風月庵だより

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禅でいうところの神通

2006-11-30 00:13:56 | Weblog
11月29日(水)晴れ【禅でいうところの神通】

先日知り合いのお寺に開山忌のお手伝いに出かけた。そのお寺の子供さんたちは生まれたときから知っているので、お伺いするたびに成長する姿に出会うことがなによりも嬉しい。一番上の男の子は今年、中学三年生、身長も随分伸びていつの間にか見上げるほど高くなった。
彼に「手を洗いたいのだけれど」と言ったら、こっちにどうぞ、と洗面所に案内してくれた。ハンカチを袋に入れてきてしまったと思い、後ろを向いたら、「はい」とタオルを用意してくれていた。

「あ、神通力だね」と私は思わず言った。

それにつけて潙山霊祐いさんれいゆうと仰山慧寂きょうざんえじゃく、香厳智閑きょうげんちかんの話を思い出した。

〈原文〉
師睡次仰山問訊。師便回面向壁。仰山云。和尚何得如此。師起云。我適来得一夢。汝試為我原看。仰山取一盆水与師洗面。少頃香厳亦来問訊。師云。我適来得一夢寂子原了。汝更与我原看。香厳乃点一碗茶来。師云。二子見解過於?子。(『景徳伝燈録』巻9?山霊祐章T51ー265c17)
〈訓読〉
師、睡ねむる次ついで、仰山きょうざん問訊す。師、便すなわち回面し壁に向う。仰山云いわく、和尚何ぞ此くの如くす。師起きて云く、我、適来一夢を得ん。汝試みに我が為に原うらなって看ん。仰山、一盆の水を取りて師の洗面に与う。少頃しばらくして香厳、亦た来りて問訊す。師云く、我、適来一夢を得、寂子じゃくし原了うらないおわれり。汝、更に我に原看を与えん。香厳乃ち一碗の茶を点じ来る。師云く、二子の見解、鶖子しゅうしを過ぐ。
少し語注を付けた方がおわかり頂きやすいかもしれない。
○問訊もんじん:挨拶をすること
○適来せきらい:いましがた
○原うらなって看ん:原の読み方であるが、原夢という言葉があり、夢を占うことなので、この原は「うらなう」と読んでみた
○寂子じゃくし:慧寂のこと
○鶖子しゅうし:舎利弗のこと。神通第一の目連と並び称される智恵第一の釈迦十大弟子の一人

〈和訳〉
師の潙山が眠っていたとき、仰山が挨拶にやってきた。師はくるりと顔を壁の方に向けた。仰山は「和尚さんはどうなさったのですか」と尋ねた。師は起きて言われた。「わしは先ほど夢をみた。おまえさん、わしの代わりにこの夢をうらなってご覧」と。仰山はお盆に水を入れて持ってきて、師が顔を洗うために差し出した。しばらくしたら、香厳がやってきて、挨拶をした。師は言われた、「わしはいましがた夢を見た、慧寂はこの夢うらないを済ませたところだ。おまえも占ってみてごらん」と。香厳はお茶を淹れて持ってきた。師は言われた、「二人の見解は舎利弗よりも勝れている」と。

私の本師はご提唱ていしょうの折、神通の話としてよくこの話を持ち出して話された。潙山のこの話しの場合、舎利弗は智恵第一といわれる弟子なので、神通第一の十大弟子の一人である「目連よりも勝れている」と潙山が表現してくれているとより明白になる神通の一例といえよう。

また龐蘊居士ほうおんこじは「運水搬柴是神通うんすいはんさいこれじんつう」水を運び柴を搬ぶ、是が神通である。日々の営みを勤めることが神通だと言われている。龐蘊居士は馬祖道一ばそどういつの法嗣である。馬祖は「平常心是道へいじょうしんぜどう」を唱え、禅の修行は日常の生活とかけ離れたものでないことを説いた禅師である。潙山は百丈懷海ひゃくじょうえかいの弟子であり、百丈はやはり馬祖の弟子である。

