風月庵だより

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高額な葬儀代

2021-12-30 18:02:39 | Weblog

12月30日(木)晴れ【高額な葬儀代】

ご無沙汰してしまいました。この2週間で、実はご葬儀が続いてしまい、その上、お正月の準備もあり、なかなかブログの記事を書く余裕がありませんでした。

当寺は檀家さんは少ないので、ご葬儀が何軒も短い期間に続くことは無いのですが、今年は珍しいことでした。ある家は、その家のお父さんがお亡くなりになって、病院からお寺にすぐに連絡を頂いたので、ご葬儀代が高くない上に親切な葬儀屋さんを紹介することができました。しかし、他の数軒は、病院と提携している或る葬儀屋さんに掴まってしまい、高額な葬儀代を提示されてしまいました。その葬儀屋さんの高いことは、当寺の檀家さんのなかで数件、三百万円以上の葬儀代を支払ったことを聞かされていましたので、これは困ったと思いました。

できるだけ不要な品は断るようにアドバイスしました。四十九日の間の棚も輪島塗のような棚を売りつけられ、さらに花瓶や線香立ても輪島塗のような品を売りつけられることは知っていましたので、そのような品はお断りするようにとアドバイスをしました。さらにお棺の中に入れるお弁当代も五万五千円もするそうで、そのような品は不要ではないかとおもいましたが、一軒の家ではそれを買わされていました。さらにお顔がかなり膨れているようでしたので、遺族の青年に聞きましたら、エンバーミングをしたとのことで、息を引き取られてから4日後のご葬儀でしたし、今は寒いですから、エンバーミングの必要はなかったのではないでしょうか。この青年だけではなく、ほとんどのご遺族はお葬式には慣れていませんし、退院してくると思っていたのに、亡くなってしまったケースでしたので、焦ってしまい葬儀屋さんの言いなりになってしまうことが多いようです。

僅か二日だけのお通夜ご葬儀に数百万円も使ってしまうことは、いかにも勿体ないと思います。お寺に頂くお布施はその十分の一もありませんが、四十九日の間もご供養し、その後何十年も月命日の度にご供養し、さらに祥月命日には、私は、その家のお墓参りもします。お寺が頂くお布施は、けっして「お経料」ではありません。菩提寺をともに支えていく協力費です。

葬儀代が高すぎるので、葬儀離れが進んでいるということを、耳にしますが、それはお寺のお布施が高額なのではなく、或る葬儀屋さんが高額なのです。よく事情の分からないマスコミ関係者や、物知り顔に物を申す人たちが、無責任に葬儀のことを批判しますが、よく内部事情を観察して、意見を言うべきです。そうして是非、高額な葬儀代を要求する「お葬式が云々」などと宣伝している葬儀社を批判すべきです。

あちこちに殿堂のような葬儀会館を建てている葬儀社は、怪しいと思いませんか。どこからそのお金が出ているのでしょう。「人の死」という非日常に戸惑っている善良な人々から、人の弱み、悲しみに付け込んで、たった二日の葬儀に多額な料金をむしり取っているからではないでしょうか。

あの世に帰る人に、礼を尽くしたいとしても、高額な葬儀代は不要です。大切なのは、遺族の感謝の心と、宗教者の真摯な葬儀に対しての見送りの心です。

生前十分に働いて、余裕があるので、院号を頂きたいというのであれば、菩提寺の住職と相談なさればよいと思いますが、決してそのお布施を高いと言ってはなりません。そのようなことを言うのならば、別に位階にこだわらなくてもよいのです。あの世に行って、院号が幅を利かすということはありません。この世でどう生きたかが一番大事です。

葬儀代が高いので葬儀離れが起きている元凶は、お寺ではないということを、当ブログにご訪問の方は、是非ご理解いただきたいです。そうして生前から高額ではない葬儀社を探しておいてください。互助会に入っているというのも、危険です。これも知っておいてください。いくら満期になっていても、その金額で、その互助会が本当に葬儀をするかどうか、生前確認をしておいて、念書を取っておくべきです。

本当は、聖徳太子様のご最期と、三経義疏について書かせていただいて、今年を締めくくりたかったのですが、学びが及びませんでした。明日は大晦日で仕事がまだまだありますので、とても皆様にご挨拶ができないと思います。

どうぞ、良いお年をお迎えくださいますよう。一年間有難うございました。

特記

お正月早々の記事に書く事を控えたいので、ここに付記させていただきます。

今、スマホで「葬儀の実体 親の葬儀が大変」という画面がありましたので、その記事を追っていきましたら、なんと、高額なご葬儀をしている葬儀社の互助会に行きつきました。

怖ろしい世の中です。親切そうな内容で、これは親切で安価な互助会の記事かと思っていましたら、そうではありませんでした。

皆さん、どうぞ、くれぐれもAという互助会と、Sという葬儀社にはくれぐれもお気をつけくださいますよう。


永平寺ご本葬

2021-12-17 15:16:13 | Weblog

12月17日(金)曇り【永平寺ご本葬】

昨日は、永平寺第七十九世慈航玄徳禅師絶学諦法猊下のご本葬がありました。

この度、恐縮ながら尼僧団の代表の一人として隋喜させていただきました。コロナ禍の状況ですので、随喜は限定されましたが、それでも永平寺の広い法堂に隋喜の僧侶並びに信徒の方々で一杯になりました。秉炬師をおつとめくださったのは、總持寺紫雲臺石附周行猊下です。

