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龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCの応援、ソロキャンプ、それに読書、そしてコペンな日々をメモしています。

国公立二次試験対策をやっていて思うこと

2010年02月15日 02時54分45秒 | 教育
国公立二次試験対策をやっていて思うこと

 東大・東北大・福島大・千葉大・筑波大・新潟大・埼玉大の現代文の二次記述問題を毎日生徒と一緒に解いている。
 私は確実に受験問題に詳しくなって、解答の実力も身に付いてきていると思う。
 私が力をつけてもしょうがないんだが。

 東大の解答字数はだいたい60字~70字。と決まっている(約13センチ×2行が基本)。
 東北大は30字~80字。
 筑波大は一般に字数制限なし(解答欄の広さによるのだろう)。
 新潟大・埼玉大は100字以上の比較的長いものが出る。

 まあそんなことはどうでもいいのだが、受験生たちの記述答案作成を見ていると、どうしても要素詰め込み型になりがちだ。
 こちらの教え方もよろしくないのかもしれない。記述は15字~20字で1内容ぐらいの目安で書け、とか口を酸っぱくして言うので、受験生もそうしなければ、と解答すべき要素を一所懸命探すことになる。
 次のその要素を組み立てて、なんとか解答に仕立て上げようとするのだ。

 しかし、適切な解答にするためには、本文全体の論理展開を把握し、その部分にふさわしい抽象レベルで、適切な「対比」を踏まえて、答案の範囲内の論理と、本文の展開論理とが矛盾しないようにフィットした形に仕上げることが必要だ。

 この、本文の論理展開を把握した上で、適切な「対比」を踏まえて、答案内の論理と、本文の「論理展開」が矛盾しないように仕上げる、ってのが結構難しい。

テキストに対するバランスよい目配りも必要だし、明示されていない「対比」もきちんと押さえる必要があるし、加えて傍線部は同じ言葉を使わずに一段階一般化して「説明」することも忘れてはならない。
初見の、しかもそう短くない評論文を読んだ上で、せいぜい40分以内にそんな記述答案を4つか5つ書き上げなければならないのだから、まあ大変なことである。

結局のところ、評論は「類同性」・「変化」・「対比」が幾層かになっている、その「関係」を読めればなんとかなる、と駿台の二戸先生という講師の方に教わったことがあるけれど、それに付け加えるとすれば、福島大の澤先生が小論文の指導の講座のときに強調していた「筆者は何をいいたいのか、何のためにそう表現しているのか」ということだろうか。

一度は二戸さんの指摘のように前から「共通性」と「対比」を踏まえて「変化」を読み解き、二度目は後ろにあることの多い「結論」から、よく見えなかったその3つをもう一度逆に読み解いてあぶり出す。

私が今年二次問題の数をこなしているうちに感じているのは、この「二度読み」の感覚の重要性だ

そしてそれは現代文の評論に限らず小説・古文・漢文においても、、二次記述のような、短時間で正確に記述解答を作るときに有効な方法であるように思われる。

初読の時にすべてすらすらと理解できるぐらいなら、それは勉強せずとも合格答案を書くことは可能だ。しかし、普通はそうはいかない。文章の方向性ぐらいはざっと読んだだけで分かることもある。しかし、考え方や思考の展開方法が自分と違っている評論の場合、前からリニアに読んだだけではしっかりと把握できないこともある。
そのときに、結論(筆者の主張)から逆に全体を再配置するつもりで、後ろから読むと良い。

小説だったら、最後に主人公がたどり着いた「心情」から読み戻すことになるし、古文だったら、最後の教訓や和歌にたどり着くまでの道筋を最後から逆に類推することになる。
漢文に至っては、最後の登場人物の言葉や、筆者の主張・コメントから、たとえや比喩を再配置していけば、読解速度もだいぶ上がるはずだ。


ただし、そこで一番重要なのは、一回目のまだよく分かっていない読みのうちに、
「自分が読解できた範囲で文章全体の世界像を把握してしまいたいという欲望」
に逆らって
でも、ぼんやりと見えていないところ、自分の読みで文法や単語、あるいは論理の流れからいって「つまづいているかもしれないところ」の手応えを感じて、一度目の読みのときはそこを敢えて「明確化しすぎないで読み終える」勇気だ、と最近強く思う。

人は、理解できた範囲で「分かったつもり」になりたがる。分からないと不安だし、受験で時間も限られていると、最初に読めたつもりの感覚で押し切ってしまいたくなる。
もちろん、最初から読めるように訓練はしたい。しかし、東大受験者だって60%とか65%とかしか解けない問題を、最初から解答の最後まで見通すように読解できる人が果たしてどれだけいるだろうか。

問題解決のためには、問題点を洗い出すことが必要だ。
そして問題点とは「分からないところ」「ぼんやりしていてはっきりしないところ」「矛盾があって困っているところ」だろう。
受験生には、その「分からなさ」を1回目の読みで排除せずに「うるかした」まま保持することを強く奨めたい。

中には最初からすべてがクリアに見える人もいるだろう。しかし、たぶんそういう全体の要素をすべてありうべき場所に最初から配置できるよう矛盾なく処理できるだけの能力があれば、受験なんて勉強せずにも済む。

たしかにそういうレベルの人もたまにいます(笑)。

しかし私たち凡人は、1度目ではよく分からないことや勘違いしやすい場所を洗い出し、二度目の読みで修正しつつ、全体構造の中で要素を適切に再配置し、論理展開に矛盾が生じないように比喩や例示の意味や意義を画定していくことが大切なのではないか

二次指導の前半を終えて、そんなことを強く感じた。
後半、その構造の中での要素の適切な再配置、が受験生に「きれいに提示」できて、納得してもらえれば、仕事は成功、と言えるかもしれない。
それが足りないと、お給料分の仕事にはならないかな……。
厳しいけれど、そこ、もう少し粘ってみたい点です。