禅でいう神通はこのように、それぞれの生活を、目覚めた目を持って行ずることなのである

神通の花

2006-11-27 21:43:12 | Weblog
11月27日(月)雨後曇り【神通の花】

先日は神通力のある宝誌大士について書いたので、もう少し神通力のようなことについて触れてみたい。宝誌大士が梁の武帝のリクウェストに応じて現した觀音菩薩は、自分の顔を一皮剥いて、中にある觀音菩薩を示したというものだった。宝誌菩薩は觀音菩薩の化身であるという意味であろうが、それをみて心から回心するような、崇高な感じとはどうも思えない。

この場合宝誌大士は少し武帝をからかったのかもしれない。神秘的なものに対しての人間の誤った考えを諭したかったのではなかろうか。有り難いことや神秘的なことには胡散臭さがある。騙されるな、という宝誌大士一流の教えかもしれない。

聖フランチェスコの場合は、十字架上のイエス様から語りかけられ、このことによって回心(conversion)したのであるが、このような不思議の現れもある。。

さて次に急に次元が下がって恐縮であるが、私の経験についてちょっと書いてみたい。心に自分の顕在意識の声とは違う声が聞こえていた頃、不思議なことがいろいろとあった。その時の話の一つであるが、ある時香港に行くようにと、「心の声」(仮にそう名付ける)に言われて香港に行った。香港には友人たちが数人住んでいるのだが、彼らに会うようにと言うのである。

滞在したホテルで友人たちが訪ねてくるのを待っているとき、「お部屋に花がないのは寂しいから、花を飾りましょう」と「心の声」に言われた。もう辺りも暗いし、香港島側の静かな場所なので、近くに花屋は無さそうである。ところが「今外に行きなさい」と心に声が聞こえるので、それに従って外に出てみた。しかしホテルを出て坂を下がってみたが花屋はあるはずがない。何もないわね、と或る家の前を見ながら通り過ぎた。

「止まって、後ろを見て」と突然声が聞こえたので、おもむろに後ろを振り返ると、黄色の花が一抱えほど今通り過ぎた家の前に置かれていた。確かに数秒前に通り過ぎたときは何もなかった。この家の人が捨てたのではないか、と思ったが活き活きとした花であったし、心の声の指示でもある。狐につままれたような気がしたが、「どうぞ」と「心の声」に言われるので、それを持っていって、部屋に飾ったのである。

これは一つの例であるが、少なからず他にも面白い経験をした。しかし、私はこのようなことは危険であると後に考えたので、心に声が聞こえたり、不思議な現象が起きることを閉じて貰うようにしたのである。それには随分といろいろとあったが、ここでは省略させていただく。統合失調症の場合もやはり幻聴のようなことがあるようだが、私の場合は少し違うようであった。

自らの努力や自らの考えではない不思議なことが起こると、それを自分のパワーであるかのような錯覚に陥る。それは平凡な人間にとっては非常に危険なことである。聖フランチェスコのように自らを”I am a tool of Heaven.(我は神のしもべ、我は神の使い)" そのように自らを投げ出せる真の宗教者であり、愛の権化のような人に不思議な現象が起きてもなんら問題はない。しかしそうでない場合は危険きわまりないと私は考える。

私は私に任されたこの命を、私の足で、私の目で、明日をも見通せないこの目で、迷いつつ生きていくことを選びたい。

そして時々は四十九日の法要の時など、去りゆく人が伝えたい最後のメッセージをさりげなく伝えられれば、有り難いことだと思っている。

さてさて、今日駅前に短時間と思い自転車を駐輪しておいたら、無くなってしまった。たぶん不法駐輪車の集積場に持っていかれてしまったのだろう。三千円を持って行かなくては払い下げてもらえない。神通力を使えたら、そんな場所には置かなかったのだが。いや注意さえすれば良かったことです。神通力など無くても注意力さえあれば充分生きていけますよね。

ただ本当に神通力というものがあったとしたら、突然いなくなってしまった子供たちを探し出したり、吉田有希ちゃんを殺した犯人を捕まえてあげたい、二度と同じ事件が起きないためにも。

神通力を示す宝誌大士

2006-11-24 18:05:30 | Weblog
11月24日(金)晴れ【神通力を示す宝誌大士】

今国立博物館で開催されている『仏像』展の中に、一体奇妙な像がある。顔の皮を裂いてそこから別の顔が出ている像である。有り難いという感じよりも不気味である。この仏像は中国南北朝時代に実在した僧侶、宝誌大士(418~514)の像である。

