6月29日(月) 【お地蔵様の雨囲い】
お地蔵様の廻りに透明のクロスをとりつけました。屋根の垂木はだいぶスカスカになっているので、新しい木枠をぐるりと打ち付けて、そこにクロスを打ちつけました。なんとか予想通りにできました。いつかお地蔵様の御堂をつくりたいと思っていますが、まだできませんので、それまでの応急処置です。(少し大変でしたので、腕の良い大工だった父の助けを願って、金槌を使いました。)
とても優しいお顔のお地蔵様なので、雨や風からお守りしたいと思っています。お地蔵様の不老帽は、恐縮ながら、ぼろぼろになってしまったお袈裟で縫わせていただきました。
ひょっとすると、お地蔵様が御礼に何か………笠地蔵のお話ではありませんが。そんな恩着せがましいことを勿論思ってもいません。これは冗談です。
でももしもお聞き届けくださいますならば、私をもっと働かせていただきたい、という願いだけです。このお寺に入る前、私も母も本当に良き隣人たちに恵まれ、都会では珍しい住みよい住環境に恵まれていました。それらに別れを告げて、お寺の住職になったのは、このお寺のためにもう一働きをさせてもらって、あの世に帰ろうかという思いからでした。(こんな機会をくださった、前の住職に、実は感謝しているのです。)
法話をあまり聞いたことがない檀家の皆さんに教えを伝え、お寺という場を現在の檀家さんのためにも子孫のためにも、仏教のためにも、しっかりと残せれば、という願いだけです。
私は、いつか人類は滅亡するだろう、という考えを持っていますが、それは自分がこの地球にいる間ではないだろうと予測しています。しかし、永遠不滅のものは一つとしてありません。勿論このお寺もですが。
それでも、人として今できる精いっぱいのことを、それぞれが勤めていくことだと思っています。楽な生き方、よりよい生活を望むのは僧侶のとるべき道ではありません。カッコいいようですが、私はいつも楽よりも大変な方を選んで歩いてきたような気がします。でも、それで面白い人生です。ロマンですね、人生は。
誰しもにやってくる最期の時に、自分なりに尽くして生きた、しかし、尽くしたりなかったが、と、そんな風にちらりと思って、今生の目を閉じれれば、それでよし、と思うのです。
願わくは、透徹した目で、何事にも瞞着されず、最期までしっかりと生きられますように、お地蔵様、どうぞ、ご覧になっていてくださいませ。