風月庵だより

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タケノコ初物です

2016-03-29 11:58:37 | Weblog

3月29日(火)晴れ【タケノコ初物です】

今年初めて、タケノコの頭が出ているのに気が付きました。早速掘りました。

いよいよこれからまたタケノコとの戦い!?がはじまります。うっかりしていますと、せっかく冬の間に減らした竹が、またどんどんと育ってしまいますから、皆さんに連絡をして掘りに来ていただかなくてはなりません。

しかし、今年は来月大変な仕事が決まっていますので、余裕がありません。余裕がないところに実は毎週のように大変残念なお勤めがありますので、頑張らなくてはなりません。

皆さんの春の初めはいかがですか。そうそう、私は両方の方から依頼を受けましたので、お見合いのご紹介をいたしました。この頃は、男女が出会う場が少ないようですね。少子化と言いますが、産めないというよりもその以前の結婚なさらない若者が多いのではないでしょうか。お寺の和尚がお見合いの仲立ちをするのもなんですが、法事の席などで、結構若者たちに会う機会が多いのです。こちらの方は、ちょっと楽しい春の便りです。但し、文句の無い、苦労の無い結婚などはありませんから、そこまでは責任を負えませんが、まあ、なんとかやっていけるだろうと思える場合のみのお節介です。

季節の変わり目は体も変調をきたしますから、どうぞ、皆様御身お大事にお気を付けくださいますよう。

 


普代水門

2016-03-17 16:56:32 | Weblog

3月17日(水)晴れようやく暖か【普代水門】

今日はお彼岸の入りです。お墓参りのご家族が、今日は多かったです。お天気にも恵まれて本当に良かったです。このところ風邪気味でしたが、お陰様ですっかりよくなりました。

さて、テレビで、普代水門とその建設に村長として携わった故和村幸得氏の話を観ました。

普代村では明治の三陸地震(1896年)で302名、昭和の三陸地震(1933年)では、137名の犠牲者が出たそうです。和村村長は20代のときに昭和三陸地震に遭遇し、山に逃げた経験から、どうしても村を津波から守らねばならないという強い考えをお持ちになったのだそうです。

それで、15,5メートルもの水門は不要ではないかと、随分反対者もいたようですが、頑として守るべきもののために水門を築くことに尽力なさり、1984年(昭和59年)完成したそうです。15,5メートルという高さにこだわったのは、明治の津波は15メートルだったという言い伝えがあったので、なんとしても15メートル以上と強く思われたそうです。

そのお蔭で、普代村は一人の犠牲者も一軒も家を流されることなく、この度の地震を乗り越えたそうです。

守るべきもののために信念を曲げず、いかなる反対に遭ってもひるむことのない村の責任者としての姿勢に感動の涙が出ました。

比較にはなりませんが、私も、この一角で自分がまかされたお寺を守るために、責任をもって現在を守り、次の世代に引き継いでいきたいと強く思っています。決して負けることはありません。

皆さん、天候不順です。お体お大切になさってくださいませ。

(先日の雪の日です。)

 

 


インド サロメと呼ばれた女性

2016-03-08 10:36:34 | Weblog

3月8日(火)晴れ、暖か【インド サロメと呼ばれた女性】

今日も暖かそうで怖いですね。花粉症がついに発症してしまいました。今年からは大丈夫だろうと思っていましたが、やはりダメでした。ご葬儀が続いてありましたり、税金の申告書を作成したり、とにかく忙しかったので、少し疲れていたところに、杉の花粉の舞うころと重なってしまったからでしょう。

ところで、今朝、突然 、一人でインド旅行に出かけたころをふと思い出しました。そこで、ドイツ人と結婚していたサロメと呼ばれていた女性のことを思いだしました。彼女は日本女性ですが、劇団に所属していた頃、サロメの役を演じたそうで、それでサロメと呼ばれていたのだそうです。

まさか、このブログをご訪問くださる方の中に「サロメ」さんをご存知の方は、いらっしゃらないでしょうが、もしかしたらその可能性もありますので、ちょっと書いてみます。

本当に自由な発想をお持ちの方でした。またお会いしてみたい方です。ゴアのダイヤモンドホテルにご一緒して、おいしいインド料理を食べたことを思いだしました。

そのとき、海岸を浮遊するようにふらふらと歩いていた一人の西洋人の女性がいたことも思い出しました。あの子はLSDでやられたのだと、誰かが言っていました。合成された麻薬の怖さを目の当たりにしました。LSDのような覚せい剤は、脳を壊してしまうのですね。

そういえばニューデリーに降り立ったとき、私と同じ12月8日生まれの関西の方の青年と一緒になりました。名前は記憶がありません。あの頃、多くの若者たちがリュックを担いで、海外に旅に出ていたものです。この頃はどうなのでしょう。その青年も元気でしょうか、と思い出します。まさかインドで出会った女性が出家しているとは思ってもみないでしょうから、このブログを御訪問なさる可能性は少ないでしょうが、ふと珍しく過ぎ去った若いころを懐古して書いてみました。

人生は、多くの思いでで一杯の万華鏡です。

ふと、ダンマパダの言葉を思い出しました。

花の束から多くの華鬘を、 作ることができるように

人間として生まれたものは 多くの善を作るべきなり(『ダンマパダ』53)

お釈迦様の教えは難しいことではなく、本当に人間として当たり前の教えですね。

皆様、どうぞ、お体をお大切に。

(ハッピーです。この猫だけは避妊手術をしていないので、闖入猫がテリトリーに入ってきますと、戦いを挑んでいます。老いても頑張っているのです。)