宝誌大士は多くの奇瑞きずいを現した人として名高い。奇瑞は奇跡と同じような意味である。分かりやすく言うと神通力である。その赤子の頃にさえ面白い逸話があり、たまたま私の研究している器之為璠禅師語録の中にも出てくる。

「十一面観音菩薩」の開眼の法語に出てくるのであるが、原文は長いので一部分且つ訓読文のみ次にあげる。
「蚌蛤ぼうこうの殻裏に唐主を妖魅し、或いは鷹子の巣中に梁家を誑謼きょうこ。是れ聞薫無作の妙力と謂う。豈に亡所の尾巴に入流せざらんや。然も与麼なりと雖も、若し衲僧の門下に約さば、猶お泥を隔つこと在るがごとし。且く道え、衲僧に什麼の威力か有らん。〈便ち筆を以って点眼して云く〉、毫端に点出す頂門の眼。眼処何ぞ兼て耳処に差わん。

赤字の部分に関してのみ訳すと、鷹の巣の中で泣いていたという赤子は宝誌大士のことで、梁の武帝の尊崇を集めた人であるという。『釈氏稽古略』巻二に鷹の巣の中で啼いていた子の話がある。その子が宝誌大士であると書かれている。赤子の時、已にこのように不思議な話がある宝誌大士である。

私にとっては、この『仏像』展で宝誌大士の像を見て、赤字の部分の箇所に関して、苦労して宝誌大士のことと探し出してすでに知っていた面白味があった。しかしなぜ観音菩薩の点眼に使われているかと謂えば、次のことからであったことを、私は知らなかったのである。研究にはきりがないと痛感する。宝誌大士については日本では平安時代後期には広く知られていたという。室町時代には当然多くの人に知られていて、器之為璠禅師でなくとも知れ渡っていたようである。

国立博物館の像は、顔の中から観音菩薩を現した像と言われるが、これは梁の武帝が画家に宝誌大士の絵を描かせようとしたところ、大士が自分の顔を真ん中から剥ぐと、そこから十一面觀音が現れたのだという。ところが、観音が様々な表情を現すので、絵師が描こうとしたが描ききれなかったという。この「剥がれた顔の中から十一面觀音」が現れている像はこの説話に基づいている。

しかし不思議さに心打たれるというよりは、気味が悪い、と私は感じた。素晴らしいと感じる御仁もいられるかもしれない。目の前で宝誌大士に顔の中から別の顔を現されたなら、腰を抜かしてしまうかも知れない。奇瑞(奇跡)にもいろいろあろうが、なんとなく有り難い感じのする奇瑞のほうがよいと願うのはこちらの勝手であろう。宝誌大士はそんなことにはお構いなしの人に思える。

先日中国に旅行した人から、霊光寺(たぶん?)にある宝誌大士の像の写真を見せて貰ったが、柄の長い楽器を手にして頭にかぶり物をしている像であった。中国でも今でも祀られているような人のようである。

国立博物館に出かけられたら、是非宝誌大士像についてご感想をお教え下さい。
*奇瑞は奇跡のなかでもめでたいことの前兆として現れる不思議な現象。
*「宝誌和尚立像」京都西往寺所蔵。
*「宝公大士 諱宝誌。世称宝公。尊之也。手足鷹爪。初建康東陽民朱氏之婦。聞児[口*帚]鷹巣中。梯樹得之。挙以為子。七歳依鍾山僧倹出家。專修禅観。至是顕跡。以剪尺払扇掛杖頭。負之行聚落。嘗遇食鱠者。従而求食。啗者遺而薄之。誌即吐水中皆成活魚。今江中回魚是也。居多神異。至梁武帝天監十三年十二月六日入滅。寿九十三歳。梁武皇帝以金二十万易建康鍾山之独龍岡葬之。」(『釈氏稽古略』巻二T49-792b)

永六輔さんのコンサート

2006-11-21 23:41:11 | Weblog
11月21日(火)雨【永六輔さんのコンサート】

昨日は築地本願寺の本堂において、永六輔さんのコンサートが「歌浄土-自分の歌を自分が歌う」と題して開かれた。

永さんには、30年ほど前に私がある会をプロデュースしたとき、ゲストに出演していただいたことがある。その時その会の翌日すぐに永さんの方からねぎらいのお葉書を頂いたのである。それ以来永さんファンの一人になった。 

