平成湘南日記...一語一絵

あせらずゆっくりのんびりと
花とニャンコとクッキング
時々俳句とデジ散歩
自称カメラ小僧の気まぐれ風まかせ日記

これでいいのだ/赤塚不二夫自叙伝

2008-10-26 22:10:34 | 今日の事
その昔、会社の帰りに毎日立ち寄る喫茶店がありました。
ほぼ毎日通った理由...。
コーヒーが特別美味しかった訳ではありません。
マスターや奥さんと話はよくしましたが、その話が特別楽しかった訳でもありません。
この店には、毎週発刊される三大少年漫画誌、「サンデー」「マガジン」「ジャンプ」の最新版が常に置いてあること、実にこれが目当てでありました。
「巨人の星」「あしたのジョー」「バイオレンスジャック」等々
なかでも、赤塚不二夫漫画は他とは一味も二味も何味も違っていました。
ギャグ漫画の草分け...と今はそんなジャンル分けがありますが、当時はそんなものはありません。
品性も無く、ただバカバカしいだけのギャグの連続に、こみあげてくる笑いをこらえる。
そして決定的なギャグフレーズがこれでした。
「これでいいのだ」
この言葉、通常は一般世間でうっかり使うとロクなことになりません。




落着いて本を読む時間がなかなか無く、いわゆるツンドク状態の、この最近。
そんな中で、こんなのを読みました。

この本は、赤塚自身がご近所のスーパー銭湯のロビーに2ヵ月通って執筆したとのこと。
飾りがなく生のままの自叙伝という気がしました。
そしてこの筆致は親しみや穏やかさに満ちており、単なる私の懐古趣味だとは言いたくない気がします。
漫画家として売れっ子となってからのことは終盤にちょっと出てくるだけです。
いわゆる赤塚ギャグのイメージとはちょっと違うかも分かりません。
両親とのある意味ではとてもシュールともいえるエピソードのあれこれ。

当時は、PTAなど良識ある方々から散々非難され社会問題にもなった。
いわく、子供の教育に悪い影響...日本語をダメにしてしまう...云々。
それが、なんと第26回日本漫画家協会文部大臣賞を受賞してしまった氏。

弔辞 ( ノーカット版 )


**一部抜粋***
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。
それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、
その時その場が異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。
すなわち『これでいいのだ』と。

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080807/tnr0808071147002-n1.htm


この弔辞、実はタモリ氏は勧進帳さながら白紙を読んだと言われている、...いかにも、です。

タモリ氏も弔辞で言ってました、「これでいいのだ」という、この言葉、今思えばとっても深い意味に感じられてなりません。
如何なる不具合も、それが多少の罪であっても、いいんじゃあないのぉ?...と、全てを"是"として受け入れる、この寛容さ、ふところの深さ、器の大きさ...。

曰く
・明智光秀の謀反を織田信長の「是非もなし」
・アラビア語のインシャアッラー・・・神の思し召しなら...
・さようなら・・・私の本意ではありませんがお別れするのが定めであるのなら

といったような言葉に匹敵するほどのなかなかに重い言葉なのでは...と。