京~大阪間を
最速6時間30分で結びました。


「国鉄157系電車」(模型)
日本国有鉄道(国鉄)が、昭和34年に設計・製造した長距離用直流特別準急電車です。
最初に投入された列車名から「日光形電車」とも呼ばれています。


「国鉄コキ5500形貨車(コンテナ用長物車)」(模型)
コンテナを運ぶため、昭和34年11月に誕生した特急貨物列車「たから号」に
使われた高速運転用の貨車です。


「国鉄キハ80系気動車」(模型)
日本国有鉄道(国鉄)が、昭和35年に開発した日本初の特急形気動車です。


「国鉄キハ58系気動車」(模型)
日本国有鉄道(国鉄)が、昭和36年に開発した急行形気動車です。


「新幹線1000形電車」(模型)
昭和37年、東海道新幹線の試作車両として製造されました。


「リニアモーターカー・ML-500」(模型)
昭和52年、1台のみ試作された無人実験車両です。
‘500’は、500km/hを意味するそうです。


「JR東日本651系電車」(模型)
平成元年3月のダイヤ改正から「スーパーひたち」として、主に上野駅-勝田駅・
いわき駅間を常磐線経由で運行している特急列車です。


「JR特急ヘッドマークいま・むかし」

模型であっても見ていると、何故か楽しくなりますね。(^_^)
この後、屋外の展示車両へと移動します。
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昭和幻燈館

2013-02-05 | 博物館・資料館等
昭和レトロ商品博物館を後にして、「昭和幻燈館」へ入りました。
当館は、昭和の情景のジオラマや映画看板などを展示しています。


間近で見ると、かなり大きいですね。


当時の看板作成は、当然ながら全て手書きです。
現在のCGなどのデザインソフトでは、表現できない絵かもしれません。


昭和時代の駄菓子屋さんです。


作品名”幻想「青梅猫町通り」”
猫の世界を幻想的にジオラマにより表現されています。
紅燈のネオンが街の怪しさを演出しています。


著名な漫画家が居住していた木造アパート「トキワ荘」をジオラマで再現しています。


近所の銭湯「鶴の湯」へ連れ立って向かう“藤子不二雄A”(左)と“寺田ヒロ”(右)


スクーターに乗っている“つのだじろう”


二階の自室で原稿を描く“藤子・F・不二雄”
後方にいる男性は、雑誌社の編集担当者でしょうか?


出前のラーメンを待ちきれない“鈴木伸一”


トキワ荘2階の廊下


作品名「青梅キネマ慕情」
昭和30年頃の青梅・キネマ通り界隈をジオラマで再現しています。


本館入口に展示していた「ジャンケン娘」の映画看板です。
雪村いづみ(左側)、美空ひばり(中央)、江利ちえみ(右側)
“元祖三人娘”と呼ばれ、昭和30年代に活躍しています。
当方の世代とは違うので、お三人の記憶はありません。f^_^;

幻想的な昭和時代を紹介している美術館でした。
昭和時代を懐かしみ、楽しむ事ができました。

この後、青梅中心街を離れ、最終目的地へと移動しました(^_^)
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昭和レトロ商品博物館

2013-02-04 | 博物館・資料館等
青梅赤塚不二夫館のお隣にに位置する「昭和レトロ商品博物館」に入りました。
当館は、古い駄菓子のパッケージや古い飲料水の缶、ビンなど昭和時代の品々
を多数展示しています。


昭和30年代頃と推測される映画看板です。


「日活・キューポラのある街」の映画看板
女優・吉永小百合さんがヒロインとして出演しています。


昭和の駄菓子屋さんを再現しています。


これでもかと沢山の商品が置かれています。


「ホンダ・スーパーカブ C105」
昭和36年製、空冷4サイクルOHV単気筒、排気量55CCのオートバイです。


「ブリジストン サイクル工業・BSモーター スーパー41」
昭和29年製、倒立型エンジン、排気量50CCの原動機付自転車です。
東京都杉並区荻窪にあった富士精密工業(旧中島飛行機)にて製産されたそうです。


紙芝居屋さんの自転車です。


昭和時代で使われた生活用品などが展示されています。


昭和40年頃の文房具なども展示されています。


「学習研究社(略称:学研)・電子ブロック EX-181」
展示品は、昭和54年頃の最上位機種です。
当時、欲しくてたまらなかった玩具でしたね。
しかし、切なる願いは叶わず・・・・・・・(×_×)


