龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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ホッブズ『哲学原論』渡部秀和/伊藤宏之訳の凄さ。

2012年07月29日 15時02分59秒 | インポート
週末、
『哲学原論・自然法及び国家法の原理』柏書房刊
(一冊本20,000円)



の訳者の一人と同席できる機会があった。友人の友人ということで、無理を言って一緒にお酒を飲ませてもらったのだ(私はとんぼ返りだったのでノンアルコールビールでしたが)。

実に面白かった。

17世紀半ばイギリスで思索と著述をしていたホッブズと、オランダで哲学していたスピノザ。
比較して話をしているだけで、いろいろな面白い課題・論点が次々と浮かび上がってくる。

この著作、訳業それ自体でも大きな価値があるのだけれど、仕事が実にクリアであるという点が、特筆に値する。

それは例えばこういうことだ。
中世のいわゆる「神学論争」の面倒くささ、不可解さの感触をビビッドに伝えてくれる山内志朗の『存在の一義性を求めて』なんかも同じ。

ホッブズの哲学の前提にある人間観、世界観が、この著作ではおそらくトータルな形では日本で初めて示されたことになるのだろう。
その訳のお仕事のクリアさは、今後ホッブズに関心のあるプロパーばかりでなく、一般の読者にとっても、大きな価値を持ってくるだろうと考えられる。

大体この厚さだ。そう簡単には読了できまい。
そして、これが本邦初訳だということは、哲学プロパーの怠慢をこそ意味しているわけだから、学者たちの評価だって高がしれているだろう。

手前味噌になるが、私のように17世紀の別の哲学者に関心があるような種類の周辺読者にとって、あるいは改めて今の日本において権力論、人間論、広い意味での社会哲学を組み立て直そうと志す者達にとってこそ、福音になるはずだ。

10年、20年たって真価が理解される仕事になるかもしれない。

それがこの福島の地から、この時期に(実際の訳業は10年以上の粘り強い営為から生み出されたものですが)世に出たことの意議も大きい。

誰にでも買って読め、と勧められる「物体」ではありませんが、図書館には入れてもらっておくべき一冊です。
内容については、じっくり読みながら、メディア日記にぼちぼち感想を書いていきます。
そちらも読んでいただければ幸いです。

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