懐かしき ジャズを聴きつつ 秋ワイン
中村 梅士 Baishi
今日も一仕事を終えて、日が暮れた。
通勤ジョグは往復で7km、背負ったリュックのせ
いか、脚が重い。
それでも、走っているうちに楽になることがある。
早く帰宅しても、特に読書でもなく、雑事で時間が過
ぎる。
それでも、一日を終えるとほっとする。
もういいかな、と思える時間に白ワインを注いで、久
しぶりのキースジャレットを聴く。
ケルンコンサートは何度聞いても飽きない。
インプロビゼーションはまさに青春である。
アドリブで生きていた。
そんな懐かしさである。
さて、昨日は誤ってメガネをふんずけてしまい、レン
ズが外れてしまった。
メガネをつくるのはお金もかかるし、時間もかかる。
10万円くらいはかかるだろう。
とりあえず、修理に出した。
すると、タダで完璧に復旧してもらえた。
ありがたい。
サービスというのは次の注文に繋がるものだ。
そこの売りは遠近両用の「夢のレンズ」である。
個別の見え方に対応したオーダーメイド型レンズで、
耐久性にも優れたプラスチックレンズだと言う。
確かに良いのだろうが、値段はレンズ二枚で11万円。
鯖江の高級フレームと合わせると、20万円近くにも
なる。
近眼と言うのは緑内障にもなるし、メガネにも金がか
かるし、つまらないことである。
メガネ、葬式、墓地、医療の価格は分かりにくい。
当分は、今のメガネで支障はない。
踏んずけないように注意するとしよう。
神棚も仏壇もない家庭が増えていると言う。
我が家にもない。
しかし、幸福の科学のギリシャ的仏壇が要である。
お祈りもしていないが、神に繋がるへその緒である。
信仰心は大切である。
この世の暮らしには信仰がなくても困らないというの
だろうが、ノブレス・オブリージュとは無縁の人生であ
り、あの世で困ることになるだろう。
魂の高貴とは、信仰の質が問われるからである。
この世の倫理道徳でさえも、神の前の謙虚と礼節によ
って支えられている。
信仰なき人間関係は、支配と服従になる。
おぞましいことである。
組織もまた、支配と服従であってはならない。
忠臣蔵の季節であるが、武士の忠義とは、信仰心の投
影と言うべき美学が支えていたのではないか。
そうでなければ、愚かな支配服従関係にすぎないから
である。
そこが揺らいだのが下剋上であろう。
信仰に目覚めるべきである。
いかに高級霊であっても、神への謙虚と忠誠を忘れて
はならない。
信仰こそは、人の命というべきであろう。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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