まず長嶋有『佐渡の三人』を読んでいたのだが、その途中で渡辺京二『北一輝』をなんとなく読み始め、結局今日は北一輝の『国体論及び純正社会主義』を読むことになってしまった。
原文も国会図書館のデジタルアーカイブズみたいなので読めないことはなさそうだが、現代語訳をしてくれているありがたいサイトがあったので、そこで読み始めた。これがすこぶる面白いのだ。
『国体論及び純正社会主義』全現代語訳
http://kokutairon.web.fc2.com/gendaigoyaku.html
上記サイトからの引用だが、
「明治三十九(1906)年五月九日、『国体論及び純正社会主義』を自費出版。片山潜、河上肇、福田徳三などの賞賛を受ける一方、不敬との批判を受け、五月十四日発禁処分を受ける。この本を契機として、幸徳秋水、堺利彦らとの交流を持ち」
明治39年時点での北一輝のこの文章における分析と盛り上がりは、2017年夏の時点ですら、「全く過去の物だ」とばかりは言えない手応えを感じる。
確かに引用されている様々なテキストの解釈の妥当性はかなり割引して考えねばならないだろうことは素人目にも分かる。
だが、かれが「社会主義」と繰り返すその思想の核にある社会の見方は、戦後70年の「平和」を経験したはずの「今」と、まだまだ響き合う点を多く持っていると感じる。
少なくても日本の政治について考えようとする時、この「北一輝」のテキストをどう捉えておくかという「演習」は、自分に課しておかねばなるまい。
まったく今頃遅ればせながらここから学び始めるのか!と思うと自分でもその遅さに呆れるほかないが、まあ、今日の午後は北一輝と過ごしてみる。
原文も国会図書館のデジタルアーカイブズみたいなので読めないことはなさそうだが、現代語訳をしてくれているありがたいサイトがあったので、そこで読み始めた。これがすこぶる面白いのだ。
『国体論及び純正社会主義』全現代語訳
http://kokutairon.web.fc2.com/gendaigoyaku.html
上記サイトからの引用だが、
「明治三十九(1906)年五月九日、『国体論及び純正社会主義』を自費出版。片山潜、河上肇、福田徳三などの賞賛を受ける一方、不敬との批判を受け、五月十四日発禁処分を受ける。この本を契機として、幸徳秋水、堺利彦らとの交流を持ち」
明治39年時点での北一輝のこの文章における分析と盛り上がりは、2017年夏の時点ですら、「全く過去の物だ」とばかりは言えない手応えを感じる。
確かに引用されている様々なテキストの解釈の妥当性はかなり割引して考えねばならないだろうことは素人目にも分かる。
だが、かれが「社会主義」と繰り返すその思想の核にある社会の見方は、戦後70年の「平和」を経験したはずの「今」と、まだまだ響き合う点を多く持っていると感じる。
少なくても日本の政治について考えようとする時、この「北一輝」のテキストをどう捉えておくかという「演習」は、自分に課しておかねばなるまい。
まったく今頃遅ればせながらここから学び始めるのか!と思うと自分でもその遅さに呆れるほかないが、まあ、今日の午後は北一輝と過ごしてみる。