小林昌道監院老師の采配(という表現でよいのか?)の下、大変細かい点にまで配慮された素晴らしいご本葬でした。司会解説は、はっきりとしていて分かりやすく、在家の方々も理解することができたであろう内容でした。七十九世猊下のお人柄が、荘厳のなかにも身近に感じられる解説で、全員が心を合わせてお見送りできる、本当に血の通ったご本葬でした。ご解説くださった方は、新しく副監院に就任なさった西田正法老師だということです。

(私は本日、ご葬儀があり、少々疲れ果てていますので、一筆ご報告までにて失礼いたします。)

(私的なことですが、この度、重い荷物などをお持ちくださりご案内くださったご僧侶は、私が平成28年に焼香師をさせて頂いたとき、本山の係としてお世話になった方でした。やはりご縁は不思議にめぐっていると思った次第です。)

あまり写真は撮れませんでした。祭壇は撮らせていただきましたが、掲載は遠慮いたします。

苔むした右の写真の右端は、承陽殿です。

 


あの世への義理

2021-12-14 22:25:52 | Weblog

12月14日(火)曇り【あの世への義理】

このところ忙しくご無沙汰していたような気がします。師走を迎えて皆様もお忙しいのではありませんか。私も法事は12月でも毎週ありますし、新年のご祈祷会のお知らせや、当日の記念品の準備やら、などなど、頭の中の交通整理も忙しいです。なにか忘れているような気がします。なんでしょう。思い出せません。

そんなこと、皆さんもありませんか。

さて、今日のタイトルは「あの世への義理」です。この言葉は、ふとその時に浮かんだ言葉でした。実は、100歳近くのおばあちゃまが昨年お亡くなりになり、一周忌を迎えるのですが、その家の人たちがご法事をなさらないというのです。一応そのおばあちゃまの御長男のご家族なので、本家となります。御長男はお亡くなりになってしまい、その奥さんと息子さんが家を守っていまして、財産も受け継いでいます。なぜなさらないのか、嫁は姑を嫌いぬいていて、いつも悪口を言っていたのですが、それでも本家ですから、一周忌をつとめなくてはならないのでは、と、菩提寺の和尚は考えます。まして他の息子さんたちは、母親思いの優しい子どもたちなのです。母親の一周忌をつとめないなどということは、あまりに切ないのではないでしょうか。

「法事はしません」、という檀家さんに対して、「あ、そう」などと、私は引き下がっているような和尚ではありません。何としても法事をするように、お布施が惜しいのなら、少しでもよいのだから、なさるように、と手紙も出しました。どうも、お布施は和尚の懐に入ると勘違いしているのかもしれません。和尚も些少の報酬は頂きますが、ほとんどお寺の運営に使わせてもらっているのです。どこのお寺もそうだと思います。

当家の財産が今に残っているのは、働き者のおばあちゃまが、戦争中にお嫁さんに来てから、田畑を夢中で働いて守ってきてくれたからなのです。戦後の大変な中から、子どもたちを学校に出してくれたのは、みなおばあちゃまのお蔭なのです。息子さんたちは、それをよくわかっていて、法事を勤めたいのです。

勤めましょう、息子さんたちだけでも。自分たちの母親なのですから。母親への報恩の供養をつとめないなどとは「とんでもない」。つとめましょう。そのように本家の方たちにきちんと申し入れて、堂々といたしましょう。

息子さんたちが喜んで、この申し出を受け入れてくださいました。菩提寺の和尚として、私は本当に「あの世への義理がたった」と初めてこのような言葉が浮かんできました。とても有難いと思いました。息子さんたちも、一周忌をつとめられて、本当によかった、と言っていました。報恩供養は、それぞれが、自分自身が、つとめるものです。本家のためでもありません。つとめないことを本家のせいにすることでもありませんね。

かつて小さなお堂に住んでいるとき、浮かばれない多くのあの世の人たちが、毎夜訪ねてきて、救いを求めてきてくれました。その時の経験のお蔭で、私はあの世はある、と思っています。最近も東日本大震災で突然お亡くなりになった方々が救いを求めて、霊能者の方に憑依し、その方々を光の方に導かれた実話が紹介されていますが、そのようなことはあると、私は信じられます。証明はできませんが。

また、一方では、一週間の違いですが、本家のお嫁さんが中心となって、分家の方々と共に、実に和やか、かつ盛大におばあちゃまの七回忌を営まれた家もあります。幼い曾孫さんまで参列なさり、あの世のおばあちゃまは喜ばれたことでしょう。

それぞれではありますが、ご法事は出来る限り真摯な気持ちでつとめて頂きたいと願っています。種々のお考えはあるでしょう。

私は私の考えを述べさせていただきました。それにしても我ながら感心しました、「あの世への義理」という言葉に。