龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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相聞歌2019年(10/11~10/15)

2019年07月04日 17時19分36秒 | 相聞歌
10/11(木)

緊急入院の夜に


208
間に合うか間に合わないか救急車酸素のマスクに救いを探す(ま)


209
救急車に同乗しつつ妻を看る死ぬなら我の中身も持ってゆけ(ま)


210
今妻の命がここで消えたなら身体の中身を持って行かれそうだ(ま)


211
深夜来る救急棟の待合室命の糸を結ぶ場所なり(ま)


212
ひとまずは集中治療室に入り命の糸がそこでつながる(ま)


213
明け方に病院から呼ぶタクシーの運転手さんに慰められる(ま)


214
クオリティオブライフとは言うけれどどう選ぶのか命の道筋(ま)


215
病状が収まればすぐに帰りたいと言い出す妻を予想してみる(ま)


216
救急車初めて乗ってみたけれど案外悪い乗り心地なり(ま)


217
雨の朝詩人の言葉を思い出す「どんなに愛しても足りなかった」と(ま)


218
最後まで「より良く生きる」それだけを実現させて欲しいと祈る(ま)


219
神様を信じるわけではないけれどこれが祈るということだろう(ま)


220
もう少しゆっくり歩けと言いたいが闇に跳ぶ君止める術(すべ)なし(ま)


221
我が魂(たま)は君の呼ぶ声に応えんとす残されるのは抜け殻の我か(ま)



10/12(金)

222
魂がふと身体から流れ出そうだ必死に胸の辺りを押さえる(ま)



10/13(土)

223
妻のいない茶の間でコーヒーミルを挽くその音だけが静かに流れる(ま)



10/14(日)

224
母の荷をゴミ処理場に捨て切って夫婦で入る隠居所の秋(ま)



10月15日(月)

225
電話では元気な声を届けたい言葉を選び嘘はつかずに(ま)


10/11になったばかりの真夜中、妻の呼吸が苦しくなり救急車を呼んだ。
救急車は父の入院の時も何度かお世話になっているが、この時の妻の苦しむ様子はかなり深刻で、私自身パニックに陥っていた。
この直前に詠んだ歌が206,207だったから、やっと二人の生活ができるという静かな喜びを感じた直後だっただけに、ショックも大きかったのだと思う。


206
二人して生活道具を買いに行く足りなければまた明日来れば良い(ま))

207
残るのは食器類ねとうなずいて新居に響く声柔らかし(ま)


小名浜という場所から救急車が来てくれるのに約15分強。本人と私が乗り込んで状況確認をするのに約5分。病院は救急の体制が整っているので受け入れは問題なく、家から病院までサイレンを鳴らして約20分強。ざっと45分弱の間、生きた心地がしなかった。

だが、本当のショックはその後やってくる。
強制吸排機能のついた酸素マスクを着けられてストレッチャーに乗せられて本人が出てきたとき、救急救命の看護師さんに 「連れてきて正解でしたよ」と言われて、ホッとすると同時に恐怖も改めて感じた。
その後、いつもの担当医ではなく当直の医師に、以前からの資料をまとめてみせてもらい、現況と合わせて説明を受けた。

横隔膜転移だけではなく、肺にも転々と転移と見られるものがあ。残念ながら予後は悪いと考えられ、これから呼吸苦は増していくだろう……ご主人大丈夫ですか……
といわれてうなずいたものの、何がどう大丈夫なものか。

身体の中の中身が胸から腹、腰にかけて前半分がごっそりと持って行かれたような感覚に襲われた。

「半身」というのはこういうことか。魂(たましい)は身体の中でこれぐらいの質量をもっているのか、と余計なことをその瞬間思った気がする。それを何度も稚拙な表現で繰り返しているのが10/11の歌だ。

死は今やってくるわけではない。
しかし、この時のショックは、妻の死を先取りして感覚した、、というに近い。
この日から私は、妻との生活を、明確に限られた時間を生きるものとして覚悟することになった。

頭で分かっていることを、初めて身体的なショックで妻の死を身近に感じた日だった。