龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

元日、背戸峨廊までドライブしてきた。

2012年01月02日 10時10分06秒 | 大震災の中で
ロードスターの屋根を開け、元日の午前中からドライブに出かけた。

乗らない人が多く想像するのとは違って、オープンカーは冬場がむしろ楽しい。

特に、アメリカ=カリフォルニア的なオープンカーではなく、イギリス的ライトウェイトオープンにおいては。

今時の車は暖房が良く効くので、むしろ冬場は動く露天風呂のような開放感と快適さが味わえる……のだが、コタツでミカンとお酒とテレビで何の不足もない元旦から、わざわざ屋根をあけて走る奴の気が知れない、という常識的反応には一理も二理もある、と言っておこう。

まあでも、楽しいのですよ(笑)。

空間線量が下がったこともあり、周りの人に不快な気持ちを与える度合いも低くなったかな、という一応の配慮と納得もありつつ、福島県いわき市北西部の夏井川渓谷へ。

いわき市平から約30分ほどで背戸峨廊に到着した。
(画像1)



背戸峨廊(背戸=隠れた、峨廊=美しい岩壁)は、福島県いわき市江田川にある岩場の滝と渓流が美しい景勝地。

名前は地元出身の詩人草野心平が名付けたという。

元日の背戸峨廊は、人っ子一人居らず、遊歩道は地震による相次ぐ落石と、台風による橋の流失で立ち入り禁止になっていた。

息子が物心着いた時、初めて二人で電車に乗ってハイキングに行った場所でもある。

また、家族で訪れた時には、女性が一人、渓流に落ちそうになっているところに出くわし、腕一本を握りしめてすんでのところで助け上げた、なんていう人生史上唯一の人命救助をした場所でもある。

ロープをくぐってちょっとだけ先に行ってみると、冬場なので水嵩は低いようだった。ただ、足場はやはり危なそうなので、素直に引き返す。

いわき市観光課の札の名前で立ち入り禁止の札が下がっていた。

管轄が観光関係、となると、早期の復旧は望み薄かもしれない。

市内の道路さえ、まだまだ道路が蛇のようにうねっていたり、激しい段差で車が宙を舞ったりしているのだから。

周辺の釣り堀や葡萄狩りの農園、キャンプ場なども、新年を迎えたからといって明るい展望が開けているわけではあるまい。今年も厳しいのかしら……。

さて、そこから阿武隈山地を縦に南下し、石川町に出てから県道石川-いわき線の御斎所峠に向かう。
ここも崖崩れで半年以上不通になっていたのだが、最近開通したという。

古殿町からいわき市に向かってしばらく走ると、渓流の北側斜面を走っていた道路が、急に新しい橋を渡って南斜面に移る場所があった。

橋を渡って向かい側から北斜面を観ると、数十メートルに渡って二カ所も斜面が崩落し、道路は土砂に埋まって全く見えなくなっている。
二本の橋で向かい側に道路を迂回させ、間にある土砂崩れの部分を回避したらしい。

新たに道路の出来た南斜面と、向かい側の土砂崩れしたままの北側斜面とのコントラストが激しく、思わず車を止めてマジマジと観察してしまった。
(画像2)



自然に触れる「遊び」の営みにしても、道路という「インフラ」にしても、自然の「力」によって損傷を受けるのは同じなのだけれど、実際なはかなり違う印象を受ける。

前者のような自然自体の形状の変化は受け入れやすい(自然1)。
それに対して人間の営み=人為の崩壊は、「裂け目」の向こう側から自然の脅威が覗く分だけ畏れを抱く(自然2)。

前者は、変化の前後を見比べなければ分からないのに対し、後者は観た瞬間に「人為の崩壊」を前提とした自然の「力の痕跡」が眼に飛び込んでくる。

私たちは社会的人為の中で生きているという当たり前のことを、こういう災害という人為の裂け目を通した「自然2」の立ち現れによって知り、畏れるのだ。

原子力発電所の事故は、さらに次の段階、
「自然3」
の次元を考えなければならないからさらに厄介なのだが。
(この項、続く)





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。