ところは浄土真宗本願寺派の別院である築地本願寺であるので、バックは阿彌陀様というなんとも有り難い場所である。そこに藍染めの半纏をお召しになった永さんが出てこられたが、全く違和感が無い。すぐに永さんの独り舞台が始まり、本堂一杯のファンは永さんの話に引き込まれてしまった

永さんの交友の広さは有名であるが、そのお一人瀬戸内寂聴さんの話は「此処だけの話」ということなので書くのはやめておくが、宮崎禅師様の話まで出た。宮崎さんという知り合いはすぐに浮かばないので、始めどなたかと思われたそうだ。尋ねていくと南無阿彌陀佛の南無についての話をここの若い人たちに聞かせて貰いたい、というご依頼であったそうだ。

永さんは浄土真宗のお坊さんである。諸所で法話もなさるそうだが、禅師様はラジオかテレビでの永さんの法話に感心なされたのであろう。禅師様が永さんに下さった色紙には次のように書かれていたそうだ。「法に則り、譬喩を用い、因縁を語るべし」(少し違うかもしれないが)これを井上ひさしさんは「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」と訳したそうである。

また子供のいじめの話がでた。昔はいじめがあると、他のみんながそれを制した。いじめっ子を取り囲んで「い-けないんだ、い-けないんだ、○○ちゃんはいけないんだ、先生にいってやろ」と歌うと、いじめっ子は先生に言いつけられのは困るので自然にいじめをやめたという話。私の子供時代にもあったような気がするが、子供の頃、弱い者虐めということはなかったと思う。学習院では「もうーしあげよう、もうーしあげよう」という歌だそうである。

子供に命の大切なことを話すことや、お食事の時、永さんのお父さんは「頂きます」だけではなく「あなたの命を、私の命にさせていただきます」とお唱えしたそうである。

小林亜星さんも会場にいらしていたので、彼の世と此の世をつなぐ音楽について、倍音についてなど飛び入りでお話して下さった。

とても永さんの楽しいお話ぶりをログ上に書くのは、私にはなかなか難しい。多彩なお話の後で、ご自分が作詞した歌を永さんは歌った。水原弘が歌って大ヒットした「黒い花びら」から始まって「遠くに行きたい」の最後まで、楽しい話、満載のコンサートだった。三波春男さんとボランティアに老人ホームに行った話もあった。永さんはボランティアをしながら死ねたら本望、というようなことを、私の聞き違いでなければおっしゃったと思うが、とにかく日本全国飛び歩いているのではないかと伺える。

永さんのフィナーレの(祈りの歌ーというように私には聞こえた)甚句だと思うが、を聞いたとき、2時間がたったことが信じられないほどであった。連れて行った母もこんなに楽しいことはない、と言って喜んでくれた。また冥土のみやげを持たせてあげられましたよ。

しかし永さんが皆さんに最後にサインをしている様子を見ていると、本当はとても疲れていたのではないかと見受けられた。それはそうでしょう、36億74年も生きているのですから。(人類が地球上に出現してから36億年、それで永さんはそういうのだそうである)

永さん有り難う。コンサートに集まった人全てが善男善女にならされてしまう、永さんのコンサートでした。

*出版記念コンサート『上を向いて歌おう-昭和歌謡の自分史』永六輔(聞き手=矢崎泰久)2006年12月4日発行。飛鳥新社

*築地本願寺:浄土真宗本願寺派本願寺築地別院が正式名称。その発祥は、元和三(一六一七)年、西本願寺の別院として、第十二代宗主(ご門主)准如上人によって建立された。本堂の左手に掛けられている絵像は前宗主勝如上人。

一木にこめられた祈り

2006-11-19 22:14:47 | Weblog
11月19日(日)曇り後雨【一木にこめられた祈り】

東京国立博物館の「仏像」特別展に、昨日出かけてきた。今回は一木造りのお仏像が日本各地の寺院や博物館からお集まりいただいているので、千載一遇の好機である。なかなか日本中の寺院にお参りすることはできないので、まとめてお参りのような気持ちで出かけた。

