地下資源館では、暮らしを支える資源とエネルギーに関する展示を行っています。
資料館入口は、三重県紀州鉱山の坑道をモデルとした模型です。
地下資源館へ入館する導入トンネルとなっています。
昔、抗夫の人たちが残した落書きを再現したものだそうです。
書かれている「延元2年」は、南北朝時代(西暦1337年)の頃との事。
採掘をしている坑夫の模型
「バッテリー機関車」
紀州鉱山で実際に使われていたバッテリー機関車と客車です。
機関車(重さ2トン)は鉱車や客車を引くために、客車は坑内と地上を往復する
作業員を運ぶために使われていました。
紀州鉱山は、銅や硫化鉱を採掘する鉱山で、主な鉱石鉱物は黄銅鉱、黄鉄鉱、
閃亜鉛鉱、方鉛鉱などがありました。
昭和45年には、銅1.3%、硫黄5.0%を含んだ粗鉱を265,000トンも
掘り出していましたが、その後は事業を縮小し、昭和55年に廃鉱になっています。
「マインカローダーとトロッコ」
マインカローダー(前車両)は砕かれた鉱石を腕の先についたバケットですくい、
トロッコに積み込む機械です。
トロッコ(後車両)は、鉱石や器材を運ぶ貨車で、鉱車とも言います
「坑内自転車」
線路上を自転車のようにペダルを踏んで走らせるもので、坑内の点検や連絡用に
使われていました。
「空圧クローラードリル(CD6A)」
これは、岩盤に発破孔(ダイナマイトをつめる穴)を開ける機械です。
昭和30年代から50年代半ばまで、全国各地の鉱山や採石場で使われていましたが、
油圧式クローラードリルが開発され、その役目を終えました。
ここでは他に地下資源開発、地下資源の利用、金属材料などに関する展示を
行っていますが、興味の無い方々には厳しいかもしれません。(×_×;
展示物の殆どが古く、今後の○○○対象となる匂いが・・・・。(T_T)
個人的には、三重県に鉱山が存在した事を知り得てよかったです。(^_^)
資料館入口は、三重県紀州鉱山の坑道をモデルとした模型です。
地下資源館へ入館する導入トンネルとなっています。
昔、抗夫の人たちが残した落書きを再現したものだそうです。
書かれている「延元2年」は、南北朝時代(西暦1337年)の頃との事。
採掘をしている坑夫の模型
「バッテリー機関車」
紀州鉱山で実際に使われていたバッテリー機関車と客車です。
機関車(重さ2トン)は鉱車や客車を引くために、客車は坑内と地上を往復する
作業員を運ぶために使われていました。
紀州鉱山は、銅や硫化鉱を採掘する鉱山で、主な鉱石鉱物は黄銅鉱、黄鉄鉱、
閃亜鉛鉱、方鉛鉱などがありました。
昭和45年には、銅1.3%、硫黄5.0%を含んだ粗鉱を265,000トンも
掘り出していましたが、その後は事業を縮小し、昭和55年に廃鉱になっています。
「マインカローダーとトロッコ」
マインカローダー(前車両)は砕かれた鉱石を腕の先についたバケットですくい、
トロッコに積み込む機械です。
トロッコ(後車両)は、鉱石や器材を運ぶ貨車で、鉱車とも言います
「坑内自転車」
線路上を自転車のようにペダルを踏んで走らせるもので、坑内の点検や連絡用に
使われていました。
「空圧クローラードリル(CD6A)」
これは、岩盤に発破孔(ダイナマイトをつめる穴)を開ける機械です。
昭和30年代から50年代半ばまで、全国各地の鉱山や採石場で使われていましたが、
油圧式クローラードリルが開発され、その役目を終えました。
ここでは他に地下資源開発、地下資源の利用、金属材料などに関する展示を
行っていますが、興味の無い方々には厳しいかもしれません。(×_×;
展示物の殆どが古く、今後の○○○対象となる匂いが・・・・。(T_T)
個人的には、三重県に鉱山が存在した事を知り得てよかったです。(^_^)