「軍人将棋」と呼ばれるボードゲームです。
軍隊の階級や兵種を元にした駒を用いて盤上にて競います。


「コカ・コーラ 原好生コレクション」
懐かしい瓶や缶、また応募の懸賞品などが展示されていました。


昭和時代の懐かしい商品を見せて頂き、大感激でした。
当館では常時、コレクションの受け入れを行っているそうです。

この後も更に昭和を楽しめる場所へ移動しました。(^_^¥
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青梅赤塚不二夫会館

2013-02-03 | 博物館・資料館等
青梅市住江町に位置する「青梅赤塚不二夫館」に入りました。
当館は平成15年、昭和をテーマにして町興しを行う青梅市において“昭和の元気
の象徴”として『青梅赤塚不二夫会館』を開館したとの事。


赤塚不二夫(故人)氏は、「ギャグ漫画の王様」と謳われた漫画家です。
『おそ松くん』、『ひみつのアッコちゃん』などの大ヒット作品があります。
他にも『天才バカボン』や『もーれつア太郎』などが代表作品として有名です。


当日は赤塚不二夫会館9周年企画として、「『おそ松くん』と『ひみつのアッコちゃん』
の50年をふりカエル展」が行われていました。
両作品に関する50年の歴史について、年表と展示物で振り返ってます。


『おそ松くん』は、昭和37年から小学館・週間少年サンデーで連載開始されました。


ストーリーは、主役の六つ子を中心とする、六つ子の腕白ぶりに手を焼く両親、
六つ子のクラスメートで憧れの美少女トト子、ずる賢くてへこたれないチビ太が
脇を固めた生活感あふれる内容で進行します。


その後、イヤミ、デカパン、ハタ坊、ダ・ヨーンといったキャラクターが出現し、
“主役を食う”ようなストーリーもありました。


『ひみつのアッコちゃん』は、昭和37年から集英社・少女漫画誌「りぼん」で
連載開始されました。


本作品は、何でも望むものに変身できる魔法のコンパクトを鏡の精からもらった
“少女・アッコちゃん”が、コンパクトの力を使って変身して人助する少女漫画です。


アニメは昭和44年1月から、NET系(日本教育テレビ、現在:テレビ朝日)で
放送されました。


『おそ松くん』の名脇役“イヤミ”です。
手足を曲げながら「シェー」と叫ぶギャグは、当時の国民的な流行語でした。


昭和が薫る板塀です。f^_^;


「赤塚不二夫フォトギャラリー」
赤塚氏と昭和の時代が紹介されていました。
画像のキャラクターは、『天才バカボン』の“ハジメちゃん”と“バカボンのママ”です。


懐かしい路地風景に赤塚氏の作品が掲示されていました。


『天才バカボン』の主役である“バカボン”と“バカボンのパパ”です。
さらに『もーれつア太郎』の脇を固める“ニャロメ”、“ケムンパス”、“べし”がいます。


赤塚氏は18歳の時に上京し、東京都豊島区に所在していた“トキワ荘”と呼ばれる
著名な漫画家が居住していた有名な木造アパートにて漫画を描いたそうです。
画像は、当時の赤塚氏の部屋を再現したものです。
トキワ荘は、老朽化により昭和57年に解体されています。


赤塚氏の作品が連載されていた少年誌などです。


同じく多くの作品が単行本されています。


『ひみつのアッコちゃん』を商品化されたものです。
当時は、鏡の‘コンパクト’が大ヒットセラーとなったそうです。


『もーれつア太郎』の登場する「ブタ松一家」(左側)と「ココロファミリー」(右側)です。
両キャラクターはストーリー上において、非常に仲が悪くて、いつも対立していました。
しかし内容は、毎度ながら笑わせるズッコケたお話でした。
この商品は、かなりレアものだと思います。
“わかる人しかわからない”キャラクターですね。(^_^)


赤塚氏の作品を通して、昭和の懐かしい思い出が蘇ったテーマ館でした。
しっかり楽しませてくれました。

この後、さらに昭和レトロを見せてくれるテーマ館へ移動しました。(^_^¥
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