美術としてお仏像を見る目は私にはない。円空さんの仏さまも木喰さんの仏さまも人々の願いを受けとめ続けて、生き続けていられる。長い時を経て、人々の祈りが仏像には祈りこめられているといったらよいだろうか。仏師が精魂込めて彫り出した仏像に、さらに命を与えているのは人々の祈りであると感じた。

偶像崇拝を否定したり、仏教でもただの木仏金仏きぶつかなぶつと表現をし、仏像を否定した高僧もいる。それは、「仏というは誰というぞと審細に参究」すれば、この身をおいて他に求めるものでなく、修行者に対しての戒めからである。

しかしそれはそれとして、静かに微笑み、厳かに揺るぎなく、また慈悲に溢れた仏さまの像を心のよすがとして、祈り、願い、嘆き、悲しみ、ひたすらに一身をゆだねる人間の姿を否定しきることはできまい。

何体かのお仏像の前で、手をあわせずにはいられない気持ちになった。一通り回ってから、またもう一度拝ませて頂いたお仏像もあった。国立博物館を後にしたとき胸に溢れる思いがした。

上野の国立博物館で、12月3日までの開催ですから、是非お越しになることをお進めします。もういらっしゃった方もいるでしょうが、私はtenjin和尚さんの「つらつら日暮らし」というブログのお陰でこの機会を逸しないですみましたので、一応当ブログにもご紹介しておきます。信仰としてではなくとも、仏教美術としても、なかなかこのような一木造りの仏像を一堂に見ることができるのは稀なことでしょう。

しかし国立博物館に足を運ばれる美術好きな熱心な人々が、その熱心さと同じぐらいに仏教に興味を持たれたら、自らのなかに仏を彫り出せるのだがと、ふと思ったことでした。

私が胸を打たれたお仏像
*円空作。聖観音菩薩立像:江戸時代、17世紀。岐阜・阿弥陀寺
*聖觀音菩薩立像:平安時代、9世紀。滋賀・来迎寺
*地藏菩薩立像: 平安時代、9世紀。奈良・法隆寺
*藥師如来立像:平安時代、8~9世紀。奈良・元興寺

*魂抜きについて:お仏像を博物館に移すために、儀式として魂抜きということを各寺ではなさるのかもしれない。しかしこめられた人々の祈りを抜き去るようなことはできないことであると、この度、お仏像から教えを受けた。

佐呂間町への寄付

2006-11-16 23:54:55 | Weblog
11月16日(木)晴れ【佐呂間町への寄付】

昨日は津波情報が北海道に出されたが、惨事にならないで幸いであった。佐呂間町の竜巻による災害も起きたばかりであるが、自然の威力の前には人間の力は全く及ばないことをまた痛感させられた。。一瞬にして9人もの方が亡くなられてしまい、20名以上の方が怪我をした。一瞬にして飛ばされた家もある。そんな状態であるのに、さらに今日は佐呂間町方面は雪だという。家を壊された方々はどうしていられるのだろうか。

自然災害はこの地球上で、年中起きているといっても過言ではないほど起き続けている。これは異常な状態ではない。災害が起きるのが自然であり、日常茶飯事といわないまでも、かなり頻繁に起きている状態である。このごろは地球が温暖化でさらに増加していると言えるだろう。地球は生きているのだから、いろいろな現象を起こすのは地球としては自然なこととさえいえる。地球は一個の生命体、生物であるのだから。

その上に乗って人間も生活しているのであるから、地震や竜巻や火山の爆発や台風の被害を蒙ってしまうのだが、或る程度それを予測して生きるしかないのが、この地球の上に暮らす人間の宿命とさえいえよう。そしてそれは何時でも、誰にでも起こりうることを覚悟しなくてはならないだろう。

この地球上に住む人間同士、助け合うのは当然のことである。こういうときには日本中の人口のせめて半分の人でも、寄付しあうという制度を作ってはいかがであろう。5000万人が100円ずつでも寄付しあえば500000万円(50億円)が集まる。1000円ずつ出せば、500億円が集まる。1000円ぐらいならば5000万人の人は出せるのではなかろうか。

