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メモ的に引用しておく。
「『偏見はなくならない』という事実はむしろ、自己や他者に対して可能な限り倫理的に生きるよう私たちを駆り立てるものなんじゃないだろうか」「『偏見がなくならないこと』『私たちの認識がたとえ意図していなかったとしてもかたよってしまうことがあること』を前提にして偏見やそれにもとづく差別、そしてそれを生む社会の構造に自他ともに注意深く批判的であるほうが建設的なんじゃないかな」
「私は以上の考えをバトラー主義としてもっている」
これはいずれも本書の第4章
「ジェンダーをなくすんじゃなくて増やそうって話」
からの引用。
そうなんだよね。
偏見はなくならない。
でも、絶望するには及ばないし、かといって逆上して慌ててにわか正義の味方になる必要もない。
「ジェンダーを増やそう」、というレトリックがまだ個人的にはしっくりきてないけど、藤高和輝の言おうとしてる方向性の向こうにあるあるいは手前にある「倫理」についてはちゃんと考える必要がある、と思う。
アイデンティティ抜きに人はそう簡単に生きられない。
だから、簡単に平等を吹聴する輩は信用できない。
その感覚は大事。これを学ぶだけでも読む意味はある。
もちろん、ジュディス・バトラー入門として必読かと。
この著者には他に以文社から出ている博論改稿?の
『ジュディス・バトラー』もあって、お勉強するにはそっちがいいのかもしれないけど、肌感覚を磨くにはむしろこの
『バトラー入門』
が必須。
知り合いの研究者が彼女にこそ
ジュディス・バトラーの、主著の一つ『ジェンダートラブル』を訳してほしい、、とつぶやいてたけど、同感。
圧倒的にオススメです。
最後にもう一つ引用を。
「トラブルを生きているのはあなただけではないのだ、と。そしてそのトラブルは他の誰かのトラブルと共鳴しながらこのし社会的世界を動かす力を持つのだ、と。」