水仙の 首飾りして 女神吹き
馬糞 Bafun
桃始笑・・・ 桃が咲き始める季節になったらしい。
桃の花は身近な花ではない。
幻である。
子供の頃、庭に桃の若木があった。
一度だけ、大きな桃の実をつけた。
感激だった。
花を愛で、果実を喜んだ。
その桃の木に道をなしたのはカイガラムシであった。
ついに枯れてしまった。
春の苑 紅にほう 桃の花
下照る道に 出で立つ少女
大伴家持の色彩豊かな万葉歌であるが、美しい。
そんな春の苑に立ちたいものだ。
梅、桃、桜・・・、万葉の心を蘇らせる風流な「筑紫
歌壇の苑」を福岡の人工島にでも作ってはどうか。
風流な高齢社会の都市計画を考えてほしいものだ。
福岡の人口島は、福岡市役所の汚職と浪費のアイラン
ドである。
その浪費を、オリンピック招致で正当化するようなあ
つかましいことは考えるべきでない。
オリンピックの精神を汚す、ごまかしアイランドにな
るだけである。
さて、オリンピック招致問題である。
近代オリンピックを自分たちの問題として考える良い
機会ではないだろうか。
オリンピック招致は、「なんとか福岡に来ていただけ
ないでしょうか」というハエが手を摺るお願いであって
はならない。
あくまで問題提起し、提案する企画である。
九州やまとの国でオリンピックをするならば、オリン
ポスの神殿を再現し、神聖なスポーツ文化の祭典である
ことを訴えたい。
結果主義、拝金主義ではなく、「道」としてのスポー
ツ精神を問題提起したい。
友情のオリンピックであることを訴えたい。
開催国が次のオリンピック候補地を指名する「聖火の
バトン」という、新しい伝統を提唱したい。
金のある国でなければオリンピックができないという
のでは、オリンピックの基本精神に反するであろう。
スポーツ文化を世界に開拓するためにも、先進諸国が
資金を提供して、バンコクオリンピックを、モンゴルオ
リンピックを実現してはいかがか。
そうした問題提起をするために、九州やまとの国が開
催に名乗りを上げる意味はあると考える。
Bafun
近代オリンピックの歴史⇒
http://www.joc.or.jp/olympic/history/002.html