これは善意などというのではなく、この地球上の一隅の日本に、生きあう人間として当然のことであると思う。自分の生活を犧牲にしてまでの寄付ではなく、誰にでも気楽にできる助け合い運動として、私は提言したい。

しかし郵便局で寄付をするのに、備え付けの或る一冊の綴りを見ないと、どこに寄付をするか、すぐにはわからないのである。寄付慣れをしていればわかるが、普通は郵便局で気楽に日本赤十字社やその地方の町役場や市役所に寄付を送れることを知っている人は少ないかもしれない。郵便局の窓口はもっと分かりやすく表示することはできないものだろうか。またもう少し誰でも寄付したくなるようにおすすめの表示はできないものだろうか。切にそうしてもらいたいと願いたい。


佐呂間町への寄付は日本赤十字社の北海道支部と佐呂間町に郵便振替で寄付ができます。郵便局の窓口でお尋ね下さい。

佐呂間町の竜巻の被害に遭ってしまった方々の家の復興が一日も早いことを願って。

マスコミは惨事を報道するだけ、被害が大きいほうが報道の価値があるかのように報道合戦をしているが、どうして寄付を募らないのであろうか。当然のこととして寄付を募ってはどうなのだろう。善意などと考えるから大袈裟のように思うかもしれないが、当たり前のこと、当然のことではなかろうか。

*政府公認の機関(例えば日本赤十字社、難民を助ける会など)からの領収書があれば、寄附は確定申告で控除の対象になります。ご存じとは思いますが。

*この前のログで〈乖離〉のルビが間違っていました。〈かいり〉です。ルビは必要ないかも知れませんのに、かえって間違って済みません。

現代人はなぜ不安なのか

2006-11-14 23:27:54 | Weblog
11月14日(火)晴れ【現代人はなぜ不安なのか】

ドイツの哲学者カール・ヤスパース(1883~1967)は、社会的存在としての人間(現存)と 本来的な人間(実存)の間の乖離かいりが大きくなり、それが現代人の意識の中で不安を増大させる、と言ったそうである。分かりやすい提言であると思う。

しかし〈現存〉と〈実存〉の乖離というよりは、むしろ〈現存ー社会的存在としての人間〉しか眼中にないところに現代の不安があると私は言いたい。

小中学生や高校生のみならず、いかなる理由があろうとも校長先生までが自殺するとは、一体世の中はどうなっているのかと、言うかも知れないが、〈実存ー本来的な人間〉のことを全く忘れ去っている現代の風潮を見れば、推察しうることではある。(ヤスパースのいう実存の意味は神へと向かう人間存在を意味するので、私の意味する本来的な人間の意味とは異なるが)

せめて食事を頂くときには、子供たちに合掌を教えたい。難しいことを言おうとは思わない。身近なところから実存をを取り戻そう。人はなぜこの世に生命を受け、生命はなぜ終わるのか、精子と卵子の結合だけでは割り切れない、心臓が止まるからだけでは割り切れない、生命の不思議の前に素直にひれふすところから出発したい。

私は全ての人、人に限らず一切が、宇宙の命であると言いたいが、それぞれいろいろな表現があるだろう。ちょっとこの世にこの体を頂いて遊びに来ているのだから、もう少し悠々と生きてはどうだろうか

釈尊はなんと言われたか。全ては空と看破し(仏教的に言えば、覚さとられ)、縁起によりて成り立っていることをお説きになられた。実体がないのであるから、無限に変化し続けるとも表現できよう。自分を固定することは過ちである。いかようにも変わりうるところに、救いがあるともいうことができよう。
自分はダメだと固定化しない。自分を殻の中に閉じこめない。昨日の自分に押しつぶされない。昨日失敗しても今日やり直しがきくし、今日ダメなら、明日がある。とこんなふうに自分の気が楽になるように解釈することも可能であろう。

不安になったら寺の門を敲いてみよう。教会のドアを開けてみよう。平和な宗教の門を覗いてみよう。優しそうな人と話してみよう。人が嫌なら花でも鳥でも石にさえ話してみよう。そして自分は宇宙からちょっとこの世に遊びに来ているのだと思ってみよう。社会の動きに振り回される必要などまるでない。華やかな世界の動きに取り残されているなどと心配することはない。華やかな世界も、宇宙時間から見れば、一瞬の儚い夢のようなもの。今日、食べて、働いて、夜になったら寝る。それだけで充分。どこにも不安を感じる必要などなんにもないのだから。

