参院選で自公が議席数を延ばしてから1週間が過ぎた。あれ以後、政治に対してどう話をしたり書いたりすればいいのか、ちょっと途方に暮れている。衆議院選挙の時もそうだったので、同じようなことを繰り返している。
私の投票行動が別に変わったわけではないので、自分の望むような選挙結果(議席数)ではないからといって後悔したりするということはない。
だが、いわゆる「普通のヒト」たちと自分の感覚にズレがあるのだなあ、ということは感じるし、その中で少数派でありつづけるのはちょっと元気が出ない、ということもある。
とはいえ、少数派はさびしいからといって、みんなが投票する政党や人を選ぶというものでもないから、自分の投票行動の基準はそんなに大きくは変わらないだろうと思う。
さてしかし、選挙はこのままでは「自分の行為」という実感が持てないまま、虚しさが募っていく作業になりかねない。政治はやっぱり自分の中から発信していかないといかん、そう思う。
むろん私は教師だから、職業上のオンタイムに、教壇で演説を打つわけにはいかない。そこでは生徒自身が自分の考えを広げ深めて、政治的な思考と行動ができるように支援することが重要になる。国語の教師になにができるのか分からないが、そういうことをやっていくことが必要だろう。
そして実は、そこのところが充実してくれば、どの党に投票するか、とか、どの政策に賛成するかとかが互いに一致せずとも、この虚しさからは少し離脱できそうな気もしないではない。
政策とかいっても、全部白黒はっきりさせて賛成か反対かをぴたっと二つに分けられるものばかりではないし、課題はいくつもいくつもあるのだから、意見や立場など違うのが当たり前だ。ニヒリスティックになるのは、意見や立場が違っているからでもすれちがっているからでもないのだろうとも思えてくる。
自分たちの中から発生してくる身体的なエネルギーと思考のエネルギーが互いを抑圧しあったりしないように生きること。そういうことができるなら、十分なのだと思う。
おまえはなにがしたい?
と自分の肉体や思考に問いかけるように、よく分からない他者にもそれを問いかける。教師なんぞをやっている大人の代表としてやるべきことは、池上彰のようにわかりやすく世界情勢を解説することではなくて、自分の中から出てくる力に形を与える、自分を構成する表現を持てるように支援することだし、他者に対してそれができるってことは、自分のこともそうできるってことになるんだと思う。
今回の選挙の後、そんなことを考えた。
これもまた、スピノザのおかげ、なんていうと意味が分からない、かなあ。
私の投票行動が別に変わったわけではないので、自分の望むような選挙結果(議席数)ではないからといって後悔したりするということはない。
だが、いわゆる「普通のヒト」たちと自分の感覚にズレがあるのだなあ、ということは感じるし、その中で少数派でありつづけるのはちょっと元気が出ない、ということもある。
とはいえ、少数派はさびしいからといって、みんなが投票する政党や人を選ぶというものでもないから、自分の投票行動の基準はそんなに大きくは変わらないだろうと思う。
さてしかし、選挙はこのままでは「自分の行為」という実感が持てないまま、虚しさが募っていく作業になりかねない。政治はやっぱり自分の中から発信していかないといかん、そう思う。
むろん私は教師だから、職業上のオンタイムに、教壇で演説を打つわけにはいかない。そこでは生徒自身が自分の考えを広げ深めて、政治的な思考と行動ができるように支援することが重要になる。国語の教師になにができるのか分からないが、そういうことをやっていくことが必要だろう。
そして実は、そこのところが充実してくれば、どの党に投票するか、とか、どの政策に賛成するかとかが互いに一致せずとも、この虚しさからは少し離脱できそうな気もしないではない。
政策とかいっても、全部白黒はっきりさせて賛成か反対かをぴたっと二つに分けられるものばかりではないし、課題はいくつもいくつもあるのだから、意見や立場など違うのが当たり前だ。ニヒリスティックになるのは、意見や立場が違っているからでもすれちがっているからでもないのだろうとも思えてくる。
自分たちの中から発生してくる身体的なエネルギーと思考のエネルギーが互いを抑圧しあったりしないように生きること。そういうことができるなら、十分なのだと思う。
おまえはなにがしたい?
と自分の肉体や思考に問いかけるように、よく分からない他者にもそれを問いかける。教師なんぞをやっている大人の代表としてやるべきことは、池上彰のようにわかりやすく世界情勢を解説することではなくて、自分の中から出てくる力に形を与える、自分を構成する表現を持てるように支援することだし、他者に対してそれができるってことは、自分のこともそうできるってことになるんだと思う。
今回の選挙の後、そんなことを考えた。
これもまた、スピノザのおかげ、なんていうと意味が分からない、かなあ。