野良の猫 浪々の身に 春は来ぬ
馬糞 Bafun
春は眠り猫の季節である。
しかし、猫は剣客である。
その秘剣にやられてばかりの思い出がたくさんある。
一冊の本が書けるくらいである。
それにしても、街から犬がいなくなった。
放し飼いの犬がいなくなったのはいいことなのか。
犬の代わりに質の悪い変質者が牙をむいている。
安アパートに住んでいた頃、二匹の犬を放し飼いにし
ていた無法の住人がいた。
飼い主は業を背負っていたが、犬は健全だった。
日本犬雑種の「与太郎」とチンの雑種と思われる「す
け口のチビ」である。
二人はいつも一緒でいいコンビだった。
かくしゃくとして道をゆき、交通量の多い空港通りの
横断歩道を渡っていた。
無宿一飯の恩義か、どこにも付いて来た。
しかし、最後は非業だった。
近所からの苦情があったのだろうか。
飼い主が車で宗像あたりまで捨てに行ったらしい。
それから一ヶ月ほどして、ふらふらの状態で与太郎が
帰ってきた。
楽天家だったチビは帰らなかった。
与太郎は自閉になっていた。
しかし、しばらくたつと心を開き始め、いつものよう
にドアをノックして訪ねてきた。
どろどろに汚れた体を風呂で洗ってやった。
それからしばらくして鎖につながれた。
苦情があったのだろう。
泣いていた。
また、苦情があったのだろう。
ついにいなくなった。
薬殺されたのだろう。
これが、現代の人間社会である。
犬に道を行く権利を与えてはいけないのか。
糞をすることがそれほどに悪いことか。
何と冷たい人間主義社会になったことか。
社会主義も良くないが、人間主義社会は殺伐とした社
会である。
馬糞どころか、犬の糞もない社会なんて!
ああ、いやな世の中になったものだ。
この際、「生類哀れみの令」を発布してはいかがか。
Bafun