馬祖の弟子、大珠慧海禅師(唐代、生卒年不詳)は「饑来喫飯、困来即眠(饑え来れば飯を喫し、困来れば即ち眠る)」お腹が空いたら食べるし、疲れたら寝るだけのこと、と言われた。これが功を用いること、つまり努力することだと言われている。それ以外のことはおまけのように受けとめればどうだろう。

おまけのことができなくても不安がる必要もない。「饑来喫飯、困来即眠(饑え来れば飯を喫し、困来れば即ち眠る)」これさえできれば充分なのだ。

*慧海禅師から2世代後の臨済義玄禅師(?~867)は、さらに「仏法無用功処。祇是平常無事。屎送尿著衣喫飯。困来即臥」(仏法功を用いる処無し。祇ただ是れ平常無事。屎、尿を送り、衣を著け飯を喫し、困来たらば即ち臥す」と、慧海の言を踏まえ、新たな見解を述べている。

「坐禅と写経の会」のご案内

2006-11-12 23:38:56 | Weblog
11月12日(日)晴れ【「坐禅と写経の会」のご案内】

昨日「ウォ-カーズ-迷子の大人たち」というドラマを観ました。お寺の息子が、余命半年という父親の跡を継ぐために、修行としてお四国参りに出されるのですが、道中で出会う人々のそれぞれが背負っている問題を織り交ぜながらドラマは展開していきます。背景に一番の霊山寺からお四国のお寺が出てくるので興味深く観ました。(NHK土曜夜九時からの番組)

12番の焼山寺も出てきましたが、ここでは私は雪に降られたので、印象深く覚えています。今から30年以上も前のことでしたが、私は徳島と高知の2カ国だけ歩きました。このドラマで八十八カ寺見せてもらえるのを楽しみにしています。文字通り、地道に一歩一歩歩いてのお参りは自分を見つめるのによい方法であると思います。

さて今日は「坐禅と写経の会」のご案内をさせていただきたい。「静かに自分を見つめたい人に」坐禅も写経も助けになるでしょう。拙いですが法話もあります。講師は私ですが、行じるのは参加者のお一人お一人です。私は補助のようなお役です。お四国参りの先達のようなお役ができればと願っています。

恐縮ですが、大学のオープンカレッジの講座ですので、受講料がかかってしまいますが、すみません。

時:1月30日、2月6日、13日、20日、27日(火曜日)計5回
10:00~11:30
受講料:15,000円 (1回ごとの受講料は4,000円)
場所:昭和女子大学(世田谷区太子堂1-7、渋谷から田園都市線で二つ目三軒茶屋)
講座名:坐禅と写経の会
申し込み:03-3411-5100  FAX03-3411-5130


このブログをお読み下さる方が、お一人でもご参加下さったら有り難いと思います。

地道と立志伝

2006-11-10 17:35:35 | Weblog
11月10日(金)晴れ【地道と立志伝】

今週は新しい論文を作成するための資料作りに追われて、あっと言う間に一週間が過ぎてしまった。一字一語を調べるような、コツコツと音を立てるような生活が今の生活である。私は「論を立てる」などという大それた事はできないが、少しでも宗門にとって役にたつ研究をしたいと心している。心してはいるが、なかなか及ばないだけのことである。

しかし一つ一つ積み重ねて、地道に生きるということは楽しいことだと実感している。法事に伺っても、周りの人を大切に、宇宙の生命を地道に生きることの大切さなどを口幅ったいようであるが、お話ししたりしている。

そのように考えているので、今年はペンフレンドの少年や少女たちに、いくつかの立志伝や立志伝中の人の言葉の書かれた本を送ろうかと思っている。例えばD・カーネギの『自分を磨く本』や斉藤一人氏のことを書いた本や、松下幸之助氏の言葉を書いた本などである。立志伝に残るのは、地道な努力の積み重ねの結果なのである。それが大事なことであろう。

