龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

地域興しの切り札

2015年05月04日 23時12分11秒 | 観光
夷隅郡大多喜町を訪ねたところ、
「本田忠勝を大河ドラマに」
という幟が町中に立っていた。

香取市の佐原にいったら、今度は
「伊能忠敬を大河ドラマに」
という幟が。

視聴率衰えたりといえども、田舎の町おこしの切り札として「大河ドラマ」は神通力を失っていないのだなあ、としみじみ。

また、養老渓谷をドライブしていたら、

「アートいちはら2015春」

というイベントに出会った。

廃校になった旧里見小学校・月出小学校や、地元の美術館など複数の海上でアートイベントを行うというもの。

新潟の妻有などでは大規模に行われているし、地元福島県いわき市の田人町でも村全体が、アートの会場になるイベントが続けられている。

自分たちの町の歴史を守りかつ新たな企画も立ち上げながら自分たちの町を動かしていこうとするのは大変でもあるのだろうけれど、実際私たちは「観光」というかあたかも「事故」のようにそういうイベントと様々な、形で出会っていくのが楽しい。

道の駅も何十となく訪れているが、人が集まっていくのには、それだけの理由がある、との印象を持つ。

確かに名所を確認に行くのが長らく私たちの「観光」だったし、今もそれは大筋変わらないのかもしれない。
でも、私たちは「歌枕」の確認作業だけをしに旅行をしているわけでもないだろう。

どこかで何かと、誰かと出会っていくこと。

時には「るるぶ」や「まっぷる」、あるいはネットでの観光案内に身をゆだねたりもしつつ、しかしそんなことだけではなく、ふらっと訪れた街や山が、意外な相貌を見せてくれる瞬間があって、だから旅は止められないわけで。

たとえきっかけはマニュアルからはじまった旅だとしても、ふと目に飛び込んできたり、知人に教えられたり、朝市で地元の人の話を小耳に挟んだり……新鮮な野菜、伝統の行事、できたての食べ物、作りたてのアートを前にすれば自然と会話も弾む。

そして、話を聴いたあとなら、大河ドラマを望む地元の人の気持ちもちょっぴり分かってくる。

ものの本によれば、地方は「消滅」する、のだという。

でも、そういうまとめ方は本を売ったり予算をつけたりするのには便利なのだろうけれど、別に地方はそんなに大々的に栄えなくてもいい、と思っていると思うなあ。
人の生活が完全に消滅するまでは、そこに町や村は、あり続けるだろう。そしてその生活の営みは、そう簡単にはなるなるまい。
お店屋さんのシャッターが下りることはあるだろう。温泉街の旅館が廃業することも有るかもしれない。
でも、じゃあ湯治場が一軒そこにあるだけでは、だめなのか?
道路と電気というインフラの維持のために、どれだけの人数と税収が必要なのだろう?

新しく道を作る計算ではなくて、どんな風に補修しながら持続が可能なのか。

千葉県の小さな町や村を二泊三日で旅しながら、
「千葉の田舎の山の舗装道路は福島に比べて狭い」

という印象を抱きつつ、道路さえつながっていれば、何とかなるのではないか、とも思った。

もちろん地方の集落にとって道路の整備は両刃の刃でもある。

消費を地元ではないどこか別のところにある中核都市や、その郊外のショッピングモールに吸い取られてしまいかねない。

道路一つとってもそうなのだから、雇用の問題も難しい。
役場に勤められないから、地元に雇用がないから、若者が出て行く、という声に応えて役場の職員募集を増やしたが、応募がないという結果が、という話も奥会津では聴いた。

山村が栄える特効薬など、おそらく存在しない。しかし、自分たちがずっと住んできた、そして住み続けている村や町について考えることは、おそらく自然なことだ。

そういう自然さを、おそらく地方小都市のサラリーマン子弟の末裔である私は持ち得ていない。







最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。