立志伝はほとんど巨万の冨を築いた人を讃えているが、『人を動かす』等の著書で有名なD・カーネギの場合は巨万の冨を社会事業に投じたことも必ず書き添えている。社会から頂いたお金を社会に少しでも還元していく生き方は、地道な生き方であると思う。

そしてお金を儲けることは必ずしも卑下されるようなことではない。人を喜ばせ、人の役に立ち、社会の利益になるような商売は大いに歓迎されるべきであろう。大いに儲けて、大いに社会に還元できればこれ以上のことはないと思う。勿論家族や周りの人も潤わせて生きたお金の使い方をできるように、子どもの頃からそんな目を養うことは、決して無駄ではなかろう。

そんなわけで今年は楽しい立志伝などを、もっと探してみようと思っている。やはり年齢相応でないと少年たちには面白くない。10歳以下なら立志伝よりも「トムソーヤ」かもしれない。立志伝を読んで楽しんでいるのは、実は私自身かもしれない。僧侶でなかったら、今でもきっとなにか儲け仕事を探して努力しているかもしれない。どんな人生でも最後まで諦めないことが面白い。

商売や俗世間での成功などから抜け出ることを教えられたのが、釈尊ではあるが、その末裔たる仏弟子である私は、儲けることを勧めているとはこれ如何に。それでもさらに申し上げるが、宇宙の生命を見据えた仏教の教えを学ぶことはさらにさらに面白いということを。
*北海道佐呂間町の竜巻に対しての募金を、日赤でも受け付けると思う。来週には郵便局で受け付けると思うので、大富豪のようにはできなくても寄付をしたい。
*【大富豪の潔さーウォーレン・バフェット氏
*【功徳を積むということ
*【なぜ功徳を積むのだろうか
*【真の功徳

七回忌の法事に

2006-11-05 17:38:04 | Weblog
11月5日(日)晴れ【七回忌の法事に】

今日の法事は埼玉方面なので早めに出発した。ハンドルを握りながら、今日の法事の家のお孫さんたちがどんなに成長しているか、想像するのは楽しいことだった。今週はたまたま法事が三軒ともお祖父ちゃんの七回忌の家ばかりであり、どの家にもお孫さんがいて、この六年間の成長をそれぞれの家に見ることができた。

私にとってご法事に伺う一番の楽しみは、その家のお子さんやお孫さんの成長を目にすることである。そして小さい頃からいつでもこの庵主から何かしら話を聞いて、共に手を合わせる。法事の度に手を合わせつつ育ってくれることが楽しみである。

お祖父ちゃんに感謝してお線香をあげようね、と私が言えば、「お祖父ちゃん、いつも見守っていてくれて、有り難う」と本当に可愛い声に出してお参りをしてくれた子供たち。六年たって幼稚園だった坊やも小学生になり、小学生は高校生にはやなっていて、時の流れを法事の度にあらためて実感するのである。

今日の家は、一番上のお兄ちゃんはもう大学生、いつぞやはバレリーナが夢だといっていた少女は素敵なお嬢さんに成長していた。バレリーナの夢はどうなったか今日は聞きそびれてしまったが、活き活きとした表情に、ここまで育ってくれていれば、自分の人生をしっかりと歩いていけるだろうと安心したりした。(これまでに育てるご両親や周りの人の努力の賜物であろう)

そして私のできるささやかな役目は、血の流れの命に感謝すること、そして血の流れだけでは命は生まれないこと、天地一杯の命、宇宙の生命が吹き込まれなくてはこの命は無いことを、法事の度に小さいときからインプットしていくことだと思っている。

そして法事のときには感謝をこめてお祖父ちゃんに感謝、天地に感謝のお拝を共にしている。理屈ではなく、体で天地に真を捧げること。宝物の子供たちにこのようなことを伝えていくのが、私の僧侶としての役目だと思う。

お祖父ちゃんたちのエネルギーはすでに輪廻転生しているかもしれないし、宇宙のエネルギーに組み込まれて、天地に遍満しているかもしれない。冥福を祈ることは感謝を表すことに尽きるであろう。

今夜は満月、夕方の五時前なのに、晩秋の満月ははや東に美しくあがっている。少しお月様の光を頂こうか。

*参考【輪廻転生について】2006年2月17日
*【人はどのように輪廻転生するのか】2006年2月28日